2015年8月15日 (土)

「終戦」通説に対する異説  「終戦史」吉見直人著

 「日本のいちばん長い日」は岡本喜八監督の映画(1967年)で観ました。今、原田真人監督のリメイク版が上映されています。
 この映画もそうですが、「終戦」に至る経過についての一般的理解(通説)は次のとおりです。

 陸軍は「本土決戦」を呼号し、他方、政府・外務省はこともあろうに既にヤルタ協定で対日参戦を密約していたソ連に和平交渉の仲介を懇請し、ソ連にはぐらかされているうちに、米国の原爆投下(8月6日/9日)とソ連の対日参戦(8月9日)で追い込まれ、8月9日の「御前会議」にて天皇がポツダム宣言受諾を決定、8月10日に連合国に通知した。これに対して、陸軍の一部は宮城でクーデターを起したが、これを抑えて15日に玉音放送で国民に敗戦が知らされた。

  吉見直人 著「終戦史」(2013年・NHK出版)を昨年読みました。2012年8月放映・NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決断できなかったのか」も観ました。これは上記通説に対して異論を提起します。終戦に至る経過を軍国主義反対というイデオロギーで裁断せず、あくまで客観的・実証的に「ファクト」ベースで事実を淡淡と検証していきます。このファクトの骨子を時系列で並べると次のとおりです。


・1945年2月初旬 ヤルタ会談で
ドイツ敗戦後3ヶ月後にソ連が日本に参戦することが協定された(ヤルタ密約)

1945年5月、6月頃、欧州駐在の各陸海軍武官(スイス、ポルトガル、スウェーデン)は、ソ連対日参戦密約情報を陸海軍中枢に報告し、日本軍中枢もこれを認識していた(英国で上記暗号電報解読文が大量に発見されている)。他方、日本外交官は「ソ連は中立を守る」という楽観的報告を外務省に報告していた。


・5月7日、ベルリン陥落。ナチス・ドイツ降伏。
・5月11日 最高戦争指導会議 対ソ工作(ソ連参戦防止、ソ連への和平斡旋依頼)のための会議招集


・6月8日の「御前会議」
にて、「今後採るべき戦争指導の基本方針」を採択。戦争完遂、本土決戦の強攻策を決定。ただし、対ソ外交施策も平行して進めることが裏では決められた。


6月11日、梅津陸軍参謀総長が昭和天皇に「上奏」し、支那派遣軍さえ戦闘能力がないこと、既に日本軍が米軍に一撃を加える戦闘能力を有していないことを報告。
昭和天皇は、「一撃和平」が実行不可能であることを認識。


6月22日、昭和天皇は、最高戦争指導会議のメンバー「6巨頭」(鈴木首相、東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津(陸軍)参謀総長、豊田(海軍)軍令部総長)を集めて秘密懇談会を開催する。米内海相は、ソ連を介しての和平交渉を提案する。梅津参謀総長も同意し、速やかに行うことを確認する。

 つまり、この6月11日~22日の時点で、和平交渉を行うことを昭和天皇を含めて戦争指導部は決定していたといことになる。後は、和平交渉をいかに有利にするのか(国体護持)という戦術問題だけとなった。

6月24日 広田弘毅は、上記政府の意向を受けてソ連駐日マリク大使との会談を開始した。


・6月下旬 ところが、スターリンはソ連極東軍に対日参戦準備命令を下していた。


・7月12日、東郷外相は、佐藤駐ソ大使に和平交渉の仲介の依頼は天皇の意向であり、近衛を特使としてソ連に派遣する旨をモロトフに伝えよと訓電
(米英はこの電信を解読し、昭和天皇が講和を受け入れたと重視していた)。
  しかし、この数日後、ソ連首脳部がポツダム会談に出発。

 つまり、東郷外相と佐藤大使がグズグズしているうちにポツダム会談が始まり、結局、近衛特使派遣は実現されなかった。


・7月26日 英米ソがポツダム宣言を発表。
 同日、参謀本部ロシア課長白木大佐、ソ連視察報告として、ソ連極東軍150万準備完了して8月中に進攻開始と報告


7月30日、参謀本部作戦課会議で白木大佐は「ソ連対日参戦は8月10日」と明言。


・8月6日 米軍 広島に原爆投下。
・8月9日 米軍 長崎に原爆投下。ソ連参戦。
・同日深夜   御前会議にてポツダム宣言受諾を決定。
・8月10日 ポツダム宣言受諾を通知
・8月14日 宮城クーデター騒ぎ。最後の御前会議。詔勅発布。
・8月15日 玉音放送
 
 つまり、遅くとも6月22日に、昭和天皇以下の最高戦争指導部は、日本に戦争継続能力がないこと、そして和平交渉するしかないことを共通に認識しており、陸海軍トップもこれに同意していたのです。ところが、その後もソ連対日参戦等の情報が政府・外務省と共有されず、東郷外相は「国体護持」を連合国に約束させたいと考えて即時和平を申し入れなかった。
 6巨頭は、結局誰も即時和平へのリーダーシップを採ることなく、最後の最後、昭和天皇の決断にゆだねてしまった。
 他方、昭和天皇は「一撃和平」論。つまり相手に一撃を与えてからなら「国体」を護持できる有利な和平交渉ができると期待していたようです。しかし、最後の最後に、これが無理だとわかったので、8月9日にポツダム宣言受諾を決断したのです。

陸軍の反乱が怖くて和平交渉できないというのが本当か

 「陸軍のクーデターを恐れて、和平交渉ができなかった」「昭和天皇でさえ命が危なかった」と戦後よく言われていました。その根拠として映画「日本のいちばん長い日」で描かれた狂信的陸軍将校のクーデターが強調されました。
 しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。もし、これが本当ならば、戦死した兵士たちや原爆で殺された市民たちは、戦争指導部が自分の生命を惜しんだために死んでいったことになってしまいます。

 陸海軍の中枢部は、既に戦争継続能力がないことは熟知していたのですから、彼らに勇気と国民に対する責任感さえあればクーデターなどは恐れる必要はなかったはずです。現に井上成美海軍大将は、「(徹底抗戦を叫んでの)内乱がおこっても恐れるに足りない」と戦後語っていたそうです。

8月9日の聖断ができて、何故、6月ないし7月に聖断ができなかったのか。


 原爆投下、ソ連対日参戦がなければ「聖断」できなかったというのが通説です。
 6月以降の終戦までの戦死者は30万人を超えると言います。早期和平交渉、停戦ができれば、広島、長崎をはじめ多数の人命が救われたはずです。


 近衛や米内海相らは「原爆投下とソ連参戦について天佑であった」とさえ述べています。つまり、自らのリーダーシップで戦争終結をするという「責任」を回避し、外圧で敗戦が決められることを「天佑」と言って喜んだのです。
 これは「天皇制」という統治構造が生み出した精神構造・人間類型なのかもしれません。6月、7月に終戦できなかったいちばん大きい理由は、この戦争指導部が「国民に対する責任感」がなかったということにつきるのではないでしょうか。
 昭和天皇をはじめとして最高戦争指導部に勇気と「国民に対する責任感」があれば終戦の決断は、6月、7月にも可能だったと思えます。結局、国体護持を至上命題にし、「成り行きにまかせる」「空気には逆らえない」という日本人の「悪弊」が最高戦争指導部まで蔓延していたということでしょう。

 丸山真男が戦前の軍国主義天皇体制を「無責任の体系」と批判したのはまさに正鵠を射ていると思います。
 「終戦」に至る経過について、英米の外交軍事機密文書が公表されはじめたことで、研究が大幅に進んでいるそうです。しかし、未だ旧ソ連の外交軍事機密文書は公表されておらず、何か公表できない大きな事実があるようにも思えます。

 なお、「反戦平和」「非戦」の理念も重要ですが、「事実」に依拠しない「理念」は脆弱です。ファインディング・ファクトの精神に基づく歴史的事実を知らなければなりません。そうでなければ、天皇が「私の身がどおなろうとも」と発言したという「神話」(これが架空であるというのが近時の研究結果だという。)が生まれてしまうのではないでしょうか。

「甘い感傷よりも勇敢な反省」


 和平派であった高木惣吉海軍少将の次の文章で結ばれています。

  「人も、事実も皆これをロマンチシズムの甘い糖衣に包まなければうけいれられないようでは、いつ迄たっても同じ過誤を繰り返す危険があると思う。

  … … 

太平洋戦争の経過を熟視して感ぜられることは、戦争指導の最高責任の衝に当たった人々の無為、無策であり意思の薄弱であり、感覚の愚鈍さの驚くべきものであったことです」

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2015年6月21日 (日)

海街diary(是枝監督)のテーマは「父不在」か

この映画、「父の日」に観てきた。

是枝監督、主演女優 綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず です。

http://umimachi.gaga.ne.jp/

鎌倉の四季が美しいという評判どおりの映画。鎌倉ということで小津映画を連想しました。口うるさい大叔母なんてシチュエーションは同じです。

原作の吉田秋生のマンガ本を娘に借りて読みました。吉田秋生というマンガ家は才能豊かな作家だとはじめて知りました。原作マンガ本と読みくらべると、是枝監督は、「父不在」を映画の隠れたテーマにしているのではないかと強く思いました。

映画のあらすじは、父親が家庭を捨てて女性と家を出た。その二年後に母親も自分の娘三人を実家において再婚して家を出た。父母に捨てられた三姉妹は、祖母(すでに7年前死亡)の実家で15年間も暮らして、それぞれ成長した。長女は母親代わりのしっかり者だが今や同僚の医師と不倫をしている看護師、次女は男出入りのはげしい地元信用金庫の美人OL、三女はアート系の気ままなフリーターらしい。三姉妹は15年間一度も会わなかった父親が死んで、一人取り残された腹違いの妹をひきとる。鎌倉でのこの四姉妹の生活を静かに描かれるという良い映画でした。詳しいストーリはウェブに譲ります。

鎌倉の四季の移ろいや静かな生活をえがくところは、小津映画を思い出させます。4人の女優がみずみずしくて鎌倉の古い家と自然と四人姉妹を見ているだけで満足です。

とはいえ、原作もそうだが、映画を観て、やはり一番、印象に残るのは「父の不在」です。

父親は、不倫して家を捨て、4歳から13歳までの3人の娘に15年間一度も会わず、相手の女性と娘を一人つくっている。それに対する反発をする母親代わりの長女、どうでもいいと思っている下の妹たち。でも苦境にある腹違いの妹を引き取る姉たち。その腹違いの妹は、家庭を壊した女(母)の娘として、姉たちに気兼ねをしている。この四姉妹が心を通わせて家族になるプロセスがこの映画のテーマなんでしょう。

