2015年1月29日 (木)

ISIS、中東、と日本の「平和主義」

 ISISの日本人殺害・誘拐事件に関して、IISISをどう見るのか、日本はどう対処すべきなのか、左派やリベラル派内での意見が別れているようだ。中東情勢は複雑怪奇、しかもイスラムという日本人には馴染みのない宗教で、ますますわからなくなります。長文ですが、典型的であろうと思われる二つの考えを以下、検討してみます。

(1)   ベトナム戦争との対比

   最初に、左派やリベラル派の「心情」を理解するために昔話を。
 昔ベトナム戦争の時代、ベトコン=南ベトナム解放戦線は、今のイスラム過激派のように、米国や主流派マスコミから、野蛮な過激派として扱われていた。「米軍がベトナムの村の病気の子供たちにワクチンを投与したらベトコンがやってきて、子供たちの腕を全部切り落とした」とまことしやかに報じられていました(コッポラ「地獄の黙示録」)。それでも当時、多くの日本人は、それらをデマと考えて、民族独立を目指すベトコン=南ベトナム解放戦線や北ベトナムを応援していました。

(2)   絶対平和主義・憲法9条派

  日本のリベラル派や左派の一部には、ISISやイスラム過激派をベトコンのように、米国の軍事支配へのレジスタンスと見る気分があるのではないでしょうか。
 イスラム過激派の無差別テロには反対だとしつつも、イスラム過激派の欧米への復讐心や心情に無意識的に同情しているのではないでしょうか。すなわち、「テロや混乱の最大の責任は、石油利権を維持したい欧米諸国とその走狗であるイスラエル、米国に従属する日本政府が負うべきだ」と考えるのです。

  しかも、イスラム過激派が戦うのはシリアのアサド政権をはじめとすると独裁政権と欧米軍です。ISISだけを攻撃すれば、独裁政権や石油利権の維持を図る欧米を助けることになる。これはおかしい。ISISなどイスラム過激派のみを非難し、これと戦う欧米諸国やアラブ諸国を経済的に支援することは間違っている。したがって、「欧米のISISへの空爆の軍事介入には反対すべき」ことになる。

  そして、憲法9条を持つ日本は、《喧嘩両成敗》的に、ISISなどのイスラム過激派に対しても、欧米も周辺アラブ諸国に対しても中立的立場にあるべきだ、ということになります。これで、日本はISISらのイスラム過激派のテロ対象でなくなり、安心・安全だというわけです。

  これはこれで一つの考え方です。「絶対的平和主義」からの論理的帰結でもあります。 しかし、この現状認識で良いのでしょうか。

(3) ISISがどこまで脅威なのか

   確かに、中東の紛争は、歴史をリアルに見れば、常に石油利権をめぐる紛争です。産油地をどの国が、どの勢力が支配するかをめぐる武力闘争です。「誰が正義か」などと問うこと自体が無意味なのかもしれません。

   また、外国の軍事作戦ではイスラム過激派を押さえ込めないことは、ソ連のアフガニスタン侵攻、米国のタリバンとの戦争やイラク戦争の結果から明らかです。まさに泥沼です。欧米の軍事介入は解決どころか、火に油を注ぐような結果をもたらしてきました。

  しかし、だからといって、ISISなどのイスラム過激派の軍事的膨張に対して、国際社会が対抗措置をとらないとでよいのでしょうか? 国連を通じての資金や人道援助だけでISISを阻止できるでしょうか?危険な芽を放置して、より大きな危機を招くのではないでしょうか?

 ISISやイスラム過激派を、世界と人類にとって大きな危険と見るかどうかで、意見が別れそうです。それほどの脅威ではないとなれば、イスラム教徒同士で解決すれば良いことです(石油がなければ、欧米も介入などしないのでしょうが)。でも、今や石油利権を別としても、イスラム過激派は大きな脅威であり、地域住民を迫害しているということは国際的に共通認識になっていると思います。これは彼らの理不尽な無差別テロが証明しました。

(4)  国際重視派

   ISISやイスラム過激派が、報道されているように住民や外国人を苛酷な暴力と恐怖によって支配している以上、アラブ諸国が軍隊でこの武装勢力を攻撃し掃討することは正当でしょう。ISISは野蛮な暴力支配を実施しており、あたかもカンボジアのポル・ポト派のような勢力ではないでしょうか。

 そして、中東の地域国家が弱体で、ISISが強く支配地を拡大するなら、当該地域国家の承認と国連関与の下、米軍などの軍事行動もやむを得ないのではないでしょうか。

  これらが正当なら、憲法9条を持つ日本が国際社会の協力に参加して「軍事援助はしないが、ISISと戦うアラブ諸国へ人道援助をする」こと自体は一つの選択肢でしょう。ただし、日本のこのスタンスの表明はイスラム過激派からの攻撃対象となるリスクがあります(このリスクが現実化したのが今の事態です)。日本政府はイスラム過激派に付け入られたり、口実を与えたりしないような慎重な配慮をする必要がありますが、これは「戦術」問題。

(5)   国際的観点からどちらの政策(「戦略」)を選択すべきでしょうか?

   私は、ISISの非道さ、そしてイスラムの穏健派の人々がISISを強く非難している現状から見ると、国際重視派の立場が妥当だろうと思います。これは、ポル・ポト派の蛮行を排除するためカンボジアに軍事介入したベトナムが正しかったのと同様だと考えます。

(6) 国際情勢の分析と国内の安倍政権評価

 しかし、この国際的観点に、国内の安倍政権への評価や支持・不支持が絡んでくるので、さらに議論が紛糾します。ここでも左派やリベラル派内で意見が割れます。

   典型左派曰わく『安倍首相の危険な狙いを阻止するには徹底的に平和主義で行くべきだ』『国内の政治実践の観点から国際情勢を見るべきだ』『国際重視派の見解は、安倍首相の狙いは戦争に参加できる日本づくりだから、これに利用される利敵行為だ』というものです。

 でも、それでは国際情勢の分析が国内情勢の観点から縛られてしまう。典型的な「一国平和主義」です。国際情勢は、国内政治の都合とは関係なく動いていきますから、国内政治重視だけでは、今後生じるであろう国際情勢の急激な変化についていけないと思うのです(なお、私は将来、中国が経済の高度成長が終わり不景気で国内が混乱した場合には、中国民衆の不満のはけ口として、日本との領土をめぐる軍事衝突にでる危険が高いと思っていますので、国際関係はリアルに見るべきだと思っています)。

   国際重視の視点に立ちつつISISを非難し、他方、国内政治の観点からは安倍政権の暴走を批判するというスタンスをとらないと、中長期的に見て多数の国民の理解を得られないように思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2015年1月27日 (火)

人質事件で安倍首相を「言語道断」という国会議員に思う

ISIS(イスラム国)の日本人拉致人質殺害事件について、安倍首相の対応について批判した民主党や共産党の国会議員らが批判にさらされている。

産経新聞

http://www.sankei.com/politics/news/150127/plt1501270006-n1.html

民主党幹部も議員に「不規則発言をしないように」と注意しています。共産党の議員のツイッターに対しては、共産党の委員長でさえ不適切だと指摘しました。不適切との指摘に同意します。もっとも、共産党委員長の場合には、少し過剰反応かと思います。「議員本人がツイッタ~上でお詫びして削除しているのだから、結果的に適切に対応されている」とコメントすればよかったのにと思いますけどね。

確かに、今、このタイミングで、国会議員がISISのテロ=犯罪行為を利用して、安倍内閣を批判するのは、まさに「 為にする批判」という印象が強いと私も思います。単なる条件反射的反発です。

そもそも、問題の根っこは、小泉首相がイラク戦争の際に「米国の側につく」と高らかに宣言し、大規模な資金援助をし、さらにはイラクやインド洋に自衛隊派遣してきたことから、イスラム過激派から「米英」らと同列におかれて「敵」とされたことにあるわけです。安倍首相だけの問題でない。批判するなら、そこから批判しないといけないし、今は批判を理解してもらうタイミングではない。

今回、安倍首相がイスラエルなど中東を訪問するタイミングをねらって、ISISは人質による要求を出してきたわけですが、それは安倍首相のせいと言うよりも、テロ集団であるISISが自ら最大の効果を狙った結果です。

確かに、安倍首相が、この時期にアラブ諸国だけでなく世界から非難されているイスラエルに訪問して、ISISのテロと対決すると表明したことは、きちんと外交的に分析した上で問題を指摘すべきだと思います。

が、だからといって、この中東訪問が今回のISISの日本人人質事件の直接の原因になったとは言えないでしょう。実際、この訪問前に日本人は拉致されているのですから。ISISは、人質を利用する有効なタイミングを狙っていたわけで、遅かれ早かれ、安倍首相であろうとなかろうと、人質を利用した要求を出したでしょう。

また、政府は、現在、ヨルダンやトルコを通じて日本人解放の対策をとっていると思われます。事柄の性格上、水面下の交渉で内容もわかりませんが、経過が見えないからといって、「政府は何もやっていない」「口先だけだ」と断定する根拠はないと思います。

実際、ISISは、当初の2億ドルの非現実的な身代金要求から、ヨルダンが拘束する自爆テロ犯(死刑囚)との交換要求に変更しました。何らかの説得や交渉が反映していると見るのが素直な見方でしょう。まったく楽観はできないとはいえ、なんらかの交渉が進められて人質解放の望みはまだあるように見えますし、ぜひ、そう期待したいと思います。

