読書日記「世界共和国」柄谷行人著 岩波新書
「世界共和国」 柄谷行人著 岩波新書
2006年4月2日 発行
2006年8月9日 読了
今は少数派になった「マルクス読みの社会哲学者」が私のような一般読者向けに書いた書物です。この本の「剰余価値論」と「資本への対抗」の論理を紹介します。懐かしの「労働価値説と剰余価値」を分かりやすくまとめています。その論理の延長から、生産点(個別企業)での「階級闘争」は無効となったとして、「資本への対抗」は消費者の「ボイコット」に鍵があると提案しています。
日本の労働者・労働運動は、「階級闘争」どころか、前近代的な「収奪」(サービス残業等の労基法違反)にさえ抵抗できていないように思いますが・・・。
それはさておき、今後は、企業の社会的責任(CSR)や消費者へのボイコット呼びかけは、確かに有効な対抗手段になりそうです。特に、インターネットを活用すれば、違法行為を行う企業への対抗する可能性を持っていると思います。ちなみに、最近、労働事件の和解の際に、インターネット上で会社批判をしないことを和解条項に入れるよう経営者が求めてくることが多くなっています。よほど嫌なのでしょうね。
同書の該当部分の展開は,と言います,・・・・(下の続きをどうぞ)
■剰余価値はどこから生まれるのか
マルクスは、商人資本と違って、産業資本は生産過程において剰余価値を得るということを強調しましたが、同時に、それはまだ剰余価値の実現ではない、といっています。剰余価値が真に実現されるのは、その生産物が流通過程において売られるときである、と。
産業資本が得る剰余価値は、労働力商品の価値と労働者が生産した生産物の価値の差額にあります。この差額を労働時間の延長とか強化に求めてはなりません。産業資本制は貢納的・封建的な収奪が本質ではないのです。
技術革新によって労働生産性を上げ、労働者に支払われた労働力の価値以上の価値を実現することによって得られます(相対的剰余価値)。この相対的剰余価値は、労働者を直接に搾取するのではなくて、総体として労働者が自ら作ったものを買い戻すという課程を通して得られるのです。
産業資本の剰余価値は、労働者が労働力を売り、そして、その生産物を消費者として買い戻すという広義の「流通過程」にしかありません。これは剰余価値が個別資本においてではなく、社会的総資本において考えられねばならないということを意味します。
■資本への対抗
資本への対抗の鍵は、産業資本主義が、労働者が作ったものを自ら買うことによって成り立つシステムだということにこそあります。
経営者と労働者の関係はもはや身分的階級ではなく、官僚的な位階制になっています。個別企業では、経営者と労働者の利害が一致します。だから、生産点においては、労働者は経営者と同じ意識を持ち、特殊な利害意識から抜け出ることは難しいのです。たとえば、企業が社会的に害毒になることをやっていても、労働者がそれを制止することは難しいように。
生産過程においては、労働者は資本に従属的であるほかないのです。しかし、労働者は流通過程において、消費者としてあらわれます。そのとき彼らは資本に優越する立場に立つのです。
産業資本主義が粗野な段階にあり、奴隷制や農奴制の変形でしかないようにみえた時期には、それに対する闘争が生産点で起こりました。しかし、(豊かな)消費社会になってくると、旧来の階級闘争が無効になります。
消費者とは、プロレタリアが流通の場においてあらわれる姿なのです。これまで生産過程におけるプロレタリアの闘争として(政治的)ストライキが提唱されてきましたが、それはいつも失敗してきました。しかし、流通過程において資本はプロレタリアに強制することはできません。流通過程におけるプロレタリアの闘争とは、いわばボイコットです。そして、そのような非暴力的で合法的な闘争に対して、資本は対抗できません。
著者の論理展開は以上です。岩波らしい、「大学生の課題図書」風の新書です。
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