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2006年9月16日 (土)

映画「ゲド戦記」

もう1ヶ月前になりますが,期待のジブリのアニメーション映画の「ゲド戦記」を夏休みに家族で見てきました。(ジブリの新作が出たら子供と一緒に見に行くのが、わが家の取り決め?になっています。)

大学生の頃、原作の第1巻「影との戦い」を読んだことがあるだけ。そこで、アニメ映画を見る機会に、全巻購入し、3巻、4巻、5巻、そして外伝の「トンボ」を読んで準備万端。アニメ映画を見に行きました。

(あらすじ)
立派な父を持ち、厳しい母親にしつけられて自信がない王子アレン。そのアレンが父王を刺す。アレンは自分の影との葛藤を抱えて自立の旅に出る。旅の途中で、師(ゲド)と少女(テルー)に会う。紆余曲折のすえ、ゲドとテルーをたすけようと一人前の男に成長する。最後は、少女テルーがアレンとゲドを救う。アレンとテルーは男女の対等な関係をつくってめでたしめでたしの大団円。

いかにも普遍的な(かつ、宮崎駿好みの)少年の成長物語に仕上げました。

以下、ネタバレあり、ご注意を

しかし、う~ん。・・・

原作を読んでいないと、「なんでテルーという少女が竜になるの?」と観客はひっかかりますね。近くにいた子供は「女の子は竜だったの?」って親に聞いていましたので、竜になったということがよくのみこめなかったようです。

もっとも、王子アレンが父王を刺すのは原作にない設定です。「シュナの旅」の王子は、人民を豊かにする麦を探しに旅に出る設定でしたが、今は父親殺しという設定になるのですね。「切れる子供たち」が問題になっている時代を反映させたつもりなのでしょう。でも、結局、なぜ、アレンが父を殺したのか、映画では説明されません。皆に想像してみろ、という趣旨ですかね。(偉大な父をもった息子の苦労? 父を乗り越えてはじめて一人前になるという寓意???)

テルーは、竜になった後も、人間の姿にもどって人間世界に残ります。正体をあらわしたら、「鶴」も「雪女」も人間世界から出て行くのにね(「もののけ姫」も人間とは一緒に住めないと言いました)。これは原作とは大違いの展開です。フェニミズム的な解釈(男女の対等性)を貫くためにテルーを人間世界に残したのでしょうか。

せっかく最後に竜が出てくるのに、アニメ的に活躍する場面が少ないのが残念です。前半の絵の作り込みは見事です。でも、後半の見せ場のはずの城の階段の追っかけが平凡。公開までに時間的に間に合わなくて、中途半端になったのでしょうか。

原作では「生と死の均衡を壊し、死の世界の扉を開けた」大魔法使いであるはずの「クモ」が、単なる小悪党としか感じられません。最後に竜の炎で焼き殺される。

宮崎駿監督の「凡人の想像の枠」に収まらないエネルギーセンス・オブイ・ワンダーは、「千と千尋」はもちろん、あの失敗作と一部で評価された「ハウルの動く城」でさえ、まだまだ衰えていないと感じました。

それに比較して、ちょっとセンス・オブ・ワンダーが足りないように思いました。
でも、宮崎吾郎監督としては第1回作品。次回作品を期待しましょう。

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