米国は、この「身柄の交換自体もテロ犯に対する譲歩だ。禁じられるべき。」と言っています。しかし、米国自身は米軍捕虜と交換にタリバンの幹部を釈放しています。身勝手でしょう。日本政府としては、この米国の指示に屈せずに自国民保護の使命を果たすべきです。

ということで、この段階で、いかに安倍首相を政治的に嫌っていたとしても(私個人は安倍首相の政治スタンスには絶対反対ですが)、国会議員が上記の感情的な一方的なコメントをツイッターにながすことは、所属している政党としては迷惑な話でしょう。

単なる個人のツイッターや批判的ジャーナリストや識者であれば、批判はもちろん自由ですが、政党所属(しかも比例区選出)の国会議員という「組織人」である以上、慎重に検討してから意見をいうべきでしょう。「若さゆえの勢い」から批判したくなる気持ちはわかりますが。

もちろん、私も今回の事態に対して、日本政府のこれまでの外交方針を踏まえて批判すべき点が多々あると思いますが、それは今回の人質事件の推移を見てから批判しても遅くはないし、そのほうが適切だと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2015年1月16日 (金)

シャルリー・エブド過激派テロ事件と「風刺画」に思う

このテロ事件とそれに対する世界の反応を見ると、つくづく複雑な問題だと思う。ヨーロッパ的価値観とイスラムの価値観がまったく異なるから。

 イスラム過激派によるテロに反対することを大前提としても、「表現の自由も限界があり、宗教的権威(特にイスラム教)を配慮して冒涜的な表現は自己規制すべきだ」との立場が日本などでは有力のようだ。イスラム教が偶像崇拝を禁止していることを考慮すれば、尚更だろう。

  この考え方は、私も良く理解できる。

 が、そうなれば、風刺画で「キリスト」への批判や揶揄も許されないことになるのでしょうか。

また、日本では「天皇批判」も許されないことになるのだろうか。昔、「爾臣民麦を食え。余はたらふく食ってるぞ」というプラカードが不敬罪に問われた事件がありました。天皇に対して宗教的敬意をもっている人もいます。これは、彼・彼女らの信仰を冒涜するということになり許されないのでしょうか?勲章を授与された歌手が、これを茶化すパフォーマンスも冒涜にあたり許されないのでしょうか。

 もしそうであれば、北朝鮮の指導者である金氏を冒涜・揶揄する映画も許されないのでしょうか。かの国では国家の尊厳をあらわす指導者とされています(われわれがどう思うかどうかはともかく)。これを暗殺するテーマの映画は、風刺を超えて、テロを推奨するものではないのでしょうか。

  金氏と、キリストやムハマンドのような宗教的権威と一緒にするのは非常識ですか。

 金氏と天皇ならどうでしょうか。天皇とキリストでは?

その区別の基準はどこにあるのでしょうか?

フランスでは、カソリック批判を通じて、個人の自由を確立してきた革命以来の伝統と歴史もあります。ここで自粛をすれば、テロ犯の意図が実現することにもなりかねない、という意見も頭をよぎります。

極めて難しい問題です。結論はなかなか出ません。価値観が異なる共同体間で、合意できるルールはあるのでしょうか。

 大学のころに聞いた「表現の自由の神髄を表す」という格言(?)

「私は君の意見には反対だが、君の意見を言う権利は命をかけて守る」

 表現の内容には賛成しないが、これを権力が禁止したり、過激派が暴力で圧殺したりすることには反対する。自らが転載するかどうかは各自の判断にゆだねられる、という常識線に落ち着く。

 なお、私のこのブログでは、シャルリー・エブドの風刺画は引用する必要がないし適切でもないと考えて引用しません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2015年1月 1日 (木)

謹賀新年

あけましておめでとうございます。2014年を振り返りつつ、2015年の政治を展望します。(笑…にわか政治評論家)

■自分のブログの閲覧数トップ10

2014年のブログでの閲覧回数が多かったトップ10の記事は次のとおりでした。

 読書日記「絶望の裁判所」瀬木比呂志著

② 2013年司法試験と予備試験

③ 日本の労働時間-未だに長時間労働社会

④ 有期契約を理由とする不合理な労働条件の禁止(労働契約法20)

⑤ 読書日記「法服の王国」黒木亮著

⑥ 有期社員の差別是正を求める裁判提訴(労契法20条訴訟)

⑦ 改正労働契約法20条の活用と菅野説批判

⑧ 国家戦略特区-福岡市は「解雇規制緩和」特区を提案していた

⑨ 「悪いのは僕だけじゃない」-終戦の日に思ったこと

⑩ 「左翼小児病」

 

時事ネタでなく、①「絶望の裁判所」や⑤「法服の王国」の読書日記が上位なのが意外でした。

 

■2014年の五大ニュース

 私が考える2014年の重大ニュースは次の5つです。このインパクトが2015年に大きな影響をもたらすように思います。

  ウクライナ危機-ロシアのクリミア併合

 →ロシアの欧米との対立・ロシアの孤立

 イスラム国の勢力拡大

 →中東の不安定化・イランの存在感

 中国の南沙諸島への勢力拡大・東シナ海(尖閣諸島上空)の防空識別圏設定

 →中国の大国化=東アジア中国勢力圏化

 安倍内閣の集団的自衛権の解釈変更

 →「戦争ができる国」の体制整備

 安倍内閣の201412月総選挙勝利

 →政権安定基盤の獲得


中国は、南シナ海と東シナ海の勢力圏造りを強めています。

ロシアと欧米の対立が深まり、ロシアが反発を強めることは必至。

イスラム国勢力拡大で中東はより不安定化していくことでしょう。

結果的に、米国の世界への影響力が後退することになります。そこで、米国は日本との経済・軍事同盟(TPPと日米安保)をより強めたい。

安倍首相は、これを好機として、再び戦前のように国際舞台のメイン・プレイヤーとして登場したい。ところが、米国は安倍首相に期待したいけど彼の歴史修正主義に不安に思っている。

■2015年以後

今年は第2次世界大戦終結70周年。安倍首相は欧米から「歴史修正主義者」として警戒されています。安倍首相は、各国の第2次世界大戦終結記念行事に参加し、欧米の不安感を払拭することに躍起になるでしょう。それが成功するかどうか。

国内では、「アベノミクス」が効果をあげると見られるかどうかです。経済政策は「結果責任」であり、言い訳は通用しません。今年は「論争」ではなく、経済統計による「検証」が問われるでしょう。この数値結果が悪いと安倍首相は窮地におちいります。

安倍首相にとって、2015年は正念場でしょうねえ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年12月26日 (金)

2014年総選挙の「民意」の有りどころ

今年の衆議院選挙の評価、「議席数」は小選挙区制で歪められているので、議席数を見ては「民意」が分からない。衆議院比例区の「投票率」、「得票率」、「得票数」によって、国民の政党の支持の変化を判断するのが一番、わかるはずです。

2012年と2014年の総選挙を比較すると次のとおり。

 

【衆議院比例区】

 2012年    2014年

投票率    59     52
自民党  27.6(1662)     33.0(1765)
民主党  15.9(962)      18.3(977)
維新    20.3(1262)     15.7(838)
公明党  11.8(711)      13.7(731)
共産党  6.1(368)       11.4(606)
社民党  2.3(142)        2.4(131)
次世代    2.6(141)
生 活    1.9(102)

「勝者」は、自民党と共産党。

「敗者」は、維新と次世代

自民党は、投票率が低いとはいえ、比例区の得票率は33%の得票率です。議席占有率よりも低い。しかし、前回27%より5%アップし、しかも100万票を上積みしています。総議席を減らしたとはいえ「勝利」でしょう。

民主党は、比例区は前回よりも2.4%アップで18.3%となり少し回復したように見えますが、得票数は15万人増えただけ。「踏みとどまった」だけです。

維新は、比例の得票率が20.3%から15.7%に減少し、400万票の減少ですから、議席数にかかわらず「敗北」でしょう。

公明党は得票率を2%アップしていますが、得票数はほぼ変わらずで「現状維持」です。

共産党は得票率も2倍近く増加し、250万票を上積み。「大勝利」でしょう。この政党が将来、政党名をかえて、共産主義から欧州社民路線、非武装中立をやめて「専守防衛」路線になれば、けっこう大きな政党になるかもしれません。

社民党はほぼ同じ。共産党が伸びているのに、なぜ社民党は伸びないのか? 「敗北」でしょう。社民党は性的少数者保護やジェンダーフリー提唱など「市民的リベラル」を売りにしているのですが、なかなか選挙の結果には繋がらないですね。

次世代は、比例で2.6%の得票率で得票数141万。社民党程度の勢力を持っている。右派の国民の票が自民と維新にもとられて、次世代は存在感が示せなかった。田母神氏が都知事選で60万票をとったので、もっと増えるかと思いましたが「大敗」です。この日本版ネオナチ・極右政党が国民の支持を受けずに消えてしまえば良いのですが、維新がリベラル色を強めると、また息を吹き返すかもしれません。

総括すれば、安倍自民党への国民の信任は続いており、もうしばらくアベノミクスの様子を見ようということでしょう。少なくとも民主党の経済政策よりも、アベノミクスを国民は評価している。集団的安全保障や原発再稼動、沖縄倍軍基地問題などは多数派日本人の投票行動には影響を与えない

小選挙区のおかげで、自民党・公明党は議席3分の2を維持している。しかし、国民の支持は比例区選挙結果から見れば圧倒的とは言えない。このギャップを軽視して、自民党が政権運営を誤ると次回は勝利できるかどうか分からないですね。

安倍首相は自信を深めて、2016年参議院選挙で衆議院同時選挙を視野にいれているとの観測があります。10%への消費税値上げ前に、総選挙をして自民党単独3分の2を狙うということでしょうか。


それには何よりも「景気」がどうなるか次第です。景気が悪くなったときには、政権が選挙に勝つことは困難です。
今回、安倍首相は、消費税増税により景気悪化するぎりぎりの局面で、解散総選挙の賭けに打って出て勝利。2016年の参議院選挙は10%消費税アップ前です。今回、安倍首相は2016年秋には必ず10%アップすると断言しました。でも、景気が悪いとウルトラCとして消費税アップ再延期を打ちだすかも?

