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2005年5月 5日 (木)

読書日記 「働くということ」R・ドーア著

「働くということ」-グローバル化と労働の新しい意味

          ロナルド・ドーア著 石塚雅彦訳

          中公新書 2005年4月25日初版

          同年5月5日読了

感心するのは、翻訳がこなれた日本語だということです。論述の運びもスムーズでウィットにも富んでいます。穏やかな語り口で、しかも、切れ味鋭い分析をしている。「20世紀のコンセンサス」、「市場原理主義」を鮮やかにまとめている。学術用語を多用することもなく、しかも、告発調や絶叫調のササクレだった言葉使いはしません。達意の文章。読んでいる者の頭にスーッと入ってくる感じです。

ドーア氏は、20世紀のコンセンサスを、「社会的連帯を基盤とした労働者保護による公正な社会の確立、不幸にして失敗をした者や老人らを保障する福祉国家の成立だった」と言います。ところが、1990年以降は、アングロ・サクソン型資本主義が世界を席巻している。1929年のような経済的失敗を演じない限り、アングロ・サクソン型資本主義を信奉し、市場個人主義に立脚するグローバル・エリート(人種や国籍がどこであれ、アメリカで教育・訓練を受けてアングロ・サクソン流経営を受け入れた者たち)が各国を牛耳ることになるだろうと予想しています。

著者は、この流れが逆転する見込みが非常に低いことを認めています。日本では、国民の階層分化、不平等の拡大、雇用の劣化が深まり、「日本の労働組合は、これに対して有効な抵抗ができないばかりか、逆に助長してきた」と痛烈に批判しています。

ドーア氏は、「貪欲にとりつかれたアングロ・サクソン型資本主義はノーサンキュー」の立場です。ドーア氏は新自由主義批判のリベラル派の論客です。しかも、過去に、日本型資本主義の良さを海外に紹介してきた実績で、日本の経済界や官僚たちにも影響力を持って

いるようです。

小泉・竹中政権の規制改革路線による「市場個人主義」の政策が、これから具体的な結果を出して猛威を振るうことになるでしょう。「不平等と不安な時代」です。そのとき日本人はどう反応するでしょうか。

社会的公正を大切にする道に踏み出すのか、それとも勝ち組だけが幅をきかせて不満を抑圧するために権威主義的な統制国家になるのか、あと5年程度で結果が見えるでしょう。

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2005年5月 2日 (月)

護憲派に思う

憲法9条が「現実的」となる条件は何か?

■憲法9条2項は非武装条項

日本国憲法9条2項は明らかに戦力の不保持を表明し、交戦権までも放棄しているから、絶対的な非武装を宣言しています。したがって、憲法典の文言に忠実であるかぎり、自衛隊は憲法に反しているとしか解釈できません。非武装という政策に賛成するか否かは別として書いてあることは非武装を意味しているとしか読めません。だからこそ、国家の主権と独立を維持するために軍隊を容認する立場からは、憲法9条を改正する必要があることになります。

■護憲派の主張

これに対して、護憲派は、「憲法9条があるからこそ、日本が戦争をしない国でいられた」と言う。そして、「憲法9条があるからこそ、自衛隊は『普通の軍隊』とならず、専守防衛のための『自衛隊』となっている」と言うのです。さらに、護憲派の一部論者は、「世界各国が憲法9条をとりいれることで世界から戦争をなくすことができる」と主張しています。

■自民党改憲案

自民党の憲法改正案要綱のように、現憲法9条を改正して「自衛軍の設置」を明記した場合には、アメリカとの集団的自衛権にのめりこむでしょう。このことを指摘する護憲派は正しいと思います。

現行の憲法9条のもとでさえ、世界屈指の装備をもつ自衛隊があり、また、戦闘地域のアフガニスタンとイラクに自衛隊が派兵されているのですから(アメリカの圧力を受け入れた結果です)。憲法上、自衛隊を自衛軍として明記すれば、自衛隊は、今後、戦闘地域の治安部隊として派遣されるでしょう。自衛隊員は遅かれ早かれ戦地で死亡することになります。

彼らが「兵士」という職業を選択した以上、覚悟の上だとしても、中東の地で死ぬとは予想していなかったでしょう。皮肉なことに、このような事態から自衛隊員を守ろうとしているのは、自衛隊違憲論者達です。

■世界に広めよう憲法9条?