でも、父親は写真でさえ、姿が見えない。本当に影が薄い。父親がいなければ娘たちも存在していないわけだが、きわめて抽象的な存在でしかない。「やさしいけど、ダメな人間」と長女は切り捨てる。他の妹たちは、やさしい人だったと言うだけ。そして、父に対して厳しい長女も、最後は、「やさしかった」としてなんとなく許すようになったようだ。

これに対して、母親は、生身の人間としてでてくる。この母親も7年ぶりに娘たちに会う。しかも、大人気なく腹違いの妹に嫌味を言い、自分が捨てた実家を金欲しさに売却しようなどという。それで、長女と言い争いになり、祖母七回忌の法事で、醜い修羅場を演じる。このひどい母親(大竹しのぶ・ぴったりの役)は良くも悪くも存在感はある。つまり、娘と母親の葛藤は、逃げることなく描かれている。

その他出てくる大人の男たちも、みんなが善人で、やさしいが皆、存在感が薄い(人畜無害)。男関係が多い「愛の狩人」の次女(長澤まさみ・美女)のターゲットになるような優男たち(イケメン)たち。

とても良い映画で、鎌倉の空気が美しい。また、父母に捨てられ、責任感から妹たちを育ててきたのに、なぜか大人になって不倫をしている長女を、綾瀬はるかが、自立した女性の切なさをよく演じているのが印象的。

現代の家族形態が「父不在」であるということを象徴的に描いた映画だと思いました。吉田秋生の原作マンガ本は、もう少し父親の輪郭がはっきりしています。だから余計に映画が「父不在」のテーマを是枝監督が浮き彫りにしているように感じます。「そして父になる」という是枝監督の前作とテーマは同じではないかと思いました。

これからの家族は、「父不在の空洞」を家族がどう埋めていくのかというのがテーマなのではないのでしょうか。それは母親と葛藤を克服した娘たちが埋めるのでしょうか。

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2015年6月10日 (水)

「ある憲法学者のおつむの変遷」  驚愕の長尾一紘教授の集団的自衛権合憲説 

中央大学の長尾一紘教授が安保関連法案を合憲と明言していると知ってびっくり。私は中央大学出身で長尾教授の講義も聞いたし、同教授の教科書も読んだ。当時とまったく正反対のことを言っているのに驚愕しています。長尾教授の条文解釈や判例整理は、きわめて論理的で切れ味よく、私には非常に勉強になったし司法試験にも役だった。

東京新聞の6月11日朝刊によると長尾教授は次のようにコメントしています。

どの独立国も個別的自衛権と集団的自衛権の両方をもつ。国連憲章にも明記されている。日本国憲法は他国と対等な立場を宣言している以上、自衛権を半分放棄するという解釈が出る余地はない。法案を違憲という学者の意識は、日本の安全保障に危機感を抱く国民の意識とずれている。


私が大学時代読んだ長尾教授の「日本国憲法」(世界思想社)を昨晩読み直しました。初版1978年発行、第2版1979年発行。私が持っているのは1979年第2版。その第一部、第三章に「戦争の放棄」が論じられています。同じ長尾教授の言葉です。

■国家の自衛権について
 「国家は、当然に自衛権をもつと同時に、自衛手段をみずから予め定めることができる」として、「軍隊を備え、場合によっては戦争に訴えることが自衛のための有効な方法であると考えてきたが、日本国憲法は、これらをいっさい禁止し恒久の平和の理念をみずから率先して実践することこそが、国民の安全と国家の主権を維持するうえでのもっとも有効な保障であることを明示したのである」(同60頁)。
■自衛隊と憲法9条について  
憲法9条の解釈論を教科書的に説明した上で、「合憲説は文理上不可能といわざるをえないのである」とし、さらに「以上のように、さまざまな観点から自衛隊の合憲説が主張されているが、いずれも法解釈上きわめて無理があり、合憲説の実質が政治的主張にあたることを示している」(同書63頁)
■ 「憲法変遷」論

私が中央大学に入学したころ、憲法学の著名な教授であった橋本公亘教授が従来の自衛隊違憲論を合憲論に説を変更したことが法学部生の間で大きな話題になっていた。学説変更の論理は、「憲法の変遷」が生じたということだった。これに対して、橋本教授の弟子であった長尾教授は講義で痛烈に批判していた。教科書にも次のように書いている。  
憲法変遷が生じるとしても、「国民の規範的意識に明白な変化が生ずること(学説・判例に重要な争いがないことも含まれる)が必要とされるが、「私見としては、とくに憲法の文言に正面から矛盾することがない場合に限定すべきように思われる。これらの要件が充足がなければ、いかに合憲的な外観を保持するものであっても、それはたんなる違憲の国家行為の集積にすぎず、憲法の変遷が生ずることはないのである」(同298頁))
■第9条と安保条約  
安保条約に基づく外国軍隊の駐留については、9条2項にいわゆる「戦力」に該当し違憲とする。第一説が正当である。その理由は、次に示す「砂川判決」第一審判決に明らかである」(65頁)
■憲法学者の解釈の変遷


長尾教授は、自衛隊を合憲とすることは、「憲法9条の文理上不可能である」と言い切っています。文理上不可能っていうのは相当な踏み込み方です。それをあとから変更するというのは、法律家のイロハである「文理解釈」ができない者であることを自ら認めることで相当に恥ずかしいことです。 


私の周りの弁護士には、「政策として集団的自衛権には賛成だと思うが、それを法制化するには憲法改正が必要だ」という人が多くいます。政策判断(政治判断)と法律解釈は別というのは、法律家なら当然わきまえなければならない矜持です。これができないと法律家でなく、法律屋(中央省庁の官僚たち)です。

ですから、憲法改正論者であっても、自衛隊や安保関連法制を違憲とするのは何ら矛盾はしない。かえって、政治論と法律論を峻別できる法律家として評価されます(小林節教授のように)。


しかし、長尾教授は、1978年頃は典型的な憲法9条論を唱えながら、いまはどうして学説を変えたのでしょうか。

先にふれた橋本公亘教授は、合憲説変更の理由として「憲法変遷論」をあげて学会で論争していた。これに、樋口陽一教授が、「確かに、憲法現象として「憲法の変遷」は存在する。しかし、それはあくまで「事実認識」の問題である。憲法変遷論を、憲法解釈変更の正当化する規範論としてはありえない」と批判していた。これも長尾教授の講義で聴いたと思う。


西修教授や百地教授は、もともと、そういう学者だから驚くに値しない。


学者として、学説変更の理由を述べるべきでしょう。
自らの学説の変遷を何もいわないでいけしゃあしゃあと合憲論ぶつのは私には理解できない。
少なくとも過去に自衛隊違憲論を大学の講義で述べて、それを学んだ元学生に対しては学者としての説明責任があろう。
上記東京新聞への長尾教授のコメントは、まさに自ら過去に批判していたとおりの「政治的主張」にほかならず、これでは憲法学者としては「お終い」ではないか。

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2015年6月 2日 (火)

緊急 派遣ホットライン

労働者派遣法が「改正」されようとされています。
渉外派遣として、使えるように企業サイドに有利な「改正」です。
緊急に労働弁護団で電話相談を実施します。明日以降も継続する予定ですので、ご相談ください。
国会で労働者派遣法改正案が審議されているのを受けて、日本労働弁護団は2日午後2時半~同9時、派遣労働者からの相談を電話で受けつける「6・2派遣労働緊急ホットライン」(03・3251・5363、5364)を実施する。同改正案は、いまは同じ職場でずっと働くことができる「専門26業務」の派遣労働者も、最長3年までしか働けなくなる内容。ホットラインでは派遣切りに関する相談のほか、「パワハラセクハラにあっている」「賃金が低すぎる」といった相談にも応じる。電話代はかかるが、相談料は無料。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11785832.html

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2015年5月27日 (水)

第二次世界大戦の性格-安部・志位「ポツダム宣言」論争

■ 安部首相は志位質問をかわしただけ

話題になった安倍首相と志位共産党委員長の7分間の党首質問を、ユーチューブで見ました。
とかく「安倍首相がポツダム宣言を読んだことがあるかどうか」の問題として報道されていますが、志位委員長の質問の趣旨は、安倍首相が「第二次世界大戦で大日本帝国が間違った戦争をしたと認識しているか」というものです。
これに安倍首相が明確に答えなかったために、”ポツダム宣言が日本を侵略国家として、無条件降伏を迫り、日本がこれを受け入れたことを否定するのか”とたたみかけた。安部首相の弱点を押さえた良い質問です。


安倍首相の弱点は、ポツダム宣言を肯定する答弁をしたら日本を侵略国と認めることになってしまい、それでは自らの歴史認識に反する。他方、ポツダム宣言が間違っていると言っては、戦後国際秩序の基本を否定し、米・英・ロ・中をはじめとする旧連合国を敵にする外交上の失言になる。そこで安倍首相は、窮余の策として「詳らかに読んだことはない」と「無知」を口実にして逃げた。
(なお「善悪の判断もできない安倍首相に集団的自衛権の行使をゆだねて良いのか」というのが志位質問の「落ち」)

■ 安部首相は「ポツダム宣言」を読んでいる
安倍首相がポツダム宣言を読んでいることは間違ありません。月刊誌「Voice」2005年7月号の対談)で、安部氏は「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたのですから。(ポツダム宣言と原子爆弾投下の前後関係を間違えているのは「ご愛敬」)。

■ 安部首相の第二次世界大戦の歴史認識

安倍首相は次のように考えているのだと思います。


当時は欧米の帝国主義・植民地支配の時代である。日本が帝国主義国家としての強大な経済力・軍事力を持たなければ、アジアは欧米列強にずっと支配される。

欧米列強を跳ね返す力を持つのは日本しかないのが現実だった。だから、日本が帝国主義的な行動をとるのはやむを得ない道だった。

にもかかわらず、アジアを植民地支配した欧米が一方的に日本を侵略国家だと非難するのは許せない。世界史は、そんな単純なものではない。


私は、この論法に一理があることは認めます。「第二次世界大戦は、民主主義国家とファシスト独裁国家との戦いであり、民主主義国家が勝利した」という図式論より、もう少し複雑であったと思います。
でも、この論法には重大な欠点があります。民衆の犠牲を何ら考慮しない点です。