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

韓国の憲法裁判所が政党解散命令

■「先進国 韓国の憂鬱」の続き

韓国の憲法裁判所が「統合進歩党」を、北朝鮮の「手先」で自由民主主義体制を転覆しようとしたと認定して解散を命じたそうです。

韓国の東亜日報[社説]

憲法裁、大韓民国破壊勢力の統進党に鉄槌を下した

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2014122012758

憲法裁判所が、憲政史上初の政党解散請求事件で統合進歩党(統進党)の解散決定を下した。朴漢徹(パク・ハンチョル)所長をはじめとする裁判官8人が容認、1人が棄却の圧倒的多数の決定だ。中道や進歩的と言われる裁判官まで統進党の目的と活動が民主的な基本秩序を深刻に害していると判断した。

大韓民国憲法を見ると政党について次のように定めています。この4項に基づき、「政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違背するとき」に憲法裁判所は解散を命じたものです。

第8条

① 政党の設立は自由であり、複数政党制は保障される。

② 政党は、その目的、組織及び活動が民主的でなければならず、国民の政治的意思形成に参与するのに必要な組織を有しなければならない。

③ 政党は、法律が定めるところにより、国の保護を受け、国は、法律が定めるところにより、政党運営に必要な資金を補助することができる。

④ 政党の目的又は活動が、民主的基本秩序に違背するときは、政府は、憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は、憲法裁判所の審判により解散される。

統合進歩党(国会議員5名)が、どういう政党なのかは、私は知りませんでした。

ネット情報によれば、「進歩的民主主義」を唱えて、労働者保護や財閥批判、米国批判を展開している左翼政党ということです。他方、北朝鮮の独裁については明確に批判しないというスタンスだったようです。そして、この統合進歩党の党員が武装組織(RO)を作っていたことは事実のようです。ただ、東亜日報の社説だとそれを首謀したとして内乱陰謀で起訴された統合進歩党国会議員は二審で証拠不十分で無罪となっています。韓国の裁判所の下級審はリベラルな裁判官が多く、憲法裁判所は年配の保守的な裁判官が多いという指摘を聞いたことがあります。


■「たたかう民主主義」

自由民主主義を破壊するファシスト政党・ネオナチや共産主義政党を解散させるのは旧西ドイツの姿勢でした。東西冷戦が激しいころ、1956年に西ドイツ裁判所がドイツ共産党違憲判決を出したことは有名です。

「アカの手先」、「非国民」、「ファシスト」とか「人民の的」というレッテル
で、時の政府が批判勢力を弾圧した例は、古今東西、よくあることです。


日本の治安維持法による弾圧、スターリニズムの弾圧・粛正、米国のマッカーシズムなどなど。



成熟した立憲主義国家では、「民主的基本秩序に違背するとき」という漠然とした基準によって政党を解散させるのではなく、自由な批判のもとで国民の選択に委ねられるべきと考えられています。

政党などの団体の解散命令が例外的に認められるとしても、それは破壊活動などの暴力行為が現実的で明白な具体的な危険が立証される場合に限られるとするのが立憲主義の立場でしょう。


韓国の場合、それほど切迫した危険な状態だったのでしょうかねえ。


韓国の民主化を、横から見てきた私としてはちょっと意外でした。冷戦時代への逆戻り、昔の軍政韓国みたいとの印象を持ちました。「先進国」なのに。

もっとも、今の日本でも、破壊活動防止法で暴力主義的破壊活動を行う団体に対しては、公安審査委員会が解散を決定することができるとなっています。将来は人ごとではなくなるかもしれませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年12月14日 (日)

読書日記「先進国・韓国の憂鬱」大西裕著 中公新書

2014年4月発行、2014年12月14日読了
■先進国としての韓国
 先進国とは、大辞泉によると「政治・経済・文化などが国際水準から見て進んでいる国」と定義されています。経済的に見れば2013年統計で韓国が次のとおり先進国であるのは明らかです。なお、韓国の人口は約5000万人で、日本のほぼ半分です。

名目GDP比較(10億USドル)
1位  米国  16,768
2位   中国    9,469
3位   日本     4,898
14位  韓国    1,304

一人当たりの名目GDP(USドル)
9位   米国  53,000
24位 日本   38,467
30位 韓国  25,975
83位 中国   6,958

 また、韓国は、政治的にみても、1987年の民主化により立憲民主主義体制が確立しています。文化的にも、例えば韓国映画の水準が高いことから見て、国際的にも進んだ国です。

■金大中政権以降の韓国現代政治

 本書は金大中大統領時代から現在まで、政治的対立状況や福祉政策の変遷を概観した韓国比較政治史です。韓国と日本の異質性よりも、韓国が抱える社会問題と、日本が直面する社会問題に共通性があると感じました。

■格差社会-韓国
 本書によると、OECD加盟国(31国、米・豪・露・墨を除く)で、不平等度合い(ジニ係数)で見ると韓国は20位、日本が6位で日本のほうが不平等社会です。相対貧困率で言うと韓国は6位で、日本が4位です。この格差社会を生み出し原因については、通説は次のとおり説明します。

 韓国の経済格差の深刻化したのはアジア通貨危機の際に韓国に緊急融資を提供したIMFが韓国に新自由主義改革を強要し、市場への政府の介入を最小限にとどめて、市場原理を貫徹した新自由主義改革による。韓国経済は競争が激しくなり、生産性が向上したため韓国経済を浮上させて、先進国へとはばたかせた。
 しかしながら、競争は優勝劣敗を引き起こさざるを得ず、経済格差を生み出した。金大中政権は、本来は進歩的であったが、IMFの強要でやむを得ず改革を行い、進歩的な政策を封印した。続く盧武鉉政権も同様であった。

 著者は、この通説を誤りとするわけではありませんが、「進歩派」とされた金大中政権も、盧武鉉政権も、必ずしも福祉と経済の自由化を矛盾するものととらえていなかったしとします。著者は、韓国の政治対立状況には、激しいイデオロギー対立があるとします。

■韓国の「進歩派と保守派」
 韓国での進歩派(左派)と保守派(右派)の対立は、日本と同様です。

 進歩派は、自由競争の結果、勝者と敗者が生まれ、国民間に不平等が広がることを懸念し、所得の再配分など政治の介入でより平等な世界を作ろうとする。他方、保守派は、政府の市場への介入が経済力を削ぐことを懸念し、企業の経済活動の自由をできるだけ広く認める。
 ほとんどの先進国で進歩派と保守派の対立は現在でも存在する。…ところが、韓国では、この対立が今なお先鋭化した状態にある。韓国におけるイデオロギー対立は、経済活動以上に、主権と民族に関する考え方の違いとして表れている。

 この主権と民族の考え方とは、 「進歩派」はアメリカとの同盟は韓国の主権侵害であり、民族分断を固定化させることにつながったと考え、他方、「保守派」は、独裁的な北朝鮮から韓国を守ってくれたのがアメリカと考える。つまり、反米・親北朝鮮が「進歩派」、親米・反北朝鮮が「保守派」なのだそうです。

 米ソ冷戦の終結から、上記のようなイデオロギー対立は、日本ではだいぶ影をひそめています。1980年前半以前は、日本でも「革新=進歩派」である社会党・共産党と「保守」の自民党の対立で、すくなくとも前者が3分の1の勢力を保ち、両者が拮抗する状態でした。今とは大違いです。しかし、 今や「革新派」は消滅寸前で、かわって「保守派」が大きくなって別れて(自民、民主、維新)、今や自民党が保守一強になっています。

■韓国の進歩派・「三八六世代」の特徴

 韓国の政治状況のもう一つの特徴は、地域主義が強く政党支持率や投票率も地域主義に影響を受けていた点だそうです。

 ところが、1987年の民主化以降、この状態が変わったと言います。それを牽引したのが、「三八六世代」とは、一九六〇年代生まれ、八〇年代に大学生、二〇〇〇年代に三〇歳代の世代を指すそうです。彼らが一九八七年の民主化の最前線を担い、二〇〇〇年以降の韓国の政治・経済をひっぱる主力の世代でした。この世代は、ナショナル・アイデンティティにこだわりがあったそうです。

 本書によれば、「北朝鮮は、反植民地・反日闘争を繰り広げて一応自力で独立をかちとっが、韓国は米国の強い関与で建国し、独立後も米国の半植民地状態におかれた傀儡国家で、自主独立の北朝鮮のほうが民族としての正統性に根ざしているのではないか」というナショナル・アイデンティティに関わる疑念が若い世代をとらえていたそうです。
(韓国の建国には「神話」のようなものがないということでしょうか。「李氏朝鮮」との連続性もないからでしょうか。これは初耳でした。)