しかし、護憲派の「憲法9条が世界に平和をもたらす。9条こそ現実的である」という主張はまったく同意できません。世界を見れば、民族、宗教の対立、利権と資源の奪い合い、武力を用いた紛争が幅をきかせています。まさに無秩序な状態になりつつあります。冷静に見れば、北朝鮮問題は、まだ外交と軍事ゲームのルールに従った古典的外交戦略の範囲内のものでしょう。21世紀は資源争奪戦、アジアの人口爆発、環境破壊による食糧確保などの紛争多発の時代になるという現実を見れば、人々の最低限の安全を保護する秩序を維持するためには、「軍事力」組織(暴力装置)は必要不可欠だと思います。


■憲法9条と国連軍(集団的安全保障体制)はセット


歴史的に見れば、憲法9条が制定されたときの構想は、国際連合の集団的安全保障とのセットでした。つまり、日本が非武装であっても、国連憲章に定める集団的安全保障体制により日本の独立と主権が守られることを前提としていたのです。(天皇制を守るための避雷針でもありましたが)。

憲法9条が世界中に受け入れられるためには、国際連合の集団的安全保障体制が整備されなければなりません。国連の下で、一部国家の侵略行為を排除でき、国際平和の秩序を維持する国際的軍隊(国連軍)があってこそ、初めて主権国家の軍隊が廃止できるのです。しかし、その後の冷戦により、この構想は挫折したのです。

このことは護憲派の加藤周一氏も指摘してきたところです。もっとも、ダグラス・スミス氏は、「そんな国連軍が世界を軍事的に管理する世界はゴメンだ」と書いていました。世界諸国が集団的安全保障体制が受け入れるのは、それこそ宇宙人でも攻めてこないかぎり、永遠に実現不可能でしょう。


■自衛隊廃止は履行不能


また、自衛隊を憲法9条に従い廃止することは政治的に不可能です。そのような主張をする政党を国民の多くが支持して政権をとらせることはありえないでしょう。仮に、自衛隊違憲論の政党が政権をとったとしても、自衛隊を廃止することはできないでしょう。もし自衛隊廃止政策を実行しようとしたら、自衛隊容認派は政治テロや、場合によれば自衛隊の一部がクーデターをおこすでしょう。アメリカのネオコンは、そのぐらい平気でやらせるでしょう。そんなことになれば、日本の議会制民主主義は死んでしまいます。つまり、自衛隊廃止は政治的には実行不可能な選択と言わざるをえません。

このように考えると、憲法9条を、理想の憲法だとする一部の護憲派の物言いには賛成できません(アホちゃうか)。本気で自衛隊を廃止できると思っていないから、憲法9条完全実施を言うのでしょうか。あるいは、「憲法平和教」という宗教的な信仰から発言しているのでしょうか。(本当にアホちゃうか)。

■孫悟空を縛る鉄の輪 憲法9条

ただ、現代の日本人はアメリカ合衆国の政治的・経済的・軍事的圧力を跳ね返すことができないでしょう。また、日本人は自国民中心主義の偏狭な民族主義にとりつかれる危険性が強いです。結局、日本人が「12歳の少年」(マッカーサーの日本人評)から「良識ある大人」に成長しないかぎり、孫悟空を縛る「鉄の輪」としての憲法9条は維持すべきなのでしょう。

結論的には、現時点では、私は護憲派の皆さんと共同して、憲法9条を改正には反対することになります。(本マモンのアホなのはボクやけど)。

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