■ 第二次世界大戦の性格=帝国主義戦争


日本の場合は、1931年から1945年までのアジア・太平洋戦争。その性格は、アジアに対する侵略戦争・帝国主義戦争にほかなりません。帝国主義戦争は、19世紀以降、欧米列強が資源確保や市場拡大のために行った植民地獲得の侵略戦争のことです。
そして、20世紀になって後発帝国主義国家となった大日本帝国が、欧米が支配するアジアに対して植民地を獲得し拡大しようとして仕掛けた戦争です。要するに、村に先に押し入って支配していた強盗集団から、後から来た強盗集団が村を奪おうとして戦いになったというものです。
いわば相互に帝国主義戦争であり、対欧米との関係では帝国主義国家同士であり、道義的な「悪」という点では五分五分でしょう。(ただし、法的には、先に仕掛けたという点で日本は国際法違反で分が悪い。)したがって、ポツダム宣言が脅迫的な無条件降伏を迫ることは第二次世界大戦の性格から見ても当然でしょう。

■ 民衆の立場から見れば


しかし、村に平穏に暮らしている民衆にとっては、欧米も日本も征服者です。中国人(当時は中華民国)は侵略された国家として自衛戦争をたたかった。朝鮮半島でも抵抗・独立運動があり、ベトナムやフィリピン他の国でも抗日運動がありました。
征服され支配される民衆の立場から見れば、帝国主義戦争は両者とも100%の「悪」です。欧米が帝国主義・植民地主義だからといって、日本の帝国主義戦争と侵略が「善」になるわけがありません。

■ 日本人の第二次世界大戦に対する態度


第二次世界大戦当時の日本人は、支配されるアジアの民衆ではなく、大日本帝国「臣民」として帝国主義側に参加する(させられる)立場におかれています。戦後の日本人としても「所詮帝国主義戦争だ」と高見の見物をするだけではすまないでしょう。
当然のことながら、日本人でも立場によって考えは異なった。

積極的に支配する側に参加して経済的利益や精神的優越感(愛国主義や民族主義)を得たいと思う人は
、日本だけが帝国主義戦争・侵略国として非難されることは我慢ならないという安倍首相と同じ考えを持つようになる(戦前はこれが多数派)。

戦争に動員されて生命を危険にさらしたり、他国の人間を殺すのは嫌だと思う人は
、帝国主義戦争と侵略戦争に反対します(戦前は少数派の「非国民」。今は「反日」分子)。また、ポツダム宣言も「解放」として受け入れます。欧米列強の勝利という側面はありますが、ポツダム宣言は「征服戦争を悪」と規定し、「人権と民主主義」という普遍的価値をかかげているからです。少なくとも大日本帝国やナチス・ドイツやファシスト・イタリアよりもまともだと私には思えます。

■安部首相は「矛盾」を内心でどう統合しているのだろうか?


安倍首相の米国連邦議会での演説と歴史認識に関する発言を読むにつけ、相互に矛盾しているように、私には感じられます。
「自由と民主主義」を高く掲げるかと思えば、「米国の押しつけ憲法」と現憲法を非難して自主憲法制定を声高に唱える。ポツダム宣言を否認したいのが本心のように見えるが、「米国と価値観を共有している」などと言う。米国と対等の関係に立ちたいと思っているかと思えば、現実の外交は対米一辺倒。
安倍首相の内心はどうなっているのか私には不思議。是非、素直に正直に思いを語ってもらいたい。どんな「思想」を持っているんだろう。

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2015年5月 6日 (水)

「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録と日韓対立への懸念

■「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に登録を勧告と韓国の反発

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150504/k10010070041000.html

ユネスコの諮問機関・イコモスは、世界遺産に登録することがふさわしいとする勧告を出したとのこと。今年6月28日から7月8日かけてユネスコの世界遺産委員会で審議が開始されて決定されるとのこと。
産業革命の遺産には、三池炭鉱(宮原坑、万田坑)、高島炭坑、端島炭坑(通称、軍艦島)や、長崎造船所が含まれています。
これに対して、韓国が猛反発をしています。

韓国国会の外交統一委員会は4日、日本政府の取り組みを非難する決議を採択したうえで、「多くの朝鮮人が強制徴用された場所を世界遺産に登録するべきではない」として、登録を認めないよう求める書簡を6日、外交統一委員長が世界遺産委員会の各委員国に送りました。

炭鉱や長崎造船所などで朝鮮人が強制労働に従事された施設であり、「隣国の痛みが残る施設を世界文化遺産に推薦することは、遺産登録の原則と精神にふさわしくない」とのことです。

■世界遺産となる理由は
イコモスがどういう観点から世界遺産登録に記載するように勧告したのかは報道されておらず、詳細は判りません。しかし、非西洋である日本が明治期に産業革命を達成したという事実が世界遺産としてふさわしいと評価された背景にあるように思います。

明治期の日本の「近代化の成功」は、「非西洋世界は宿命的な後進性を有する」という偏見を払拭するための第一歩であったという意味で世界史的な出来事だったと思います。
これに対して、韓国は、韓国・朝鮮人が端島炭鉱や長崎造船所などで強制労働をさせられた事実をあげて、このような韓国に痛みを与えた施設は、世界遺産にふさわしくないと反発し、抗議しています。

確かに、昭和期になって端島炭鉱や長崎造船所で韓国人に過酷な強制労働が課せられたのは事実です。

しかし、日本が韓国を植民地化したのは、1910(明治43)年「日韓併合」以後であり、韓国・朝鮮人への強制労働が行われたのは、これ以後だったのではないでしょうか。1894年の日清戦争、1904年の日露戦争を通して、日本が韓国統監府をおいて韓国を支配していくことは歴史的事実ですが、強制労働や強制徴用は日中戦争が開始してからでしょう。明治時代には、日本の明治期の産業革命期に、日本政府が韓国人を強制的に徴用して炭鉱等で強制労働させていた歴史的事実はないように思います。

また、イコモスの対象は、あくまで「明治期の産業革命遺産」ですから、日本の昭和期の韓国人への強制労働を免罪する意味をもちません。

■歴史には「光と影」がある

「産業革命」は「光」の面ばかりではありません。これは洋の東西を問いません。産業革命以前の「原始的蓄積期」で農民が土地を奪われて貧困にあえぎます。そして、産業革命の工場、炭鉱、鉱山で「自由な労働者」として雇われて過酷な労働を強いられました。これは日本も韓国も同様でしょう。

当時、洋の東西を問わず児童や女性でさえ過酷な環境で1日12時間以上の労働を強制されました。エンゲルスの「イギリスの労働者階級の状態」や夏目漱石の「坑夫」で描かれています。

明治期の産業革命も「光と影」をもっています。しかし、非西洋の社会(たまたま日本)が明治期に産業革命を達成したという歴史の普遍的・世界史的な意義を見るべきでしょう。

韓国の人々が、韓国・朝鮮労働者の強制労働が行われた炭鉱や工場が世界遺産とされることに反発する気持ちは判らないわけではありません。しかし、物事には光と影がある。その両面を踏まえて、普遍的に物事を見るべきではないでしょうか。

これは日本人にも言えます。明治期の産業革命の影の部分、足尾銅山の鉱毒や鉱山や炭鉱での労働者の暴動と警察・軍隊による鎮圧という歴史があります。明治政府の「開発独裁」によって達成されたのが産業革命でした。その「開発独裁」の行きつく先が、アジアへの侵略と第2次世界大戦の敗戦だったのですから。

■両国民の感情的対立回避を

韓国がイコモスの韓国に猛抗議をして政治外交問題化することは、両国民の感情的な対立を深めることになるのではないかと懸念します。

米国は原爆ドームの世界遺産登録に反対しましたが、節度ある態度でした。
日韓両国民の感情的対立を避けるために、韓国政府には「世界遺産登録を断固阻止」という姿勢ではなく、「世界遺産登録するかどうかはともかく、端島炭鉱などに韓国人の強制労働の影の部分があることを忘れてはならない」とコメントする節度ある態度を期待したい。日本人的な中途半端・あいまいな考え方で理解されないのかもしれませんが。

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2015年3月29日 (日)

管理職用「退職勧奨」マニュアル

人事コンサルタント会社が、大企業の管理職に提供した実際の「退職勧奨」用マニュアルを見せてもらった。30頁くらいの小冊子。なかなか興味深い内容だ。

解雇や退職強要に関する労働法や労働判例を詳しく解説しつつ、実践的な「退職勧奨手法」が書かれている。要するに、解雇は困難だから、この「退職勧奨」手法が重要であることを理解させる内容です。

■退職勧奨者の反応パターンと対応例があげられている。

対象者の典型的な反応パーターンを型にわけて対応例を示すというものです。

従順型 → 内面では、色々葛藤があるので、話しを十分聞いて受容してやる。
プライド型→ 周囲の者たちがどうみるかを客観的に説明してやる。
なんでもやらせてもらいます型→そんな余裕が会社にないことを伝える。
理屈型 → 説明に困ったら、次回にといって、理論武装して再度試みる。
愚痴型 → しばらく黙って聞く。繰り返しになったら、こういうことですねと先制する。
沈黙型 → 不明な点は質問して下さい。次回に考えを聞かせて下さいと拘束する。
感情型・泣き → 落ち着くまで待つ。いったん席を外す。明確に意思を伝えて、次回に回答するようにと伝える。
感情型・怒り → ひたすら話しを聞いて受容する姿勢を示す。相手の言うことが支離滅裂な場合には、こういうことでしょうかと要約して尋ねて整理をしてやり、落ち着くのを待つ。

「理屈型」のほうが管理職は対応が難しいようですね。労働者も「理論武装」が必要です。労働者の対応としては、退職の意思がないことを明確にメールや文書などで伝えることが極めて重要です。2度くらいは説明だけを聞くという姿勢で出席して明確に退職の意思のないことを伝え、退職勧奨の呼び出しにはもはや応じない。自分の業務に支障となると伝えることです。これが必ずやらなければならない対応です。

管理職の退職させる目標を課せられていますから、この人は退職に応じそうだと最初に思われたら、退職するまでネチネチと退職勧奨をされます。早い段階で明確に意思がないことを伝えることが大切です。PIPへの対応はその後です。