 そこで、「進歩派」は親北朝鮮・反米的になり、他方、保守派は、反北朝鮮・親米的ということになったのだそうです。

■金大中政権や盧武鉉政権の政策

 進歩派が主力の金大中政権や盧武鉉政権は、政労使合意で福祉政策をすすめようとしたが、労使の対立が激しくなり、中途半端な政策にしか進まなかった。
 この結果、両政権とも、労働者側からは不十分・裏切りとして批判され、使用者側からは過度な政府介入だと批判されるというものになったといいます。結局、盧武鉉政権の導入した福祉政策は、社会民主主義的な福祉政策だが、その給付水準は低いものにとどまったといいます。
 他方、盧武鉉政権は、進歩派が担う政権だったにもかかわらず、米韓FTAを批准して親自由主義的な貿易自由化をすすめようとしました。盧武鉉大統領自身は、FTAによる市場開放によって、企業も人も生産性をあげることで福祉も生産性も向上させることを目指したという。いわばドイツ社民党やイギリス労働党の「第三の道」だったようです。しかし、これは進歩派支持者の目には「裏切り」と映り、社会的合意を得られないまま失敗に帰したようです。

■個人的な韓国体験
 韓国には、2010年前後に2回ほど調査旅行に行ったことがあります(初めて韓国に行ったのは2002年日韓ワールドカップですが、10年経て大分かわっていた)。弁護士会の関連調査です。韓国の弁護士会や、日本の厚生労働省である雇用労働部、中労委、裁判所の方々にお会いしてお話しをお聞きする機会がありました。今から思えば応対していただいた多くの方は「三八六世代」のようです。

 韓国でも司法改革が行われて国民参与裁判やロースクールが導入されており、その調査のために訪韓したのです。弁護士会の役員の方とは、夜一緒に食事をしたり呑んだりもしました。夜楽しく呑んで親しくなると、日本に留学された韓国弁護士が「日本の裁判員裁判はアメリカの陪審制を修正して時間をかけて導入されたが、韓国の場合には、アメリカの言うがままだ」と愚痴ってました。
 私は「イヤイヤそんなことはありません。日本でも同じような批判がありますよ。でも旧来の職業裁判官の刑事裁判よりかは良いんじゃないでしょうか?」って、日本でいるのと同じような議論をしたのを覚えています。

 また、非正規労働者保護法などの実体法は、韓国は日本より先に行っています。その労働法について、韓国でも菅野和夫「労働法」を労働弁護士は読みこなしているとも聞きました。調査で訪れた憲法裁判所では、京大への留学経験がある若手の裁判所調査官から、韓国の労働法や社会システムについて色々なレクチャーを受けることができました。韓国では、労働者の平均勤続年数は6~7年と短いこと、賃金は年功序列制だが、実際には40歳くらいになると労働者は辞めて自営業者になること、韓国では自営業者の比率が高いことなど、日本とは異なる雇用実態があるようです。

 でも、ソウルの地下鉄で移動し、コンビニで弁当やお茶を買うときには、すべて交通系の磁気カードで済ませることができるのです。日本にいるのとまったく同じ感覚で生活できます。

■日本と韓国の比較の重要性

 日本と韓国とも、格差社会や少子化などの課題に直面しています。両国の社会実態は異なりますが、それぞれ様々な政策や法律が施行されて、その結果、どのような効果や影響を生むのか。政治状況を含めて韓国をよく知ることは、日本にとって大いに参考になるように思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年12月 9日 (火)

「より悪くない方」という政治選択基準の当否

大学生1年のとき、ゼミの指導教授が、「政治というのは、Less worthで良いのだ。best  を求めると悪い結果を招く」と言っていました。

若かった私は、「つまんない教授だなあ。理想をもとめないと意味が無いではないか」と思ったものです。でも、私も齢50をすぎる頃から、「より悪くない方を選ぶ」のは懸命な策だと理解するようになりました。
先日、東京新聞のコラムで、山口二郎教授が、「鼻をつまんで投票を」って書いていました。

自民党が圧勝する情勢の中で、嫌いな政党であっても、よりマシな政党に投票しようという呼びかけです。要するに、民主党ブレーンの山口教授は、「気にくわなくても、よりマシな民主党にいれてね」っていう意味なのでしょう。
もっとも民主党がよりマシかどうかが問題なのですが。
民主党の海江田党首がテレビ演説で「消費増税反対」とか「集団的自衛権の閣議決定撤回」とか言っても、どうしても「よく言うよ。野田政権のときに民主党が賛成したのに。」と思ってしまうので、よりマシとも思えない。

民主党が人気をとりもどすには民主党政権のふがいなさを忘れるだけの年月が必要なんでしょう。時間が解決するのを待つしかないのかもしれません。
でも「よりマシ」でなく、「より悪くない」の基準で考えると民主党は選択対象に含まれます。
そこで、主な選択肢は、民主党、又は維新の党、あるいは共産党かということになります。他に、次世代の党とか社民党とかありますが、候補者が少ないので検討対象外とします(他意はありませんので、あしからず)。
小選挙区制では比例区とちがって共産党は絶対に死票になりますので選択対象外。選択肢としては、民主党、あるいは維新の党ということになります。
「自民党か、維新の党か」という選択肢になると、私にとっては悩ましい正に究極の選択です。
私個人は、維新の党の橋下代表について「あまりに品性を欠く、最悪なポピュリスト政治家」と思っていますので、彼だけには国会や国政に対する影響力を持たせたくないと心底思っています。
そうなると、「より悪くない方」という基準で考えると、まだ自民党のほうがマシに思えてしまうので困っています。

維新の党でなく、自民党に入れるしかない? 
うーん。死票覚悟で共産党に入れるしかない? 
より悪くない方を選択するのも難しいですな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年11月24日 (月)

読書日記「ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼」松尾匡著

PHP新書

2014年11月発行
2014年11月25日読了
■マルクス解釈が面白い松尾匡教授の本です。

松尾教授によれば、アベノミクスについては、消費税値上げまではアベノミクスの第一と第二の矢は基本的にはうなくいっていた(左派でありながら、これを主張しているので形見が狭かったとか)。しかし、安倍政権は、金融緩和だけでインフレターゲットを目指しており、財政出動を抑えており十分な効果をあげていない。と指摘します。

松尾教授は、労働側が「量的金融緩和」と「財政支出」自体に反対するのではなく、金融緩和マネーで社会政策的な財政支出をするようにと要求すべきだと言います。

他方、アベノミクスの第三の矢と呼ばれる「成長戦略』は、新自由主義政策で、「公的事業の民営化」や「小さな政府」、「労働の規制緩和」を目指すものだとして反対すべきだとしています。

この時事ネタよりも、この本の特徴は次の点です。
不倶戴天の敵同士と思われるハイエクとケインズを総合しよう?というのです。

■「リスク、決定、責任」の一致が重要
1980年代にかけて経済的な変化によてて構造的な転換がおこり、それは「リスク、決定、責任」が重要になった。民間部門でも公共部門でも、事業の決定は「リスクと責任」を負う現場が行うことが最も適切な判断を下せる。「大きな政府」か、「小さな政府」かという問題ではない。

ハイエクが指摘したとおり、中央政府がすべての情報を把握して、これをコントロールをするということは原理的に不可能だ(だからソ連型社会主義は崩壊した)。

ハイエクは、自由市場を成り立たせるためには、中央政府の仕事として、市場が公正に機能する法的枠組みのルールの策定のほか、教育の支援、労働時間の規制、労働環境の維持・向上、公害や環境破壊防止の規制などが必要だとしている。

ハイエクの視点とケインズの施策は矛盾しないのだそうです。
ケインズ的な政策は、インフレターゲットを掲げたり(金融緩和)、財政出動をしたり(財政支出)して、いわば大局的な将来の方向性を示す(「大きな方針を示す政府」)。それを踏まえて、各人が各部署においてリスクを追って決定し、その決定の責任を負うのであれば(ハイエク的発想)、社会と経済はうまく回る、というお話しです。

■ゲーム理論と日本的雇用について
日本的雇用システムについて、日本的民族特性とは関係がないとして、次のように説明しているのも面白かった。


○日本企業=企業特殊的技能形成
日本企業においては、企業特殊的技能が重宝されてきた。だから長期雇用慣行や年工賃儀制度が合理的であった。

○欧米企業=汎用的技能形成
欧米企業では、汎用的技能が尊重されており、職務賃金や労働力の流動化が進む。

それぞれ合理的な制度である(ゲーム理路でいうナッシュ均衡)。

しかし、世界の経済変化やグローバル化によって、企業特殊的技能はもはや強みがなくなった。したがって、この外生条件が変化した以上、日本的雇用システムは変化せざるを得なくなっている。 と明快です。

■松尾教授が望むもの
最終的に松尾教授の望むものは、景気対策としてケインズ政策を行い、また社会政策を担う社会サービスは公的資金に支えられたNPOなどの協同組合的事業にゆだねるというものです。

労働基準や環境基準が高く、ベーシックインカムも高く、雇用のためにインフレターゲットを高め。なるべく多くの分野で利用者や従業者に主権がある事業体が発展し、特に福祉サービスの分野では、公財政が手厚くそれを支えることを望んでいます。

   

過去に書いた松尾教授の本の私の感想

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/02/post-07e.html

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/10/post-b1c8.html

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2014年11月15日 (土)

出生率の数値目標

■出生率の数値目標は非難されることなの?

