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2007年7月21日 (土)

アジア・カップ 日豪戦と「日本人はなぜシュート打たないのか?」(湯浅健二著)

いやあ 激闘でした。

1点先制されても、日本のボール支配、運動量、攻撃のパターンは悪くなかったので、同点にはできると思いました。中村俊輔→巻→高原→ゴール 高原はさすがです(PK外したのはご愛敬)。中澤、中村憲剛も良かったです。

豪州の巨漢キーパー・シュワルツァーは日本の得点の2点は確実に防ぎました。そのうち1点でも決めればPKという博打をしなくてすんだのに。

ただ、後半の終盤、また延長戦でも、日本選手を観ていて、「何故、シュートを打たないの?」って思ったシーンが何回かありました。

湯浅健二著の「日本人はなぜシュートを打たないのか?」(アスキー新書)を読みました。著者のドイツにサッカー留学した経験に基づいて、ドイツと日本の文化の違いを指摘しています。

個人の権限と責任を明確にし、その義務を尽くせばチャレンジングな行為を評価し、結果には寛容な文化との違い

ライプツィヒ大学で教鞭をとる小林敏明教授との対話が紹介されています。

一言でいうと、日本のサッカーは、プレー中の選手たちが責任を転嫁したり責任を回避する傾向が強いように見えるということかな。昔、政治学者の丸山真男という人が、戦時中の日本社会を振り返って、「無限責任=無責任」という表現を使ったことがあるけれど、日本のサッカーを観ていて、まさにそれが当てはまると思った。自分の責任をずらしていく。ずらされてきた責任を次の人もずらす。そして、結局、誰も責任をとらないということになってしまうというわけだ。それは日本の体質かもしれない

ちなみに、サッカーとナショナリズムと国旗。ワールドカップでのドイツ代表の快進撃にともなって、ドイツで国旗が町中にあふれた状況について次のように述べています。

今回は、左翼やメディアからも、ほとんど批判が出てこなかったね。ドイツでは珍しいことだ。普通だったら、この国ではナショナリスティックな言動は、常に厳しい批判の対象になるはずだからね。今回は、「私は、単にドイツチームを応援します」とか、要するに「私はサッカーファンです」といったメッセージだと理解されたということなんだろうね

私も、サッカーと「日の丸」は上のような関係だと思っています。

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