退職勧奨の手法は巧妙になっています。マニュアルには、録音されていることを想定して発言するようにとも書かれています。

明確に退職の意思がないのに3度以上、呼び出せば、もはや違法な「退職強要」と考えるべきです。

■管理職の逡巡と説得

また、管理職らも退職勧奨をして実績を問われるのは相当なストレスになっているようです。管理職らが感じる典型的な「逡巡」に対しても「アドバイス」をしています。これを見ると、管理職も内心は相当な葛藤と苦悩するようですね。

○従業員の会社への忠誠心は長期安定雇用で支えられている。仮に現時点では貢献が低くても、過去はそれなりに貢献してくれたではないか。
→確かに雇用の安定は大切。しかし、必要なら断行すべきです。そうでないとグローバル競争に生き残れないし、ご本人のキャリアパス形成にもなれない。他社で活躍する場を提供すべきです。

○いったん退職したら、この社会では再就職は難しい。失業者はごまんといる。なんとかならないのか。
→そのとおりです。でも、再就職支援サービスを提供される方々はまだ幸運なのです。だから、この機会に決断してもらうのがご本人のためでもあるのです。


○人事施策としてやむを得ないとしても、それは人事の仕事であって、われわれの仕事ではない。人事部担当者が責任をもって面談すべきだ。
→ご本人の仕事ぶりを熟知している上司でなければできません。人事は側面からサポートします。


○本人が了解しないかぎり、退職させることはできない以上、目標達成は難しい。
→会社の意図を明確に伝えて、相手の気持ちを理解して、再就職支援などを説明すれば100%達成はできます。

もっとも、目標達成しなければ、今度は退職勧奨される側になるわけですが。

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2015年3月14日 (土)

「琉球独立」運動の政治的インパクト

日本全国の米軍基地の75%が沖縄に集中している。日米同盟の負担が沖縄に集中しています。この解消の見通しがつきません。

沖縄知事選で辺野古移設反対派の翁長知事が当選。総選挙でも沖縄全小選挙区で移転賛成派の自民党議員が落選して反対派が当選しました。


それでも政府は「力」で辺野古建設工事を推進し、安倍首相は翁長知事と会おうともしません。

にもかかわらず、本土の日本人の多数派は、辺野古移設を強行する安倍内閣を支持しています。世論調査で内閣不支持率が増加するということもありません。


移設容認派は、「日米同盟を維持強化して中国を牽制するために沖縄米軍基地が不可欠であり、沖縄県民の犠牲はやむを得ない」と思っているでしょう。

選挙で沖縄県民の民意が明確になっても、一顧だにしない日本政府に対して、沖縄の残された有効な意思表示は「沖縄/琉球独立」運動の高まりしかないように思います。

「沖縄独立」論は政治的な実現可能性もなく、沖縄だけで独立国家を営む経済的な基盤もないため、非現実的な構想であり、政策論としても「無責任」の誹りを免れないと思ってきました。いわば、呑んだ席での放言の類いで「居酒屋独立論」とも揶揄されてきました。

でも、本土の政府や本土の日本人に対する政治的インパクトとして、沖縄県民の中で「沖縄独立」「琉球共和国独立」の世論が高まることが効果があるのだと思うようになりました。

確かに、現時点で沖縄独立の実現可能性はないでしょう。

しかし、この「琉球独立派」が強まることは、国際的にも高い注目を集めるでしょう。米国政府や米国人に対するインパクトもあると思います。沖縄県民の強い思いをアピールする一つの有効な方法のように思えます。

もともとは、琉球は独立国だったわけです。明治政府が最終的に1879年に琉球国を滅ぼし、沖縄県として服属させたものです。また、国連人種差別撤廃委員会は、2010年には琉球人を独自の民族と認定し、米軍基地の押し付けを人種差別だとして、日本政府に琉球人を代表する人々との協議すべきと勧告しています。「琉球独立」の論拠はあります。

「琉球独立」のインパクトがなければ、本土の日本人も政府も、沖縄県民の意思を尊重しようとしないのでしょうか。

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2015年2月18日 (水)

「分離すれども平等」-人種差別のエートスと曾野綾子氏のコラム

■曾野綾子氏のコラム

曾野綾子氏は、安倍首相の私的諮問会議である「教育再生実行会議」の委員だったそうです。この方は、過去、自民党政府の下で「司法制度改革審議会」(!)などの委員も歴任されてきた、政府重用の「有識者」(!)です。

その曾野綾子氏が、産経新聞のコラムで、「労働力不足と移民」と題して、日本も移民を受け入れたほうが良いと述べた上で、次のように記述しています。

http://gohoo.org/15021801/

しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らなければならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎにきた人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
(中略)
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに別けて住む方がいい、と思うようになった。
 (中略)
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし、居住だけは別にしたほうがいい」

南アフリカ駐日大使は、産経新聞と曾野氏に対して、人種隔離政策である「アパルトヘイトを許容し美化した恥ずべき提案だ」として抗議をしています。 

これに対して、曾野氏は、「アパルトヘイト政策を日本で行うように提唱してなどいません。」「生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです。」と反論しています。 

しかし、上記コラムを普通に読むと、曾野氏は、日本に移民を受け入れて介護等に従事させることを提言し、同時に移民には契約条件を厳重に守らせるべき、その条件とは、移民の居住区を人種ごとに別けることだと提唱しているとしか読めません。ですから、曾野氏の「反論」に説得力を感じません。 

■米国の人種差別訴訟判決

米国の人種差別撤廃闘争史の中で、有名な「ブラウン事件判決」という連邦最高裁判所の判決があります。 

この判決以前は、米国連邦最高裁判所は、州法によって公共施設や交通機関、トイレが白人用と黒人用に分離すること(人種分離)を義務付けていても両施設の品質が平等である限り、人種差別でなく憲法違反ではないと判断していました(1896年、プレッシー事件判決)。これが有名な「分離すれども平等」(Separate but equal)判決です。丁度、曾野氏の「差別でなく区別だ」という論法と同じです。 

しかし、その後、白人用の学校と黒人用の学校とに分けた教育委員会の措置をブラウン氏が憲法違反であると訴えた事件で、1954年、連邦最高裁判所(ウオーレン長官)が「分離すれども平等」の法理を否定して、「教育施設における人種分離」を憲法違反としたのです。これは公民権運動の画期的な勝利でした。

人種で分離するという発想自体が、人種差別の「エートス」に基づくものだと思います。ここで言う「エートス」とは、社会集団などの道徳的な慣習、ある社会の構成員の性格類型という意味です。曾野氏のようなエートスが、人種差別の温床だと言って良いように思います。

■曾野綾子氏を擁護する日本人が多いのに驚く

ところが、BLOGOS等のインターネット上の意見を見ると、曾野綾子氏のコラムを、人種差別ではないと擁護する日本人が多いのに驚かされます。 

そういう人たちは、アメリカやヨーロッパなどの外国に行ったとき、「日本人を含むアジア人は特定の区域に居住を制限する」と言われても、人種差別とは感じないのでしょうかねえ?そんなことを想像したこともないのでしょうか?

曾野綾子氏のコラムを人種差別ではないと主張する人の発想が、私には極めて不可解です。

 

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2015年1月29日 (木)

ISIS、中東、と日本の「平和主義」

 ISISの日本人殺害・誘拐事件に関して、IISISをどう見るのか、日本はどう対処すべきなのか、左派やリベラル派内での意見が別れているようだ。中東情勢は複雑怪奇、しかもイスラムという日本人には馴染みのない宗教で、ますますわからなくなります。長文ですが、典型的であろうと思われる二つの考えを以下、検討してみます。

(1)   ベトナム戦争との対比

   最初に、左派やリベラル派の「心情」を理解するために昔話を。
 昔ベトナム戦争の時代、ベトコン=南ベトナム解放戦線は、今のイスラム過激派のように、米国や主流派マスコミから、野蛮な過激派として扱われていた。「米軍がベトナムの村の病気の子供たちにワクチンを投与したらベトコンがやってきて、子供たちの腕を全部切り落とした」とまことしやかに報じられていました(コッポラ「地獄の黙示録」)。それでも当時、多くの日本人は、それらをデマと考えて、民族独立を目指すベトコン=南ベトナム解放戦線や北ベトナムを応援していました。

(2)   絶対平和主義・憲法9条派

  日本のリベラル派や左派の一部には、ISISやイスラム過激派をベトコンのように、米国の軍事支配へのレジスタンスと見る気分があるのではないでしょうか。
 イスラム過激派の無差別テロには反対だとしつつも、イスラム過激派の欧米への復讐心や心情に無意識的に同情しているのではないでしょうか。すなわち、「テロや混乱の最大の責任は、石油利権を維持したい欧米諸国とその走狗であるイスラエル、米国に従属する日本政府が負うべきだ」と考えるのです。

  しかも、イスラム過激派が戦うのはシリアのアサド政権をはじめとすると独裁政権と欧米軍です。ISISだけを攻撃すれば、独裁政権や石油利権の維持を図る欧米を助けることになる。これはおかしい。ISISなどイスラム過激派のみを非難し、これと戦う欧米諸国やアラブ諸国を経済的に支援することは間違っている。したがって、「欧米のISISへの空爆の軍事介入には反対すべき」ことになる。

  そして、憲法9条を持つ日本は、《喧嘩両成敗》的に、ISISなどのイスラム過激派に対しても、欧米も周辺アラブ諸国に対しても中立的立場にあるべきだ、ということになります。これで、日本はISISらのイスラム過激派のテロ対象でなくなり、安心・安全だというわけです。

  これはこれで一つの考え方です。「絶対的平和主義」からの論理的帰結でもあります。 しかし、この現状認識で良いのでしょうか。

(3) ISISがどこまで脅威なのか

   確かに、中東の紛争は、歴史をリアルに見れば、常に石油利権をめぐる紛争です。産油地をどの国が、どの勢力が支配するかをめぐる武力闘争です。「誰が正義か」などと問うこと自体が無意味なのかもしれません。

   また、外国の軍事作戦ではイスラム過激派を押さえ込めないことは、ソ連のアフガニスタン侵攻、米国のタリバンとの戦争やイラク戦争の結果から明らかです。まさに泥沼です。欧米の軍事介入は解決どころか、火に油を注ぐような結果をもたらしてきました。

  しかし、だからといって、ISISなどのイスラム過激派の軍事的膨張に対して、国際社会が対抗措置をとらないとでよいのでしょうか? 国連を通じての資金や人道援助だけでISISを阻止できるでしょうか?危険な芽を放置して、より大きな危機を招くのではないでしょうか?