「出生率1.8の数値目標を設定することは、女性の出産に関する自己決定権を侵害するおそれがあり、戦前の『産めよ殖せよに逆戻りする」という批判的記事を、朝日新聞が掲載しています。朝日らしいですね。

確かに、出産するかどうかは女性の自己決定権が尊重されるべきです。特に、欧米では宗教的理由で人工中絶が厳しく禁止されていたことから、日本以上に女性の権利拡大にとって重要な課題でした。ですから、生殖に関する女性の「自己決定権」が保障されることはまったく、そのとおりです。

しかし、日本では、今のままの出生率が続けば、人口が50年後に8000万人台に減少することは明らかです。労働力人口は今の半分になり、超高齢化社会になる。少しでも少子化のペースを落とす努力をするしかない。

少子化対策には、政府が出生率回復の数値目標をたててるべきでしょう。(もっとも、世界的な観点から見れば、世界人口爆発が問題なのですから、日本の少子化は歓迎すべきことかもしれません。でも、私は日本人なのでやはり考えざるを得ません)。

■「少子化対策」として合意できる施策

出生率回復には、次のような措置をとることは社会的に合意はできるでしょう。

1)男女共通の労働時間制限

2)雇用における女性差別是正措置の徹底

3)妊娠・出産・育児中の女性労働者保護

4)保育園等の増設や子供手当などの出産子育て支援制度の充実


もちろん、これを実施したからと言って、本当に出生率が増加するかどうかは分かりませんが。でも、やらないよりやったほうが良いということで、上記措置に反対する人はそういないでしょう。(財務省あたりは、金がない、外国人移民を受け入れたほうが安上がりで税も増収になると言うでしょうが。)

もとい「次世代の党」は反対しそうですね。でも、いまさら「女性は家庭にもどれ」などという政策はあり得ないでしょう。戦前のように、女性参政権を否定し、民法に「妻は無能力」と定めて家督相続を復活させれば、出生率が回復するのでしょうか。ジョークにもなりません。


■政策は財政措置


「政策」は、
最終的に「財政」が投入されなければ、絵に描いた餅です。結局は、予算配分こそが政治の最重要課題です(あとは人事権)。

上記の出産・子育て支援施策に財政を投入するためには、出生率の数値目標設定が有効でしょう。出生率が回復するまで予算優遇措置が継続できるのです。これを閣議決定すれば、財務省の抵抗を排除できるでしょう。

朝日の記事に出ている学者は、「出産は個人の問題で、数値目標設定は女性に出産を押し付けることになる。政府は関与すべきでない」との趣旨を述べています。そうであれば、出産を援助するような措置自体も問題ということになるはずです。政府が「子供はいらないと思う人たち」から税金を徴収して「自己決定で子供を産み育てる人たち」に税金を余計にまわすこと自体がおかしい。あるいは、子供を産む人(女性)を優遇するのは、それを選択しない選択できない人(女性)の気持ちを傷つけるからおかしいなどということになるはずです。

しかし、人間が生物として存立し、かつ人間社会を成り立たせるためには、人間の再生産(労働力の再生産=生殖と子育て)が大前提です。

「出産・子育て」は、ミクロで見れば、確かに「個人の自己決定権」の問題ですが、マクロで見れば社会的な問題にほかなりません。ですから、「出産・子育て」は社会の共通課題であり、数値目標を設定して、「出産・子育て」を具体的に支援することは政府の当然の責務だと思います。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11454221.html…

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2014年11月 2日 (日)

二つある? 女性活躍推進法

「女性活躍推進法案」は二種類あるようです。

一つは、前回通常国会に上程されて継続審議になっている「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」です。自公議員の議員立法です。

もう一つは、今臨時国会に内閣が提出したの「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」です。

両者の関係は、どうなっているのでしょうかね。政府・与党は、両法案とも成立させるのでしょうか。おそらく前者の法案に代えるものとして、後者の閣法が提出されたのでしょう。

前者の「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」の法的枠組みは画期的なものだと思います。

この法律の基本理念は次のとおりです。

①職業生活その他の社会生活と家庭生活の両立が図られる社会の実現する。
②女性がその有する能力を最大限に発揮できるようにする。
③少子化対策基本法と子ども・子育て支援法の基本理念に配慮する。

第6条は、女性が活躍できる社会環境の整備を行うために、この法律施行後2年以内を目処として次の法制上の措置(立法)をすると定めています。何よりも、第7条にて、残業時間の大幅な短縮をすること、そのために2年以内に立法すると定めるところが画期的です。

(時間外労働の慣行の是正)
第7条 政府は、女性の活躍及び男性の育児、介護等への参加の妨げとなっている職場における長時間にわたる時間外又は休日の労働等の慣行の是正が図られるよう、労働者団体及び事業主団体と緊密な連携協力を図りながら、次に掲げる措置を講ずるものとする。

 一 時間外又は休日の労働に係る労働時間の大幅な短縮を促進すること。

 二 所定労働時間を短縮し、又は柔軟に変更することができる制度の導入、在宅で勤務できる制度の導入その他の就業形態の多様化を促進すること。

(支援体制の整備)
第8条 政府は、女性が人生の各段階における生活の変化に応じて社会における活動を選択し、活躍できるよう、次に掲げる措置を講ずるものとする。
 一 保育、介護等に係る体制の整備及び支援を促進すること。
 二 学校の授業の終了後又は休業日における児童の適切な遊び、生活及び学びの場並びに療育に係る体制の整備を促進すること。
 三 妊娠、出産、育児、介護等を理由として退職を余儀なくされることがないようにするための女性の雇用の継続及びそれらを理由として退職した女性の円滑な再就職を促進すること。
 四 起業を志望する女性に対する支援を推進すること。
 五 社会のあらゆる分野において女性が活躍できるために必要な能力及び態度を養う教育並びに再び学習することができる機会の提供を促進すること。

(税制及び社会保障制度の在り方)
第9条 政府は、女性の就業形態及び雇用形態の選択に中立的な税制及び社会保障制度の在り方について様々な角度から検討し、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。

(指導的地位への女性の登用の促進)
第10条 政府は、平成三十二年までに社会のあらゆる分野における指導的地位にある者に占める女性の割合を三割とすることを目指し、役員、管理職、高度の専門性が求められる職業その他の指導的地位への女性の登用を促進するための措置を講ずるものとする。

(国民の理解及び協力の促進)
第十一条 政府は、社会のあらゆる分野における女性の活躍に寄与した者の顕彰等を通じ、家庭生活における男女の協働及び社会における女性の活躍に関する国民、とりわけ男性の理解及び協力を促進するものとする。

もう一つの「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」は内容が乏しく、長時間労働慣行の是正もうたっていません。これが閣法ですが、自公の議員立法を葬るために作られたものなのでしょうか?

野党やフェミニストは、アベノミクスのために企業が女性を活用しようとする法律だと反対をしています。

また、自民党の右派や次世代の党も反対しています。理由は、「悪しき男女平等を推進する」からだそうです。この右派の男女さんは、信じられないほど「時代錯誤」な人たちというべきか、「さすが保守反動」というべきか(苦笑)。

私は、議員立法の「女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案」の方が成立すれば一歩前進だと思います。

女性が活躍できる社会環境の整備の総合的かつ集中的な推進に関する法律案

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g18601038.htm


女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案要綱

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000060536.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年10月 6日 (月)

労働時間とマルクス

■新たな労働時間制度 残業代ゼロ制度

 
 久しぶりに労働法テーマを。
 新しい労働時間制度が労働政策審議会で検討されています。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000059561.pdf

 要するに一定の範囲の労働者について労働時間規制を外すというものです。いわゆる「残業代ゼロ制度」の導入。
 対象となる管理職の多くは、「名ばかり管理職」なのですが、実際には企業は残業代を支払っていません。そこで、使用者側の本当の狙いは、管理職になれないが比較的に高年収の労働者層の残業代ゼロです。この対象となる労働者層(高年収のホワイトカラー)の多くは、年2500時間を超える長時間労働を働いている層です。
 使用者側の狙いはコスト削減「長時間働かせても残業代を支払わないでもすむ便利な制度が欲しい」という身も蓋もない要求です。労政審の公益や厚労省は、さすがに、これでは不味いので、なんとか味付けしたり、修正しようとしているというのが構図でしょう。もちろん労側は反対。


■マルクス「賃金、価格および利潤」


 「若者よ マルクスを読もうⅡ」(内田樹・石川康宏著 かもがわ出版)を読みました。
 今回の検討著作は、「フランスにおける階級闘争」、「ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日」、そして「賃金、価格および利潤」です。マルキシアン・内田氏とマルキスト・石川氏との対談と往復書簡です。マルキシアンとマルキストについては別に感想を書きたい。今回、書くのは労働時間のことです。
 
 「賃金、価格および利潤」で、マルクスは労働時間について次のように述べています。

時間は人間の発達の場である。いかなる自由な時間を持たない者、睡眠や食事などによる単なる生理的中断を除いて、その全生涯が資本家のための労働に吸い取られている人間は、役畜にも劣る。彼は単に他人の富を生産するための機械にすぎないのであり、体は壊され、心は荒れ果てる。だが、近代産業の全歴史が示しているように、資本は、阻止されないかぎり、しゃにむに休むことなく労働者階級全体をまさにこのような最大限の荒廃状態に投げ込むことだろう」(光文社古典新訳文庫版)

