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2007年1月11日 (木)

追悼 藤村信氏 LE TEMPS DES CERISES 「さくらんぼうの実るころ」

今年になって,昨年8月12日に藤村信氏が亡くなっていたことを遅ればせながら知りました。
  ↓
http://www.sanyo.oni.co.jp/newspack/20060812/20060812010013061.html

藤村信氏死去 ジャーナリスト

 藤村信氏(ふじむら・しん=ジャーナリスト、本名熊田亨=くまた・とおる)12日午前1時20分、脳内出血のためパリの病院で死去、82歳。長野県出身。自宅はパリ。葬儀・告別式は行わない予定。

 元中日新聞記者で同社欧州駐在客員。1991年度にボーン・上田記念国際記者賞、2000年度に日本記者クラブ賞受賞。「プラハの春 モスクワの冬」「ヨーロッパ十字路」などの著書がある。(8月12日12時23分

■1981年5月,ミッテランが仏大統領選で勝利。

当時は私は大学4年生だったと思います。フランスに社会党政権が出来たことにびっくりしました。

藤村信氏は当時,「世界」で「パリ通信」という東西ヨーロッパ政治について不定期に連載していました。1981年11月号の「世界」でミッテラン左翼政権登場を書いた「パリ通信」を読んだ記憶があります。その後,「パンと夢と三色旗-フランス左翼の実験」(藤村信著)という本(1987年5月発行・岩波書店)でミッテラン政権のフランス政治がまとめられていました。

その第1章の「さくらんぼうの実るころ-フランスの左転回」にて,ミッテラン大統領誕生のパリの祝祭,まさに「巴里・革命祭」の様子が美しく書かれています。

■西欧社会主義の最後の灯火?

藤村氏は,オールドリベラリストであり,かつ,「可能であれば」という留保付きで,リベラルな社会主義を指向していたと思います。氏は「フランス左翼の実験」を愛おしむ筆致で描いています。

モラルと現実との相克は左翼政権に果てしない難問を提起して,妥協の出口はまことにせまく,ほとんど見いだしがたい。難礁だらけの水路をいきながら左翼政権はどこまでその初心のモラルをまもっていけるものか?

コミューンのシャンソンに歌われるように,さくらんぼうの実るころは束の間にすぎゆく季節でした。パリ・コミューンといい,人民戦線といい,<5月革命>といい,左翼の実験はそのしるしさえ刻みつけないうちに壊滅させられるか,あるいはさらに強い反動の波にさらわれて消えていきました。

「さくらんぼうの実るころを想う,わが想いはやまないであろう。その想いのごとに,いやされぬこころの傷はうずく。たぐいなき幸にめぐまるるととも,わが悲しみのとざされることはない。さくらんぼうの実るころ,むねにいだいた思い出の,想いやむことはないであろう。」

ちょうど,弁護士になって二年目くらいに,この本を読んでいます。
今,取り出して見るとと,お恥ずかしながら,所々にラインマーカーを引いています。
結構,私は氏の一連の本に影響されているようです。

事実に即して物事を見ること,断定には慎重になること,ユーモア(エスプリ?)を忘れないことなどなど。自分には出来もしないけど,そんな風に書ければ良いなあと,氏の達意の文章にあこがれました。

■ロワイヤル 仏大統領候補

今年,フランス社会党の大統領候補は,セゴレーヌ・ロワイヤル元環境大臣です。
まさに才色兼美。フランス社会党のシンボルのカーネーションのようです(ほめすぎか?)
   ↓
http://www.afpbb.com/article/1201820

同女史のことは
 ↓
http://www.afpbb.com/article/1330819

藤村信氏だったらどんな「パリ通信」を書いてくれたのでしょうか。

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コメント

水口洋介様、2007年1月の「追悼 藤村信死亡
”さくらんぼうの実るころ”」を遅ればせながら読ませて頂きました。素晴らしいオマージュをお書きくださってありがとうございます。水口様のような愛読者がいた事を知っていたら父も喜んだことと思います。心からお礼を申し上げます。熊田マリ

投稿: Y.Minaguchi | 2010年12月29日 (水) 03時26分

熊田マリさま

コメントありがとうございます。私のほうこそ、こんな場末のブログをご覧いただき恐縮です。

実は、「うぬぼれ鏡」(「歴史の地殻変動を見据えて」岩波書店)も読ませてもらいました。

最後のコラムが「ヨーロッパ社会主義が燃え尽きたか?」という表題だったので、私の印象もそう間違っていなかったと思ったものです。

私の父は昭和2年(1947年)生まれです。藤村信氏(熊田亨氏)とは3年違いです。父の存命中は私は反発ばかりしていて、父の若い頃の思いや戦後どう考えて生きてきたのかは、ゆっくり話しもしませんでした。もっと聞いておけばと、父が亡くなった後に思ったものです。著作を通して、亡き父君の考えを知ることができる方はうらやましいと思います。

今は、自分の娘たちと素直に語り合える関係ができればと思っています。が、昭和30年代生まれの古い日本人男性は、なかなか、うまくできないものです。

藤村信氏のお嬢様からコメントいただいたのは、インターネットのおかげです。インターネットと検索ソフトの威力に驚嘆しながら、コメントをいただき本当にありがとうございました。

投稿: 水口 | 2010年12月31日 (金) 09時00分

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