 ISISやイスラム過激派を、世界と人類にとって大きな危険と見るかどうかで、意見が別れそうです。それほどの脅威ではないとなれば、イスラム教徒同士で解決すれば良いことです(石油がなければ、欧米も介入などしないのでしょうが)。でも、今や石油利権を別としても、イスラム過激派は大きな脅威であり、地域住民を迫害しているということは国際的に共通認識になっていると思います。これは彼らの理不尽な無差別テロが証明しました。

(4)  国際重視派

   ISISやイスラム過激派が、報道されているように住民や外国人を苛酷な暴力と恐怖によって支配している以上、アラブ諸国が軍隊でこの武装勢力を攻撃し掃討することは正当でしょう。ISISは野蛮な暴力支配を実施しており、あたかもカンボジアのポル・ポト派のような勢力ではないでしょうか。

 そして、中東の地域国家が弱体で、ISISが強く支配地を拡大するなら、当該地域国家の承認と国連関与の下、米軍などの軍事行動もやむを得ないのではないでしょうか。

  これらが正当なら、憲法9条を持つ日本が国際社会の協力に参加して「軍事援助はしないが、ISISと戦うアラブ諸国へ人道援助をする」こと自体は一つの選択肢でしょう。ただし、日本のこのスタンスの表明はイスラム過激派からの攻撃対象となるリスクがあります(このリスクが現実化したのが今の事態です)。日本政府はイスラム過激派に付け入られたり、口実を与えたりしないような慎重な配慮をする必要がありますが、これは「戦術」問題。

(5)   国際的観点からどちらの政策(「戦略」)を選択すべきでしょうか?

   私は、ISISの非道さ、そしてイスラムの穏健派の人々がISISを強く非難している現状から見ると、国際重視派の立場が妥当だろうと思います。これは、ポル・ポト派の蛮行を排除するためカンボジアに軍事介入したベトナムが正しかったのと同様だと考えます。

(6) 国際情勢の分析と国内の安倍政権評価

 しかし、この国際的観点に、国内の安倍政権への評価や支持・不支持が絡んでくるので、さらに議論が紛糾します。ここでも左派やリベラル派内で意見が割れます。

   典型左派曰わく『安倍首相の危険な狙いを阻止するには徹底的に平和主義で行くべきだ』『国内の政治実践の観点から国際情勢を見るべきだ』『国際重視派の見解は、安倍首相の狙いは戦争に参加できる日本づくりだから、これに利用される利敵行為だ』というものです。

 でも、それでは国際情勢の分析が国内情勢の観点から縛られてしまう。典型的な「一国平和主義」です。国際情勢は、国内政治の都合とは関係なく動いていきますから、国内政治重視だけでは、今後生じるであろう国際情勢の急激な変化についていけないと思うのです(なお、私は将来、中国が経済の高度成長が終わり不景気で国内が混乱した場合には、中国民衆の不満のはけ口として、日本との領土をめぐる軍事衝突にでる危険が高いと思っていますので、国際関係はリアルに見るべきだと思っています)。

   国際重視の視点に立ちつつISISを非難し、他方、国内政治の観点からは安倍政権の暴走を批判するというスタンスをとらないと、中長期的に見て多数の国民の理解を得られないように思うのです。

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2015年1月27日 (火)

人質事件で安倍首相を「言語道断」という国会議員に思う

ISIS(イスラム国)の日本人拉致人質殺害事件について、安倍首相の対応について批判した民主党や共産党の国会議員らが批判にさらされている。

産経新聞

http://www.sankei.com/politics/news/150127/plt1501270006-n1.html

民主党幹部も議員に「不規則発言をしないように」と注意しています。共産党の議員のツイッターに対しては、共産党の委員長でさえ不適切だと指摘しました。不適切との指摘に同意します。もっとも、共産党委員長の場合には、少し過剰反応かと思います。「議員本人がツイッタ~上でお詫びして削除しているのだから、結果的に適切に対応されている」とコメントすればよかったのにと思いますけどね。

確かに、今、このタイミングで、国会議員がISISのテロ=犯罪行為を利用して、安倍内閣を批判するのは、まさに「 為にする批判」という印象が強いと私も思います。単なる条件反射的反発です。

そもそも、問題の根っこは、小泉首相がイラク戦争の際に「米国の側につく」と高らかに宣言し、大規模な資金援助をし、さらにはイラクやインド洋に自衛隊派遣してきたことから、イスラム過激派から「米英」らと同列におかれて「敵」とされたことにあるわけです。安倍首相だけの問題でない。批判するなら、そこから批判しないといけないし、今は批判を理解してもらうタイミングではない。

今回、安倍首相がイスラエルなど中東を訪問するタイミングをねらって、ISISは人質による要求を出してきたわけですが、それは安倍首相のせいと言うよりも、テロ集団であるISISが自ら最大の効果を狙った結果です。

確かに、安倍首相が、この時期にアラブ諸国だけでなく世界から非難されているイスラエルに訪問して、ISISのテロと対決すると表明したことは、きちんと外交的に分析した上で問題を指摘すべきだと思います。

が、だからといって、この中東訪問が今回のISISの日本人人質事件の直接の原因になったとは言えないでしょう。実際、この訪問前に日本人は拉致されているのですから。ISISは、人質を利用する有効なタイミングを狙っていたわけで、遅かれ早かれ、安倍首相であろうとなかろうと、人質を利用した要求を出したでしょう。

また、政府は、現在、ヨルダンやトルコを通じて日本人解放の対策をとっていると思われます。事柄の性格上、水面下の交渉で内容もわかりませんが、経過が見えないからといって、「政府は何もやっていない」「口先だけだ」と断定する根拠はないと思います。

実際、ISISは、当初の2億ドルの非現実的な身代金要求から、ヨルダンが拘束する自爆テロ犯(死刑囚)との交換要求に変更しました。何らかの説得や交渉が反映していると見るのが素直な見方でしょう。まったく楽観はできないとはいえ、なんらかの交渉が進められて人質解放の望みはまだあるように見えますし、ぜひ、そう期待したいと思います。

米国は、この「身柄の交換自体もテロ犯に対する譲歩だ。禁じられるべき。」と言っています。しかし、米国自身は米軍捕虜と交換にタリバンの幹部を釈放しています。身勝手でしょう。日本政府としては、この米国の指示に屈せずに自国民保護の使命を果たすべきです。

ということで、この段階で、いかに安倍首相を政治的に嫌っていたとしても(私個人は安倍首相の政治スタンスには絶対反対ですが)、国会議員が上記の感情的な一方的なコメントをツイッターにながすことは、所属している政党としては迷惑な話でしょう。

単なる個人のツイッターや批判的ジャーナリストや識者であれば、批判はもちろん自由ですが、政党所属(しかも比例区選出)の国会議員という「組織人」である以上、慎重に検討してから意見をいうべきでしょう。「若さゆえの勢い」から批判したくなる気持ちはわかりますが。

もちろん、私も今回の事態に対して、日本政府のこれまでの外交方針を踏まえて批判すべき点が多々あると思いますが、それは今回の人質事件の推移を見てから批判しても遅くはないし、そのほうが適切だと思います。

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2015年1月16日 (金)

シャルリー・エブド過激派テロ事件と「風刺画」に思う

このテロ事件とそれに対する世界の反応を見ると、つくづく複雑な問題だと思う。ヨーロッパ的価値観とイスラムの価値観がまったく異なるから。

 イスラム過激派によるテロに反対することを大前提としても、「表現の自由も限界があり、宗教的権威(特にイスラム教)を配慮して冒涜的な表現は自己規制すべきだ」との立場が日本などでは有力のようだ。イスラム教が偶像崇拝を禁止していることを考慮すれば、尚更だろう。

  この考え方は、私も良く理解できる。

 が、そうなれば、風刺画で「キリスト」への批判や揶揄も許されないことになるのでしょうか。

また、日本では「天皇批判」も許されないことになるのだろうか。昔、「爾臣民麦を食え。余はたらふく食ってるぞ」というプラカードが不敬罪に問われた事件がありました。天皇に対して宗教的敬意をもっている人もいます。これは、彼・彼女らの信仰を冒涜するということになり許されないのでしょうか?勲章を授与された歌手が、これを茶化すパフォーマンスも冒涜にあたり許されないのでしょうか。

 もしそうであれば、北朝鮮の指導者である金氏を冒涜・揶揄する映画も許されないのでしょうか。かの国では国家の尊厳をあらわす指導者とされています(われわれがどう思うかどうかはともかく)。これを暗殺するテーマの映画は、風刺を超えて、テロを推奨するものではないのでしょうか。

  金氏と、キリストやムハマンドのような宗教的権威と一緒にするのは非常識ですか。

 金氏と天皇ならどうでしょうか。天皇とキリストでは?

その区別の基準はどこにあるのでしょうか?

フランスでは、カソリック批判を通じて、個人の自由を確立してきた革命以来の伝統と歴史もあります。ここで自粛をすれば、テロ犯の意図が実現することにもなりかねない、という意見も頭をよぎります。

極めて難しい問題です。結論はなかなか出ません。価値観が異なる共同体間で、合意できるルールはあるのでしょうか。

 大学のころに聞いた「表現の自由の神髄を表す」という格言(?)