 日本で1985年頃、労働時間の弾力化の労基法改正がはじまったときから、「もう工場法の時代ではない。マルクスの描いた労働者像は過ぎ去った過去だ」と言われて続けてきました。しかし、いわゆる「ブラック企業問題」や「メンタル・ヘルス労災」の深刻化を見ると、1865年にマルクスが国際労働者協会総評議会で講演した「賃金、価格および利潤」の指摘はまだ有効のようです。


■「残業代ゼロ」から「残業ゼロ」へ


 使用者側は、残業代ゼロにして、長時間労働をさせたいのが本音。労働者側は、長時間労働をさせるなら残業代をきちんと払えというのが要求。
 マルクスの見地からは、さらに進めて「残業ゼロ」を実現して、「人間の自由な発展の時間を確保する」ことこそが「革命的労働者階級」(懐かしいフレーズ・笑)の要求だということになりますか。

 でも、なぜ日本では労働時間規制と労働時間短縮がすすまないのか。
 「労働運動が弱いから」という政治的分析や、「メンバーシップ契約だから労働時間が無制限だ」という契約論的(?)分析ではなく、社会科学的分析を聞いて(読)みたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年10月 5日 (日)

日本国憲法9条を持つ日本国民にノーベル平和賞?

■憲法9条がノーベル平和賞の有力候補だって?

一主婦がはじめた「日本国憲法9条にノーベル平和賞を」という運動により、日本国憲法9条をもつ日本国民がノーベル平和賞にノミネートされ、しかも有力候補との報道があります。

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NCUHY36KLVRD01.html

この発案者のアイデアがユニークで面白い。発案者は、憲法9条改正反対の立場からの発案でしょう。私も、この運動に賛同署名しました。10月10日に発表だそうです。

ノーベル平和賞は、ノルウェイー国会が選出した5名の国会議員で構成されたノルウェイ・ノーベル委員会で決定される。ロイターの報道では、現在の委員は、保守派議員が2名、中道左派議員が3名とのことである。現在の委員会は、オバマ大統領やEUに平和賞を授与している。ノルウェイー外交のアピールや委員の政治色が反映される傾向があるらしい。

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKCN0HS0HE20141003

■それは無理だと思う理由

ノーベル平和賞が授与されることはない、と私は予測していました。

一つは、現在、憲法9条改正は日本で政治的な論点であり、ノーベル平和賞を授与することは内政干渉になりかねないからです。政府自民党が憲法改正案を決めて憲法9条の改正を宣言し、読売や産経などのメディアも憲法9条改正を訴え、国民の半数近くが憲法9条改正に賛同していますから。ノルウェイは、慎重になるはず。

二つは、日本国民にはノーベル平和賞を授与される資格がないと思うからです。日本国民の多くは日米安保条約を容認し核の抑止力を享受してきたこと、しかも、最近は若者を中心にして中国や韓国に対する民族排外主義の傾向を強めていること、国内では過激な民族差別的ヘイトスピーチ団体が跋扈しつつあること、さらには首相や多くの日本国民が慰安婦問題について日本が外国から非難されるのは不当な中傷であると主張していること。このような国民にノーベル平和賞を与えては、平和賞の名が泣くでしょう。

■故佐藤栄作氏が「平和賞」を授与されたんだからあり得るか

でも、ひょっとしたら授与されるかも、と思い直しました。

憲法9条を守ろうとしている日本人(9条改正派除く)ということになれば、うえの二つ目の障害はなくなります。

また、一つ目の「内政干渉」の危惧についても過去に問題にしなかった例がありました。

あの「佐藤栄作」氏にノーベル平和賞を授与したというトンデモな「実績」がありますから。しかも、その受賞理由は、憲法9条、それに基づく非核三原則を佐藤栄作氏が唱えたからなんだそうです。これも賛否の分かれる人選でした。

自民党総裁であった故佐藤栄作氏は、日米核密約を締結し、日米安保体制を強化してきた首相であり責任者です。このような人物に平和賞が授与されるくらい(苦笑)ですから、憲法9条を守ろうとする日本人に平和賞が授与されても驚くことはないかもしれません。

日本の右傾化を懸念するヨーロッパ人権派が安倍首相ら右派を牽制するためにノーベル平和賞を授与することはあり得るかも。EUは、日本との条約や経済協定に人権条項を入れることを求めるくらい日本の現状に不安を覚えている。しかも、ノルウェーのノーベル委員会の委員長は中道左派の議員で、EU議会欧州評議会の事務総長だそうです。日本の右派への「牽制」として平和賞を授与する外交的・政治的パフォーマンスをするかも。

■授与式には誰が出席するか

万一そうなったら、安倍首相が日本国民を代表して授与式に出るのでしょうか? 

憲法9条改正論者の安倍首相としては、当然辞退されるでしょう(すべきでしょう。)。とすると、衆議院の議長あたりでしょうか。でも、これも自民党男性議員ですから、まさか授与式に出るような「二枚舌的」行動はしないでしょう。

他方、天皇ということもあり得ない。天皇は、「栄典を授与する」ことならできますが、「外国から栄典の授与を受けること」は国事行為に規定がない(日本国憲法7条)。ただ「儀式を行うこと」に含まれるとの解釈はあり得るが、外務省は「天皇」のプライドとして外国から栄典を授かる立場に天皇がなることをけっして認めないでしょう。

となると、この運動の「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会の代表の方か発案者の主婦の方がもっとも適切だと思います。

» 続きを読む

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年9月25日 (木)

「リベラル側の一致点はどこか」-ヘイトスピーチ禁止法についての補足

■ヘイトスピーチ禁止法の補足

ヘイトスピーチについての私のブログに対する批判的コメントの多くが、私の意図した趣旨を誤解しているように感じました。

私がいつものように「あーだ、こーだ」と書いて、何を言いたいのか判りにくい文章のせいなのでしょう。でも、この問題は、単純な二元論で結論を出すべきではないという気持ちもあります。

ヘイトスピーチに関しての私の意見(ブログ)の骨子は以下のとおり。

①「ヘイトスピーチ」とは、人種・民族差別による暴力・差別・蔑視を扇動する表現を意味する。人種差別的ではない批判・非難などは、これに含まれない。(* 「国連自由権規約20条2項」や「人種差別撤廃国際条約1条1項、4条」)

②日本は、人種差別的ヘイトスピーチの規制を求める「国連自由権規約」や「人種差別撤廃国際条約」を批准しているから、政府は、これへの対策をすべき条約上の義務を負っている。(*日本政府は「表現の自由を尊重する」という留保条件をつけているが、対策をせず放置することは許されない)。

③人種差別的ヘイトスピーチを禁止・処罰する法律は、適切な立法であれば、理論的には合憲となる。

④しかし、安倍政権の下では、適切な立法がなされない危険性が高く、広く「表現の自由」を侵害する弾圧立法となる公算が強い。

⑤したがって、現時点でのヘイトスピーチ処罰法には消極・反対する。

⑥刑罰規制ではなく、ヘイトスピーチに対する行政救済制度を設けることを提案する。具体的には、法務省の部局に、差別者に対して警告を行う措置や、裁判所に対して差別行為の差止め等を訴訟を提起する権限を認める。

⑦また、捜査当局は、現行法の威力業務妨害罪などを活用して人種差別的ヘイトスピーチを厳格に取り締まるべき。

多くの「右の方」のコメントは、①や⑤をほぼ無視して、主に②、③、⑥について批判する。

もっと判りやすく乱暴に要約すると私の趣旨は次のとおり。

(1)ヘイトスピーチ処罰立法には反対する。

(2)ただし、ヘイトスピーチを規制する必要はあるので、人種差別的ヘイトスピーチ是正の新たな行政救済制度を設ける。この行政救済機関(人権擁護局とか、人種差別撤廃委員会とか)は、差罰者に対して差別行為であることを警告・差止めを求めることができる。これに従わない場合には、この機関に差別者に対する差し止め訴訟を提訴する権限を付与する。最終的には、裁判所が、司法の場で差別行為の有無や差し止めの可否を判断する。

(2)を書いたのは、ヘイトスピーチに対するリベラル派の意見が分裂しているように感じたからです。

■リベラル側の一致点はどこか

リベラルな陣営が、ヘイトスピーチ禁止・処罰法について賛否が分裂していることが気になります。

○反対派:ヘイトスピーチとはいえ、表現の内容的規制は一切反対すべきだ。

○賛成派:ヘイトスピーチを禁止し、処罰する法律を整備すべきだ。

反対派については、ヘイトスピーチ規制そのものに反対するというだけでは現情勢では国民の共感を得ないのではないか。それでは、これを機会に表現の自由規制立法をつくろうとする安倍内閣や治安機関の思惑には対抗できないように思います。しかも、在特会など人種差別主義者グループは、これに反対するでしょうから、「反対」という結論が同じになってしまい政治的な対立構図として判りにくくなる。

