IBM 会社分割事件 横浜地裁H19.5.29判決
■会社分割と労働契約承継に関する初めての判決
会社分割に際して,設立会社等に承継させられた労働者が,商法附則5条の協議違反などを理由として,分割会社に対する労働契約上の地位確認を求めた事案で,横浜地裁が判決を言い渡しました。この種の事案での初判決だと思います。
■日本IBMハードディスク部門会社分割事件
2002年,日本IBMがハードディスク(HDD)事業部門を会社分割をした上で,その持株を全て日立製作所に譲渡しました。その結果,HDD事業部門に所属していたIBM従業員800人が新たに設立された日立GST社に承継させられました。
旧商法の会社分割法制及び労働契約承継法に基づいて,労働契約の承継手続が行われましたが,IBM従業員15名が,同意なき労働契約承継は違法だとして日本IBMに対して地位確認及び損害賠償請求を求めて提訴した事件でした(提訴2003年5月20日)。
■原告らの主張
原告らは,主として次のように労働契約承継の違法性を主張しました。
(1)日本IBMは,旧商法附則5条の個別協議及び労働契約承継法7条の集団協議を十分に行わなかった故に,民法625条の原則にもどって労働者の同意が必要であること。
(2)労働契約承継法には明文では認められていないが,憲法22条1項等を根拠とする「使用者選択の自由」に基づく「承継拒否権」を有していること。
(3)本件会社分割は将来の展望のない「泥船」であり,労働条件の不利益変更を狙,ったもので権利濫用であること。
■横浜地裁判決
判決要旨 「IBMJHDDyokohamahanketuyoushi.pdf」をダウンロード
横浜地裁(吉田健司裁判長)は,2007年5月29日に,原告の請求を全面的に棄却する判決を言い渡しました。
○旧商法附則5条協議,労働契約承継7条協議について
会社分割の無効事由が認められない限り,会社分割の効果である労働契約の包括的承継自体の無効を争う方法はない。
仮に7条措置(労働契約承継法7条の「理解と協力」を得る努力義務)の不履行が分割の無効原因となり得るとしても,分割会社が,この努力を全く行わなかった場合又は実質的にこれと同視し得る場合に限られる。
5条協議(旧商法附則5条の個別協議)を全く行わなかったということはできないし,また,実質的にこれと同視し得る場合であると評価することもできないから,会社分割の無効の原因となるような5条協議違反があるということはできない。
法解釈上は,無効原因がある場合にのみ,労働契約承継が違法無効となるという構成です。ここは議論を呼ぶところでしょう。つまり,労働契約承継が否定されるケースというのは会社分割が無効になるような場合だけ。まずそんな事態はあり得ないという結論になってしまいます。
旧商法附則5条による個別協議義務や労働契約承継法7条の理解と協力を得る努力義務という手続を,全く行わなかったような場合にだけ,労働者の移籍が強制されないということです。協議が全く行われないとか,それと同視し得るような事態は,ほとんどあり得ないでしょう。
また,5条協議や7条措置が,民法625条の代替措置という構成を,はっきり否定しています(国会審理では修正案の提案者(民主党の北村議員ら)は5条や7条を「代替措置,補完措置」と明言していました。)。代替措置というなら,5条協議違反や7条措置違反の場合には,民法625条の同意原則にもどるという解釈があり得るのですが,それも裁判所は否定しました。違反しても,労働契約が承継されるのであれば,形だけのアリバイ的な協議だけが行われることになります。そのようなものが労働者保護の名には値しません。
○承継拒否権について
憲法22条1項の職業選択の自由には,…従業員の使用者選択の自由も含まれると解することができる。
しかしながら,旧商法及び労働契約承継法における会社分割は,労働契約を含む営業がそのまま設立会社等に包括承継されるものであり,当該労働契約は,分割の効力が生じたときに当然設立会社に承継されるのであるから,承継営業に主として従事していた労働者の担当業務や労働条件には変化がないこと,そのため,労働契約承継法においては労働者の同意を移籍の要件としていないことなどからすれば,分割会社の労働者は,会社分割の際に設立会社等への労働契約の承継を拒否する自由としては,退社の自由が認められるにとどまり,分割会社への残留が認められる意味での承継拒否権があると解することはできない。