「私は君の意見には反対だが、君の意見を言う権利は命をかけて守る」

 表現の内容には賛成しないが、これを権力が禁止したり、過激派が暴力で圧殺したりすることには反対する。自らが転載するかどうかは各自の判断にゆだねられる、という常識線に落ち着く。

 なお、私のこのブログでは、シャルリー・エブドの風刺画は引用する必要がないし適切でもないと考えて引用しません。

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2015年1月 1日 (木)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。2014年を振り返りつつ、2015年の政治を展望します。(笑…にわか政治評論家)

■自分のブログの閲覧数トップ10

2014年のブログでの閲覧回数が多かったトップ10の記事は次のとおりでした。

 読書日記「絶望の裁判所」瀬木比呂志著

② 2013年司法試験と予備試験

③ 日本の労働時間-未だに長時間労働社会

④ 有期契約を理由とする不合理な労働条件の禁止(労働契約法20)

⑤ 読書日記「法服の王国」黒木亮著

⑥ 有期社員の差別是正を求める裁判提訴(労契法20条訴訟)

⑦ 改正労働契約法20条の活用と菅野説批判

⑧ 国家戦略特区-福岡市は「解雇規制緩和」特区を提案していた

⑨ 「悪いのは僕だけじゃない」-終戦の日に思ったこと

⑩ 「左翼小児病」

 

時事ネタでなく、①「絶望の裁判所」や⑤「法服の王国」の読書日記が上位なのが意外でした。

 

■2014年の五大ニュース

 私が考える2014年の重大ニュースは次の5つです。このインパクトが2015年に大きな影響をもたらすように思います。

  ウクライナ危機-ロシアのクリミア併合

 →ロシアの欧米との対立・ロシアの孤立

 イスラム国の勢力拡大

 →中東の不安定化・イランの存在感

 中国の南沙諸島への勢力拡大・東シナ海(尖閣諸島上空)の防空識別圏設定

 →中国の大国化=東アジア中国勢力圏化

 安倍内閣の集団的自衛権の解釈変更

 →「戦争ができる国」の体制整備

 安倍内閣の201412月総選挙勝利

 →政権安定基盤の獲得


中国は、南シナ海と東シナ海の勢力圏造りを強めています。

ロシアと欧米の対立が深まり、ロシアが反発を強めることは必至。

イスラム国勢力拡大で中東はより不安定化していくことでしょう。

結果的に、米国の世界への影響力が後退することになります。そこで、米国は日本との経済・軍事同盟(TPPと日米安保)をより強めたい。

安倍首相は、これを好機として、再び戦前のように国際舞台のメイン・プレイヤーとして登場したい。ところが、米国は安倍首相に期待したいけど彼の歴史修正主義に不安に思っている。

■2015年以後

今年は第2次世界大戦終結70周年。安倍首相は欧米から「歴史修正主義者」として警戒されています。安倍首相は、各国の第2次世界大戦終結記念行事に参加し、欧米の不安感を払拭することに躍起になるでしょう。それが成功するかどうか。

国内では、「アベノミクス」が効果をあげると見られるかどうかです。経済政策は「結果責任」であり、言い訳は通用しません。今年は「論争」ではなく、経済統計による「検証」が問われるでしょう。この数値結果が悪いと安倍首相は窮地におちいります。

安倍首相にとって、2015年は正念場でしょうねえ。

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2014年12月26日 (金)

2014年総選挙の「民意」の有りどころ

今年の衆議院選挙の評価、「議席数」は小選挙区制で歪められているので、議席数を見ては「民意」が分からない。衆議院比例区の「投票率」、「得票率」、「得票数」によって、国民の政党の支持の変化を判断するのが一番、わかるはずです。

2012年と2014年の総選挙を比較すると次のとおり。

 

【衆議院比例区】

 2012年    2014年

投票率    59     52
自民党  27.6(1662)     33.0(1765)
民主党  15.9(962)      18.3(977)
維新    20.3(1262)     15.7(838)
公明党  11.8(711)      13.7(731)
共産党  6.1(368)       11.4(606)
社民党  2.3(142)        2.4(131)
次世代    2.6(141)
生 活    1.9(102)

「勝者」は、自民党と共産党。

「敗者」は、維新と次世代

自民党は、投票率が低いとはいえ、比例区の得票率は33%の得票率です。議席占有率よりも低い。しかし、前回27%より5%アップし、しかも100万票を上積みしています。総議席を減らしたとはいえ「勝利」でしょう。

民主党は、比例区は前回よりも2.4%アップで18.3%となり少し回復したように見えますが、得票数は15万人増えただけ。「踏みとどまった」だけです。

維新は、比例の得票率が20.3%から15.7%に減少し、400万票の減少ですから、議席数にかかわらず「敗北」でしょう。

公明党は得票率を2%アップしていますが、得票数はほぼ変わらずで「現状維持」です。

共産党は得票率も2倍近く増加し、250万票を上積み。「大勝利」でしょう。この政党が将来、政党名をかえて、共産主義から欧州社民路線、非武装中立をやめて「専守防衛」路線になれば、けっこう大きな政党になるかもしれません。

社民党はほぼ同じ。共産党が伸びているのに、なぜ社民党は伸びないのか? 「敗北」でしょう。社民党は性的少数者保護やジェンダーフリー提唱など「市民的リベラル」を売りにしているのですが、なかなか選挙の結果には繋がらないですね。

次世代は、比例で2.6%の得票率で得票数141万。社民党程度の勢力を持っている。右派の国民の票が自民と維新にもとられて、次世代は存在感が示せなかった。田母神氏が都知事選で60万票をとったので、もっと増えるかと思いましたが「大敗」です。この日本版ネオナチ・極右政党が国民の支持を受けずに消えてしまえば良いのですが、維新がリベラル色を強めると、また息を吹き返すかもしれません。

総括すれば、安倍自民党への国民の信任は続いており、もうしばらくアベノミクスの様子を見ようということでしょう。少なくとも民主党の経済政策よりも、アベノミクスを国民は評価している。集団的安全保障や原発再稼動、沖縄倍軍基地問題などは多数派日本人の投票行動には影響を与えない

小選挙区のおかげで、自民党・公明党は議席3分の2を維持している。しかし、国民の支持は比例区選挙結果から見れば圧倒的とは言えない。このギャップを軽視して、自民党が政権運営を誤ると次回は勝利できるかどうか分からないですね。

安倍首相は自信を深めて、2016年参議院選挙で衆議院同時選挙を視野にいれているとの観測があります。10%への消費税値上げ前に、総選挙をして自民党単独3分の2を狙うということでしょうか。


それには何よりも「景気」がどうなるか次第です。景気が悪くなったときには、政権が選挙に勝つことは困難です。
今回、安倍首相は、消費税増税により景気悪化するぎりぎりの局面で、解散総選挙の賭けに打って出て勝利。2016年の参議院選挙は10%消費税アップ前です。今回、安倍首相は2016年秋には必ず10%アップすると断言しました。でも、景気が悪いとウルトラCとして消費税アップ再延期を打ちだすかも?

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韓国の憲法裁判所が政党解散命令

■「先進国 韓国の憂鬱」の続き

韓国の憲法裁判所が「統合進歩党」を、北朝鮮の「手先」で自由民主主義体制を転覆しようとしたと認定して解散を命じたそうです。

韓国の東亜日報[社説]

憲法裁、大韓民国破壊勢力の統進党に鉄槌を下した

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2014122012758

憲法裁判所が、憲政史上初の政党解散請求事件で統合進歩党(統進党)の解散決定を下した。朴漢徹(パク・ハンチョル)所長をはじめとする裁判官8人が容認、1人が棄却の圧倒的多数の決定だ。中道や進歩的と言われる裁判官まで統進党の目的と活動が民主的な基本秩序を深刻に害していると判断した。

大韓民国憲法を見ると政党について次のように定めています。この4項に基づき、「政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違背するとき」に憲法裁判所は解散を命じたものです。

第8条

① 政党の設立は自由であり、複数政党制は保障される。

② 政党は、その目的、組織及び活動が民主的でなければならず、国民の政治的意思形成に参与するのに必要な組織を有しなければならない。

③ 政党は、法律が定めるところにより、国の保護を受け、国は、法律が定めるところにより、政党運営に必要な資金を補助することができる。

④ 政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違背するときは、政府は、憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は、憲法裁判所の審判により解散される。

統合進歩党(国会議員5名)が、どういう政党なのかは、私は知りませんでした。

ネット情報によれば、「進歩的民主主義」を唱えて、労働者保護や財閥批判、米国批判を展開している左翼政党ということです。他方、北朝鮮の独裁については明確に批判しないというスタンスだったようです。そして、この統合進歩党の党員が武装組織(RO)を作っていたことは事実のようです。ただ、東亜日報の社説だとそれを首謀したとして内乱陰謀で起訴された統合進歩党国会議員は二審で証拠不十分で無罪となっています。韓国の裁判所の下級審はリベラルな裁判官が多く、憲法裁判所は年配の保守的な裁判官が多いという指摘を聞いたことがあります。


■「たたかう民主主義」

自由民主主義を破壊するファシスト政党・ネオナチや共産主義政党を解散させるのは旧西ドイツの姿勢でした。東西冷戦が激しいころ、1956年に西ドイツ裁判所がドイツ共産党違憲判決を出したことは有名です。

「アカの手先」、「非国民」、「ファシスト」とか「人民の的」というレッテル
で、時の政府が批判勢力を弾圧した例は、古今東西、よくあることです。


日本の治安維持法による弾圧、スターリニズムの弾圧・粛正、米国のマッカーシズムなどなど。



成熟した立憲主義国家では、「民主的基本秩序に違背するとき」という漠然とした基準によって政党を解散させるのではなく、自由な批判のもとで国民の選択に委ねられるべきと考えられています。

政党などの団体の解散命令が例外的に認められるとしても、それは破壊活動などの暴力行為が現実的で明白な具体的な危険が立証される場合に限られるとするのが立憲主義の立場でしょう。


韓国の場合、それほど切迫した危険な状態だったのでしょうかねえ。


韓国の民主化を、横から見てきた私としてはちょっと意外でした。冷戦時代への逆戻り、昔の軍政韓国みたいとの印象を持ちました。「先進国」なのに。

もっとも、今の日本でも、破壊活動防止法で暴力主義的破壊活動を行う団体に対しては、公安審査委員会が解散を決定することができるとなっています。将来は人ごとではなくなるかもしれませんが。

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2014年12月14日 (日)

読書日記「先進国・韓国の憂鬱」大西裕著 中公新書

2014年4月発行、2014年12月14日読了
■先進国としての韓国
 先進国とは、大辞泉によると「政治・経済・文化などが国際水準から見て進んでいる国」と定義されています。経済的に見れば2013年統計で韓国が次のとおり先進国であるのは明らかです。なお、韓国の人口は約5000万人で、日本のほぼ半分です。

名目GDP比較(10億USドル)
1位  米国  16,768
2位   中国    9,469
3位   日本     4,898
14位  韓国    1,304

一人当たりの名目GDP(USドル)
9位   米国  53,000
24位 日本   38,467
30位 韓国  25,975
83位 中国   6,958

 また、韓国は、政治的にみても、1987年の民主化により立憲民主主義体制が確立しています。文化的にも、例えば韓国映画の水準が高いことから見て、国際的にも進んだ国です。