賛成派については、この規制が新たな治安立法や弾圧立法になる危険性に、余りに無頓着ではないか。

そこで、リベラル陣営が広く一致する「政策」をつくることが求められているように思います。私のような「行政救済機関(人種差別撤廃委員会)の設置」とか、「ヘイトスピーチ禁止基本法」の制定とか、いろいろ検討して、一致した政策を模索すべきだと思います。

誰か、そのような政策をつくって欲しいと思います。こういうのをつくれるのは、センスある学者でしょうね。

弁護士会とか弁護士団体とかは、なかなか意見がまとまらず、無理でしょう。私のような(2)の意見を言うような弁護士は、仲間からも多くの批判を受けることになりがちです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

2014年9月23日 (火)

ヘイトスピーチ禁止法について

■人種差別的ヘイトスピーチ

国立市議会が、ヘイトスピーチを禁止する法整備を求める意見書を採択しました。
http://www.asahi.com/articles/ASG9Q5K82G9QUTIL02J.html

ヘイトスピーチは、「憎悪言論」とか「憎悪表現」と翻訳されるが、これは必ずしも適切な訳語ではない。

正確には、「人種差別的ヘイトスピーチ」とか、「人種・民族差別的な憎悪・暴力扇動行為」という用語のほうが適切であると思います。

国連自由権規約では、次のように定義されています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c_004.html

第20条2項
 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。

人種差別撤廃国際条約では、もっと詳細に次のように定められています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

第1条1項
 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。

第4条

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

つまり単なる「憎悪」表現は「ヘイトスピーチ」にはなりません。あくまで「人種差別的ヘイトスピーチ」が規制対象なのです。

ですから、「安倍首相はファシストだ。安部政権を打倒せよ」という表現は、あくまで政府や為政者への政治的批判ですから、「ヘイトスピーチ」にはなりません


「アメリカ帝国主義は出て行け!」とか「大国主義・覇権主義の中国を打倒せよ!」とか、「軍国日本の復活を断固阻止!」と叫んでも、自国や外国の政府批判ですから、人種差別的ではなく「ヘイトスピーチ」にはあたりません。

しかし、「日本人はファシストだ。たたきのめせ」というのは、日本人に対する差別や敵意の扇動になり、国民的・人種的な憎悪の唱道になるでしょう。したがって、「韓国人はゴキブリだ。日本からたたき出せ」などと述べることは、当然、典型的な人種差別的ヘイトスピーチに該当します。

在特会が韓国・朝鮮人に対して「虐殺を実行する」とか「殺せ」とか、「ガス室に送り込め」などと公然と叫ぶことは、国連自由権規約や人種差別撤廃条約が禁止を求める「人種差別的ヘイトスピーチ」にほかなりません。

■「人種差別的ヘイトスピーチ」禁止・処罰法は理論的には合憲

人種差別的ヘイトスピーチを禁止するのは、日本政府の国際的な義務となっています。日本国憲法が「表現の自由」を保障していますが、「名誉毀損」が一定の要件の下で犯罪として処罰されるように、上記の「人種差別的ヘイトスピーチ」を処罰することは、適切な立法を
行うのであれば、合憲となると私は思います。

「人種差別的ヘイトスピーチ」が禁止が合憲となる根拠は、「公益ないし公の秩序」に反するからではなく、「他者の人権を侵害するもの」だから、表現の自由の「内在的制約」を根拠(公共の福祉)に、その規制も合憲とされるのです。

■安倍内閣にヘイトスピーチ禁止の法整備をまかせる怖さ

理論的には、「人種差別的ヘイトスピーチ」を法律で禁止をして、適切な要件のもとで処罰することは合憲です。しかし、問題は、濫用されない適切な「人種差別的ヘイトスピーチ禁止法」を、今の安倍内閣で立法することが可能かどうかです。

安倍首相や自民党が、日本国憲法の立憲主義や人権尊重の原則を軽視していることは、彼らのつくった「自民党日本国憲法改正草案」を読めばわかります。この自民党改正案では、「公益ないし公の秩序」によって基本的人権を制約しようとしており、この一点を見ても、安倍自民党内閣の危険性は明らかです。

この自民党・安倍内閣が「ヘイトスピーチ禁止法」をつくると、「人種差別的ヘイトスピーチ」ではなく、日本政府や外国政府に対する正当な批判言論に対する規制法を制定する危険が極めて高い。現に、自民党の高市早苗衆議院議員らは、国会前の反原発デモやパレードを禁止することを検討しようとしました。批判を受けて撤回したようですが、これが自民党の本音なのでしょう。


安倍内閣に、ヘイトスピーチ規制法をつくらせるのは、いわば「盗人に自宅の警報装置を設計させる」ような不安を覚えます。

ヘイトスピーチ禁止法は、理論的には賛成だが、現政権の下では、「表現抑圧・弾圧法」になる危険性が高く、今、ヘイトスピーチ規制立法推進に積極的になれないというのが正直な私の危惧です。

では何もしないくて良いのか。そうではありません。

■人種差別是正の行政救済制度

そこで、刑罰規制ではなく、法務省の人権擁護局の権限を強化して、人種差別行為に対して、人権擁護局が摘発・警告できるようにし、差別者が是正しない場合には、これを差し止
める行政救済措置を立法化するのはどうであろうか。

実効性確保のため、人権擁護局が被差別者に代わって、裁判所に差し止め訴訟を提起できるようにしたら良い。こうすれば、弾圧立法となる危険性は低くなる。

■今ある法律で規制を強化できないのか

朝鮮人学校や大久保などの韓国の商店街の密集地点で、「韓国人を殺せ」「ガス室に入れろ」などと多人数で大音量で叫びながら集団行動で練り歩くことは、威力業務妨害に該当し、捜査当局が立件することが可能だと思います。

現時点では捜査当局は、特定の具体的な被害者に向けた行為ではないとして、刑事事件として立件できないと言っているようですが、少なくとも朝鮮学校に対する行為は、威力業務妨害に十分に該当すると思います。既に、京都の場合には立件されて有罪となっていると思います。

そうであれば大久保などの周辺の行動も、威力業務妨害になると思うのです。もっと積極的に摘発、処罰すべき事案でしょう。人種差別撤廃条約は日本国は批准しているのですから。

今の捜査当局は、高校の卒業式の開始直前に「君が代」斉唱の際に起立しないように呼びかけた元高校教師を威力業務妨害罪で起訴し、有罪にしました。また、マンションや集合住宅の中での反原発や政府批判のチラシをまくと住居侵入罪を適用して逮捕・起訴しています。

■捜査当局への不信

このような行為を摘発し起訴しておきながら、上記のような人種差別的かつ暴力煽動的な脅迫行為を、威力営業妨害で摘発に消極的な捜査当局の判断は理解に苦しみます。

捜査当局は、結局、政府・自民党に近い立場にある「ヘイトスピーチをする側」を支持し、彼ら・彼女らに甘い、と思われても仕方がないでしょうね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

2014年9月15日 (月)

2014年司法試験と予備試験の結果。そして、ロースクール制度改革案

■最終合格点と合格者人数

2014年の司法試験合格者が、1810人(合格最低点770点)

2013年の司法試験合格者は、2049人(合格最低点780点)

合格点を昨年よりも下げているのに合格者が減少している。司法試験委員会が意図的に合格者を減らしたわけではないようにも思えます。もし、意図的に減らすのであれば、去年と同じ合格点(780点)にすれば、成績が悪いという理由でもっと減らせたのですから。試験の出来が去年に比べても全体的に良くなかったということなのでしょう。

もっとも、合格点を760点や765点にすれば合格者はもっと増えたのに、そうしなかったという点で意図的でもあります。去年が780点で、今年が760点台ってちょっとおかしい。なお、合格点は各科目ごとに偏差値とされて総合点が作成されるので、去年と比較してもおかくしはない。

■予備試験の合格者

●2014年司法試験
 予備試験組の最終合格者は、163人。(合格者全体の9%)
 予備試験組の最終合格者のうちわけ
  法科大学院在学生・修了者・中退者の合計は、83人(50.9%)
  大学在学生は、47人(28.8%)
  両方あわせると8割になる。


●2013年司法試験
 予備試験組の最終合格者は、120人。(合格者全体の5.8%)
 予備試験組の最終合格者のうちわけ
 法科大学院在学生・修了者・中退者の合計は、46人(33.3%)
 大学在学生は、41人(34.1%)
 両方併せると7割弱となる。

■予備試験組の合格者の特徴

合格した大学生のほとんどは、法学部在学生でしょう。法科大学院在学中の合格者が33人から72人と倍増しています。

つまり、予備試験は、導入当時、危惧されたとおり、法学部在学中の優秀な学生と法科大学院の優秀な院生が早期合格する道となっています。

予備試験の問題は、旧司法試験のようなものです。予備試験は1万1000人~1万2000人が受験をして、予備試験の合格率は2~3%くらい。

これを合格する人たちなので、試験強者で優秀なのでしょう。だから、最終合格する合格率が60%を超えるわけです。2014年には予備試験組最終合格者の5割が法科大学院生、3割が大学在学生(法学部)です。

■予備試験の趣旨からみると

予備試験の趣旨は、「法科大学院に進学する資力のない学生・社会人を法曹にむかえるルート」とするのが共通認識だったと思います。法科大学院生が予備試験を受験するのは、この趣旨と合致しません。

とにもかくにも法科大学院に入学できた者が、法科大学院に進学できない学生や社会人の法曹になる道を狭めてしまっています。

そうなると予備試験の受験資格を制限する(法科大学院生は受験資格なし)こともあり得る。

しかしながら、今の法科大学院は、多額の学費を学生に負担させ、かつ奨学金制度も不十分であり、また、司法修習も貸与制という多額の負担を予定していることから考えると、法科大学院生が経済的な理由から予備試験を目指すのはやむを得ない面がある。

したがって、経済的負担の軽減策を実現しないまま、予備試験の受験資格を制限することは、法科大学院生に二重の不利益(学費負担と予備試験受験資格なし)を与えることになり、適切ではないように思う。

なかなか難しい問題だ。私も結論がでない。

なお、予備試験が隆盛だからといって、法科大学院廃止・旧司法試験に戻せとの意見には賛成できません。その理由を昨年、書きました。法曹増員(激増)問題とロースクールは確かに関連はするが、両者はわけて議論したほうが良い。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/09/2013-97cd.html

■法科大学院制度の改革案?