このような立法は,企業の経済活動のボーダレス化が進展して国際的な競争が激化しグローバル化が急速に進行する社会経済情勢の下で,企業がその経営の効率化や企業統治の実効性を高まることによって国際的な競争力を向上させるために行う組織の再編に不可欠の制度として整備されたものであって,その目的において正当であり,また,労働者保護の観点から,労働者・労働組合への通知(労働契約承継法2条),労働契約承継についての異議申立手続(同法4条,5条),7条措置,5条協議を定めていることからすれば,上記立法は合理性を有する。したがって,旧商法の会社分割の規定及び労働契約承継法中に承継の対象となる労働者について承継を拒否できる旨の規定がないことをもって,違憲・違法となるものではない。
退社の自由があるから,使用者選択の自由の保障されていると言うのです。
なお,EU企業譲渡指令に関しては,次のように判断しています。
EUの企業譲渡における労働者保護指令中の雇用関係の自動移転条項の解釈として,移転を望まない労働者が譲受会社での就労を強制されないとして就労拒否の自由があることは認められるものの,当然に,譲渡会社との雇用関係が維持されるものではないと解されているのであって,原告らの主張を根拠づけるものではない。
しかし,EC司法裁判所は,承継拒否権の効果は加盟国の国内法に委ねられているとしています。つまり,労働契約の承継の効果を阻止した上で,分割会社との間の労働契約が存続するか否かを検討すべきでしょう。ドイツでは改めて分割会社が解雇(経営上の理由による解雇)ができるかどうかを検討することになります。イギリスでは,同意がないことを辞職の申し出と解釈するわけです。
日本の労働法理ではどうなるかが問われたはずですが,横浜地裁は十分な判断をしていません。
■IBMの「企業再編」の実態について
日本IBMは,HDD事業だけでなく,その製造事業部門の多くを,日本の代表的企業に,会社分割などの方法により譲渡してきました。
日立GST社は,2003年以降の連続営業赤字で累積赤字は1202億円にものぼります。皮肉なことに,判決当日の5月29日の朝日新聞は,「事業の一部の売却や撤退などを迫られる可能性が出てきた」と報じています。大幅なリストラが危惧されます。
半導体部門をエプソンに譲渡し,パソコン部門をレノボに譲渡し,プリンター部門をリコーに譲渡しています。しかし,エプソンの半導体部門は失敗して会社解散し,多数の労働者が失業しました。レノボでも生産部門の縮小され,労働者の雇用が失われようとしています。この雇用危機は,労働組合が当初から指摘し,多くの労働者が不安に思っていたことが現実となったものです。
他方で,IBMは情報システム会社として大幅な利益をあげています。経営者側は,労働者の雇用が失われることを企業再編の結果ではなく,当該製造事業が国際競争において敗北した結果だと言うのでしょう。
日本企業は,IBMにババをつかませれて,やられっぱなしです。しかし,そのツケは経営者や株主ではなく,労働者が失業や労働条件低下としてツケを押しつけられることになるのでしょう。
■控訴
今後,控訴をして,東京高裁で審理が続くことになるでしょう。
今年秋の労働法学会では「企業再編」がテーマだそうですので,この判決が批判的に検討されることを願います。
(過去関連ブログ http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2006/10/post_869a.html)
ちなみに,会社法改正によって,会社分割は,旧商法時代から比較しも,よりいっそう簡単に実施できるようになっています。債務超過の会社分割も行えるし,また,事業を承継させる必要もないことになってしまいました。
横浜地裁判決は次にアップしておきます。
「IBMyokohamatisaihanketu.pdf」をダウンロード
原告団,労組の声明は次のとおりです。
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