■金大中政権以降の韓国現代政治

 本書は金大中大統領時代から現在まで、政治的対立状況や福祉政策の変遷を概観した韓国比較政治史です。韓国と日本の異質性よりも、韓国が抱える社会問題と、日本が直面する社会問題に共通性があると感じました。

■格差社会-韓国
 本書によると、OECD加盟国(31国、米・豪・露・墨を除く)で、不平等度合い(ジニ係数)で見ると韓国は20位、日本が6位で日本のほうが不平等社会です。相対貧困率で言うと韓国は6位で、日本が4位です。この格差社会を生み出し原因については、通説は次のとおり説明します。

 韓国の経済格差の深刻化したのはアジア通貨危機の際に韓国に緊急融資を提供したIMFが韓国に新自由主義改革を強要し、市場への政府の介入を最小限にとどめて、市場原理を貫徹した新自由主義改革による。韓国経済は競争が激しくなり、生産性が向上したため韓国経済を浮上させて、先進国へとはばたかせた。
 しかしながら、競争は優勝劣敗を引き起こさざるを得ず、経済格差を生み出した。金大中政権は、本来は進歩的であったが、IMFの強要でやむを得ず改革を行い、進歩的な政策を封印した。続く盧武鉉政権も同様であった。

 著者は、この通説を誤りとするわけではありませんが、「進歩派」とされた金大中政権も、盧武鉉政権も、必ずしも福祉と経済の自由化を矛盾するものととらえていなかったしとします。著者は、韓国の政治対立状況には、激しいイデオロギー対立があるとします。

■韓国の「進歩派と保守派」
 韓国での進歩派(左派)と保守派(右派)の対立は、日本と同様です。

 進歩派は、自由競争の結果、勝者と敗者が生まれ、国民間に不平等が広がることを懸念し、所得の再配分など政治の介入でより平等な世界を作ろうとする。他方、保守派は、政府の市場への介入が経済力を削ぐことを懸念し、企業の経済活動の自由をできるだけ広く認める。
 ほとんどの先進国で進歩派と保守派の対立は現在でも存在する。…ところが、韓国では、この対立が今なお先鋭化した状態にある。韓国におけるイデオロギー対立は、経済活動以上に、主権と民族に関する考え方の違いとして表れている。

 この主権と民族の考え方とは、 「進歩派」はアメリカとの同盟は韓国の主権侵害であり、民族分断を固定化させることにつながったと考え、他方、「保守派」は、独裁的な北朝鮮から韓国を守ってくれたのがアメリカと考える。つまり、反米・親北朝鮮が「進歩派」、親米・反北朝鮮が「保守派」なのだそうです。

 米ソ冷戦の終結から、上記のようなイデオロギー対立は、日本ではだいぶ影をひそめています。1980年前半以前は、日本でも「革新=進歩派」である社会党・共産党と「保守」の自民党の対立で、すくなくとも前者が3分の1の勢力を保ち、両者が拮抗する状態でした。今とは大違いです。しかし、 今や「革新派」は消滅寸前で、かわって「保守派」が大きくなって別れて(自民、民主、維新)、今や自民党が保守一強になっています。

■韓国の進歩派・「三八六世代」の特徴

 韓国の政治状況のもう一つの特徴は、地域主義が強く政党支持率や投票率も地域主義に影響を受けていた点だそうです。

 ところが、1987年の民主化以降、この状態が変わったと言います。それを牽引したのが、「三八六世代」とは、一九六〇年代生まれ、八〇年代に大学生、二〇〇〇年代に三〇歳代の世代を指すそうです。彼らが一九八七年の民主化の最前線を担い、二〇〇〇年以降の韓国の政治・経済をひっぱる主力の世代でした。この世代は、ナショナル・アイデンティティにこだわりがあったそうです。

 本書によれば、「北朝鮮は、反植民地・反日闘争を繰り広げて一応自力で独立をかちとっが、韓国は米国の強い関与で建国し、独立後も米国の半植民地状態におかれた傀儡国家で、自主独立の北朝鮮のほうが民族としての正統性に根ざしているのではないか」というナショナル・アイデンティティに関わる疑念が若い世代をとらえていたそうです。
(韓国の建国には「神話」のようなものがないということでしょうか。「李氏朝鮮」との連続性もないからでしょうか。これは初耳でした。)


 そこで、「進歩派」は親北朝鮮・反米的になり、他方、保守派は、反北朝鮮・親米的ということになったのだそうです。

■金大中政権や盧武鉉政権の政策

 進歩派が主力の金大中政権や盧武鉉政権は、政労使合意で福祉政策をすすめようとしたが、労使の対立が激しくなり、中途半端な政策にしか進まなかった。
 この結果、両政権とも、労働者側からは不十分・裏切りとして批判され、使用者側からは過度な政府介入だと批判されるというものになったといいます。結局、盧武鉉政権の導入した福祉政策は、社会民主主義的な福祉政策だが、その給付水準は低いものにとどまったといいます。
 他方、盧武鉉政権は、進歩派が担う政権だったにもかかわらず、米韓FTAを批准して親自由主義的な貿易自由化をすすめようとしました。盧武鉉大統領自身は、FTAによる市場開放によって、企業も人も生産性をあげることで福祉も生産性も向上させることを目指したという。いわばドイツ社民党やイギリス労働党の「第三の道」だったようです。しかし、これは進歩派支持者の目には「裏切り」と映り、社会的合意を得られないまま失敗に帰したようです。

■個人的な韓国体験
 韓国には、2010年前後に2回ほど調査旅行に行ったことがあります(初めて韓国に行ったのは2002年日韓ワールドカップですが、10年経て大分かわっていた)。弁護士会の関連調査です。韓国の弁護士会や、日本の厚生労働省である雇用労働部、中労委、裁判所の方々にお会いしてお話しをお聞きする機会がありました。今から思えば応対していただいた多くの方は「三八六世代」のようです。

 韓国でも司法改革が行われて国民参与裁判やロースクールが導入されており、その調査のために訪韓したのです。弁護士会の役員の方とは、夜一緒に食事をしたり呑んだりもしました。夜楽しく呑んで親しくなると、日本に留学された韓国弁護士が「日本の裁判員裁判はアメリカの陪審制を修正して時間をかけて導入されたが、韓国の場合には、アメリカの言うがままだ」と愚痴ってました。
 私は「イヤイヤそんなことはありません。日本でも同じような批判がありますよ。でも旧来の職業裁判官の刑事裁判よりかは良いんじゃないでしょうか?」って、日本でいるのと同じような議論をしたのを覚えています。

 また、非正規労働者保護法などの実体法は、韓国は日本より先に行っています。その労働法について、韓国でも菅野和夫「労働法」を労働弁護士は読みこなしているとも聞きました。調査で訪れた憲法裁判所では、京大への留学経験がある若手の裁判所調査官から、韓国の労働法や社会システムについて色々なレクチャーを受けることができました。韓国では、労働者の平均勤続年数は6~7年と短いこと、賃金は年功序列制だが、実際には40歳くらいになると労働者は辞めて自営業者になること、韓国では自営業者の比率が高いことなど、日本とは異なる雇用実態があるようです。

 でも、ソウルの地下鉄で移動し、コンビニで弁当やお茶を買うときには、すべて交通系の磁気カードで済ませることができるのです。日本にいるのとまったく同じ感覚で生活できます。

■日本と韓国の比較の重要性

 日本と韓国とも、格差社会や少子化などの課題に直面しています。両国の社会実態は異なりますが、それぞれ様々な政策や法律が施行されて、その結果、どのような効果や影響を生むのか。政治状況を含めて韓国をよく知ることは、日本にとって大いに参考になるように思います。

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2014年12月 9日 (火)

「より悪くない方」という政治選択基準の当否

大学生1年のとき、ゼミの指導教授が、「政治というのは、Less worthで良いのだ。best  を求めると悪い結果を招く」と言っていました。

若かった私は、「つまんない教授だなあ。理想をもとめないと意味が無いではないか」と思ったものです。でも、私も齢50をすぎる頃から、「より悪くない方を選ぶ」のは懸命な策だと理解するようになりました。
先日、東京新聞のコラムで、山口二郎教授が、「鼻をつまんで投票を」って書いていました。

自民党が圧勝する情勢の中で、嫌いな政党であっても、よりマシな政党に投票しようという呼びかけです。要するに、民主党ブレーンの山口教授は、「気にくわなくても、よりマシな民主党にいれてね」っていう意味なのでしょう。
もっとも民主党がよりマシかどうかが問題なのですが。
民主党の海江田党首がテレビ演説で「消費増税反対」とか「集団的自衛権の閣議決定撤回」とか言っても、どうしても「よく言うよ。野田政権のときに民主党が賛成したのに。」と思ってしまうので、よりマシとも思えない。

民主党が人気をとりもどすには民主党政権のふがいなさを忘れるだけの年月が必要なんでしょう。時間が解決するのを待つしかないのかもしれません。
でも「よりマシ」でなく、「より悪くない」の基準で考えると民主党は選択対象に含まれます。
そこで、主な選択肢は、民主党、又は維新の党、あるいは共産党かということになります。他に、次世代の党とか社民党とかありますが、候補者が少ないので検討対象外とします(他意はありませんので、あしからず)。
小選挙区制では比例区とちがって共産党は絶対に死票になりますので選択対象外。選択肢としては、民主党、あるいは維新の党ということになります。
「自民党か、維新の党か」という選択肢になると、私にとっては悩ましい正に究極の選択です。
私個人は、維新の党の橋下代表について「あまりに品性を欠く、最悪なポピュリスト政治家」と思っていますので、彼だけには国会や国政に対する影響力を持たせたくないと心底思っています。
そうなると、「より悪くない方」という基準で考えると、まだ自民党のほうがマシに思えてしまうので困っています。

維新の党でなく、自民党に入れるしかない? 
うーん。死票覚悟で共産党に入れるしかない? 
より悪くない方を選択するのも難しいですな。

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2014年11月24日 (月)

読書日記「ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼」松尾匡著

PHP新書

2014年11月発行
2014年11月25日読了
■マルクス解釈が面白い松尾匡教授の本です。

松尾教授によれば、アベノミクスについては、消費税値上げまではアベノミクスの第一と第二の矢は基本的にはうなくいっていた(左派でありながら、これを主張しているので形見が狭かったとか)。しかし、安倍政権は、金融緩和だけでインフレターゲットを目指しており、財政出動を抑えており十分な効果をあげていない。と指摘します。

松尾教授は、労働側が「量的金融緩和」と「財政支出」自体に反対するのではなく、金融緩和マネーで社会政策的な財政支出をするようにと要求すべきだと言います。

他方、アベノミクスの第三の矢と呼ばれる「成長戦略』は、新自由主義政策で、「公的事業の民営化」や「小さな政府」、「労働の規制緩和」を目指すものだとして反対すべきだとしています。

この時事ネタよりも、この本の特徴は次の点です。
不倶戴天の敵同士と思われるハイエクとケインズを総合しよう?というのです。

■「リスク、決定、責任」の一致が重要
1980年代にかけて経済的な変化によてて構造的な転換がおこり、それは「リスク、決定、責任」が重要になった。民間部門でも公共部門でも、事業の決定は「リスクと責任」を負う現場が行うことが最も適切な判断を下せる。「大きな政府」か、「小さな政府」かという問題ではない。

ハイエクが指摘したとおり、中央政府がすべての情報を把握して、これをコントロールをするということは原理的に不可能だ(だからソ連型社会主義は崩壊した)。

ハイエクは、自由市場を成り立たせるためには、中央政府の仕事として、市場が公正に機能する法的枠組みのルールの策定のほか、教育の支援、労働時間の規制、労働環境の維持・向上、公害や環境破壊防止の規制などが必要だとしている。

ハイエクの視点とケインズの施策は矛盾しないのだそうです。
ケインズ的な政策は、インフレターゲットを掲げたり(金融緩和)、財政出動をしたり(財政支出)して、いわば大局的な将来の方向性を示す(「大きな方針を示す政府」)。それを踏まえて、各人が各部署においてリスクを追って決定し、その決定の責任を負うのであれば(ハイエク的発想)、社会と経済はうまく回る、というお話しです。

■ゲーム理論と日本的雇用について
日本的雇用システムについて、日本的民族特性とは関係がないとして、次のように説明しているのも面白かった。


○日本企業=企業特殊的技能形成
日本企業においては、企業特殊的技能が重宝されてきた。だから長期雇用慣行や年工賃儀制度が合理的であった。

○欧米企業=汎用的技能形成
欧米企業では、汎用的技能が尊重されており、職務賃金や労働力の流動化が進む。

それぞれ合理的な制度である(ゲーム理路でいうナッシュ均衡)。

しかし、世界の経済変化やグローバル化によって、企業特殊的技能はもはや強みがなくなった。したがって、この外生条件が変化した以上、日本的雇用システムは変化せざるを得なくなっている。 と明快です。

■松尾教授が望むもの
最終的に松尾教授の望むものは、景気対策としてケインズ政策を行い、また社会政策を担う社会サービスは公的資金に支えられたNPOなどの協同組合的事業にゆだねるというものです。

労働基準や環境基準が高く、ベーシックインカムも高く、雇用のためにインフレターゲットを高め。なるべく多くの分野で利用者や従業者に主権がある事業体が発展し、特に福祉サービスの分野では、公財政が手厚くそれを支えることを望んでいます。

   

過去に書いた松尾教授の本の私の感想

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/02/post-07e.html

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/10/post-b1c8.html

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2014年11月15日 (土)

出生率の数値目標

■出生率の数値目標は非難されることなの?

「出生率1.8の数値目標を設定することは、女性の出産に関する自己決定権を侵害するおそれがあり、戦前の『産めよ殖せよに逆戻りする」という批判的記事を、朝日新聞が掲載しています。朝日らしいですね。

確かに、出産するかどうかは女性の自己決定権が尊重されるべきです。特に、欧米では宗教的理由で人工中絶が厳しく禁止されていたことから、日本以上に女性の権利拡大にとって重要な課題でした。ですから、生殖に関する女性の「自己決定権」が保障されることはまったく、そのとおりです。

しかし、日本では、今のままの出生率が続けば、人口が50年後に8000万人台に減少することは明らかです。労働力人口は今の半分になり、超高齢化社会になる。少しでも少子化のペースを落とす努力をするしかない。

少子化対策には、政府が出生率回復の数値目標をたててるべきでしょう。(もっとも、世界的な観点から見れば、世界人口爆発が問題なのですから、日本の少子化は歓迎すべきことかもしれません。でも、私は日本人なのでやはり考えざるを得ません)。

■「少子化対策」として合意できる施策

出生率回復には、次のような措置をとることは社会的に合意はできるでしょう。

1)男女共通の労働時間制限

2)雇用における女性差別是正措置の徹底

3)妊娠・出産・育児中の女性労働者保護

4)保育園等の増設や子供手当などの出産子育て支援制度の充実


もちろん、これを実施したからと言って、本当に出生率が増加するかどうかは分かりませんが。でも、やらないよりやったほうが良いということで、上記措置に反対する人はそういないでしょう。(財務省あたりは、金がない、外国人移民を受け入れたほうが安上がりで税も増収になると言うでしょうが。)

もとい「次世代の党」は反対しそうですね。でも、いまさら「女性は家庭にもどれ」などという政策はあり得ないでしょう。戦前のように、女性参政権を否定し、民法に「妻は無能力」と定めて家督相続を復活させれば、出生率が回復するのでしょうか。ジョークにもなりません。


■政策は財政措置


「政策」は、
最終的に「財政」が投入されなければ、絵に描いた餅です。結局は、予算配分こそが政治の最重要課題です(あとは人事権)。

上記の出産・子育て支援施策に財政を投入するためには、出生率の数値目標設定が有効でしょう。出生率が回復するまで予算優遇措置が継続できるのです。これを閣議決定すれば、財務省の抵抗を排除できるでしょう。

朝日の記事に出ている学者は、「出産は個人の問題で、数値目標設定は女性に出産を押し付けることになる。政府は関与すべきでない」との趣旨を述べています。そうであれば、出産を援助するような措置自体も問題ということになるはずです。政府が「子供はいらないと思う人たち」から税金を徴収して「自己決定で子供を産み育てる人たち」に税金を余計にまわすこと自体がおかしい。あるいは、子供を産む人(女性)を優遇するのは、それを選択しない選択できない人(女性)の気持ちを傷つけるからおかしいなどということになるはずです。

しかし、人間が生物として存立し、かつ人間社会を成り立たせるためには、人間の再生産(労働力の再生産=生殖と子育て)が大前提です。

「出産・子育て」は、ミクロで見れば、確かに「個人の自己決定権」の問題ですが、マクロで見れば社会的な問題にほかなりません。ですから、「出産・子育て」は社会の共通課題であり、数値目標を設定して、「出産・子育て」を具体的に支援することは政府の当然の責務だと思います。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11454221.html…

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2014年11月 2日 (日)

二つある? 女性活躍推進法

「女性活躍推進法案」は二種類あるようです。

一つは、前回通常国会に上程されて継続審議になっている「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」です。自公議員の議員立法です。

もう一つは、今臨時国会に内閣が提出したの「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」です。

両者の関係は、どうなっているのでしょうかね。政府・与党は、両法案とも成立させるのでしょうか。おそらく前者の法案に代えるものとして、後者の閣法が提出されたのでしょう。

前者の「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」の法的枠組みは画期的なものだと思います。

この法律の基本理念は次のとおりです。

①職業生活その他の社会生活と家庭生活の両立が図られる社会の実現する。
②女性がその有する能力を最大限に発揮できるようにする。
③少子化対策基本法と子ども・子育て支援法の基本理念に配慮する。

第6条は、女性が活躍できる社会環境の整備を行うために、この法律施行後2年以内を目処として次の法制上の措置(立法)をすると定めています。何よりも、第7条にて、残業時間の大幅な短縮をすること、そのために2年以内に立法すると定めるところが画期的です。

(時間外労働の慣行の是正)
第7条 政府は、女性の活躍及び男性の育児、介護等への参加の妨げとなっている職場における長時間にわたる時間外又は休日の労働等の慣行の是正が図られるよう、労働者団体及び事業主団体と緊密な連携協力を図りながら、次に掲げる措置を講ずるものとする。

 一 時間外又は休日の労働に係る労働時間の大幅な短縮を促進すること。

 二 所定労働時間を短縮し、又は柔軟に変更することができる制度の導入、在宅で勤務できる制度の導入その他の就業形態の多様化を促進すること。

(支援体制の整備)
第8条 政府は、女性が人生の各段階における生活の変化に応じて社会における活動を選択し、活躍できるよう、次に掲げる措置を講ずるものとする。
 一 保育、介護等に係る体制の整備及び支援を促進すること。
 二 学校の授業の終了後又は休業日における児童の適切な遊び、生活及び学びの場並びに療育に係る体制の整備を促進すること。
 三 妊娠、出産、育児、介護等を理由として退職を余儀なくされることがないようにするための女性の雇用の継続及びそれらを理由として退職した女性の円滑な再就職を促進すること。
 四 起業を志望する女性に対する支援を推進すること。
 五 社会のあらゆる分野において女性が活躍できるために必要な能力及び態度を養う教育並びに再び学習することができる機会の提供を促進すること。

(税制及び社会保障制度の在り方)
第9条 政府は、女性の就業形態及び雇用形態の選択に中立的な税制及び社会保障制度の在り方について様々な角度から検討し、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。

(指導的地位への女性の登用の促進)
第10条 政府は、平成三十二年までに社会のあらゆる分野における指導的地位にある者に占める女性の割合を三割とすることを目指し、役員、管理職、高度の専門性が求められる職業その他の指導的地位への女性の登用を促進するための措置を講ずるものとする。

(国民の理解及び協力の促進)
第十一条 政府は、社会のあらゆる分野における女性の活躍に寄与した者の顕彰等を通じ、家庭生活における男女の協働及び社会における女性の活躍に関する国民、とりわけ男性の理解及び協力を促進するものとする。

もう一つの「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」は内容が乏しく、長時間労働慣行の是正もうたっていません。これが閣法ですが、自公の議員立法を葬るために作られたものなのでしょうか?

野党やフェミニストは、アベノミクスのために企業が女性を活用しようとする法律だと反対をしています。

また、自民党の右派や次世代の党も反対しています。理由は、「悪しき男女平等を推進する」からだそうです。この右派の男女さんは、信じられないほど「時代錯誤」な人たちというべきか、「さすが保守反動」というべきか(苦笑)。

私は、議員立法の「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」の方が成立すれば一歩前進だと思います。

女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18601038.htm


女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案要綱

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000060536.html

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