もう4、5年ほど前ですが、庭山正一郎弁護士(二弁元会長・日弁連元副会長)から、彼の「ロースクール改革」案を聞いたことがあります。

・ロースクールを、大学4年修了後に入学するものではなく、大学の教養課程(2年)を終えてからロースクールに入学できるような制度にする。
・つまり、大学に法学部と並列して、ロースクール(3年課程)を設ける。
・そして、このロースクールを修了すれば、司法試験が受験できる。
・法曹養成は、大学教養課程(2年)とロースクール課程(3年)の5年と、司法研修所1年の6年となる。
・大学を卒業してから、ロースクールに入学しても良い。

法学部生は2年生のとき、ロースクールに進学するか、法学部の専門課程に進学するのかを決めることになる。法学部を選択すれば、会社員や公務員の就職が主な進路となります。

ロースクール入学には、厳格な試験があり、自校の法学部学生を優遇してはならない。
もちろん、他の大学からもロースクール入学試験を認めるようにする。

こうすれば、ロースクール進学しても、4年制大学より1年長くなるだけで、学生の経済的負担もそれほど大きくはない。

また、ロースクール終了後、不幸にも司法試験を合格できなくとも、まだ若いので再就職の道は拡がる。

それでも、力試しに予備試験を受けるロースクール生もいるだろうが、人数は減るのではないでしょうか。減らなければ、そのときは受験資格制限も課題となろう。

なかなか良いアイデアはないかと思います。実現可能性は ほとんどないでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年9月14日 (日)

朝日新聞の「吉田調書」の誤報について

■はじめに

Blogosという色々な人のブログを集めたHPあります。私がブログで書いたものも時々、転載されます。私のブログでも、いわゆる左右対立ものテーマ(「左翼と右翼の違い」、「日の丸強制」、「従軍慰安婦問題」とか)が転載されると、たくさんの反論(批判・非難)意見がつきます。

前回、朝日新聞の「吉田調書問題」に触れたら「朝日新聞を擁護する輩」と見られたようで、100くらい反論がありました。そこに、朝日の吉田調書誤報問題は「別途感想を書く」と書いたのでブログに書くことにします。

なお、寄せられた意見を読むと、あらためて一部のいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々にとって「朝日新聞」って特別な存在なんだ、と判りました。「叩ける朝日新聞」があって、「うれしさ百倍」という「多幸感」を示したり、「舌なめずり」しているという感じの高揚したコメントが多く、微笑ましく感じました。

■朝日新聞の「吉田調書」

朝日新聞が自ら検証しているように、「吉田所長の命令に違反して、福島第2原発に撤退した」という見出しは、完全にミスリーディングです。自分の都合の良いように事実をゆがめて伝えており、誤報として非難されるのは当然ですし、社長の謝罪も当然でしょう。池上氏のコラム掲載拒否のように不適切な報道姿勢です。

もっと微妙な評価の問題が絡むのかと思っていましたが、命令違反というのはムリなリードだと思います。

■報道と裁判との類似

報道は民事訴訟とにている面があります。民事訴訟では、「主張」と「立証」(証拠)は区別されますが、「主張」もできるだけ「証拠」を踏まえたものにするのが適切です。でも、えてして、当事者は、自分の求める主張を証明する「証拠」があると安易に飛びつきたくなります。弁護士も人の子。自分の要求(主張)に沿った証拠があるとチェックが甘くなりがちです。

その証拠を証拠構造全体の中での重要性を位置づけて、その信用性を慎重に吟味しなければならない。でも、自己に有利だと飛びつきたくなる誘惑は確かにあります。このあたりが人間の弱さです。どんな弁護士も、一つや二つは身に覚えがあると思います。

「ムリスジ」(無理スジ)の主張に固執してしまうんですね。

この誘惑は、原告か被告か、左翼か右翼か、リベラルか保守か、にかかわらず陥りがちな傾向です。しかし、甘い主張立証をすれば、法廷では結局、敗訴という痛い目にあいます。

だから、それを自らチェックするのが「プロ」です。当事者的な要求とは別に、それを客観的に見るもう一人の自分を保持しなければなりません。これがプロフェッションです。重要な事件では複数の弁護士の目で検討するのが必要不可欠です。

何故「朝日新聞」は判断を誤ったのでしょう?

■朝日新聞の「誤報」の動機?

朝日新聞が「吉田調書」を読んで「命令違反で撤退」という誤った報道をしてしまったのか。動機を考えてみます。

① 「東電」批判がジャーナリズムの使命と考えた。

② 吉田調書という非公開資料を入手したので、その成果を最大限アピールするには、従来指摘されていなかった新たな事実でアピールしたかった(特ダネ狙い)。

③ そのために、リードを「センセーショナル」なものにしたかった。

こんなところでしょうか。

なお、一部には、朝日新聞は「日本人を貶めるのが朝日新聞の狙いである」という非難をする人たちがいます。しかし、この非難は合理的な批判とは思えない。だって、そんなことをしても、朝日新聞は何も利益を得ない。そんな編集方針では、新聞購読者も減り広告も減って営業上マイナスであり、企業として合理的な行動とはいえない。一般通常人の見地から見れば、このよう「反日」という動機はあり得ないと考えるの通常でしょう。

■朝日新聞の「脇」の甘さ

上記動機の①は、ジャーナリズムの在り方として問題はないでしょう。もちろん、「読売」や「産経」のように「原発維持・推進」という立場があって良いが、①のような朝日新聞の立場があっても問題ない。多元的な言論の存在こそ、「表現の自由」の神髄なのですから。

問題は②と③です。

前に述べたとおり、人間は、自分の求める主張や意見に沿った「証拠」があると飛びつきたくなるものです。しかし、それが「危うい誘惑」であるということは経験あるジャーナリストであれば、「朝日」であろうと、「読売」であろうと、「産経」であろうと、記者や編集者は当然に知っていることでしょう。

それでも誤報をするのは、「自分の主張を正当化したい」、「特ダネをとりたい」という欲望に目を曇らされるからです。脇が甘いということです。

ひょっとしたら、朝日新聞の記者とデスクは、「どうせ吉田調書は公開されない」と考えて反論されないと甘く見たのでしょうか。

■「物事の単純化」ないし「受け狙い」の落とし穴

「吉田調書」を読むと、東京電力の大きな落ち度が多々明らかにされています。津波が13メートルを超える可能性があることを事前に社内で報告されていたこと、事故当時にICが稼働していると思い込んだこと、全電源喪失を全く想定していなかったことなどなど。朝日新聞は折角、入手した吉田調書を分析して、この点を判りやすく解説すれば良いのに、そういう報道をしなかった。何故でしょう。

想像するに、読者が判りやすく、受けが良く、ショッキングな「命令違反の撤退」というリードをつけるたのではないか。要するに、「物事の単純化」による「受け狙い」だったのではないか。

■朝日新聞「敗北」の持つ意味

今回の誤報問題で、朝日の「リベラル」の看板が傷ついたことは間違いない。もともと矜持を欠いた新聞社は少々の誤報を意に介さないでしょうが、リベラルを自称していた新聞社のほうが、この手の「曲解」「歪曲」の誤報によるダメージは大きい。

読者数百万の新聞社で、曲がりなりにも日本国憲法の立憲主義を擁護してきた朝日新聞の「誤報」は、日本国憲法の改正を目指す「読売」や「産経」が飛躍する契機になるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年9月12日 (金)

「吉田調書」要旨を読んで感じたこと

今朝の東京新聞で福島第一原子力発電所前所長の亡き吉田氏の調書の要旨版を読みました。

朝日新聞の撤退報道の誤報・謝罪が注目されているが、吉田調書の重大な点は、撤退のことではないと思う。朝日新聞の「誤報」にフォーカスするのは「木を見て森をみない」ことになると感じる。朝日の「誤報」は誤報として問題なのだが、これについては、別途感想を書きたい。

吉田調書の要旨をざっと読んで気になった点(電車の中で読んだだけなので、誤解があるかもしれないが)

・緊急冷却装置ICが作動していないのに作動したと誤認したこと
・その訓練やベントの訓練もしていなかったこと。
・ディーゼル緊急発電機が動かないことを想定していなかったこと
・格納容器の爆発を心配しながら原子炉建屋に水素がたまり水素爆発をすることは全く気がついていなかったこと。
・13メートル級の津波の危険性があることを社内報告を受けて社長にも報告していたのにあり得ないと考え、費用も高額になることから対策をとらなかったこと・
・これを後から批判するのは単なる結果論と反発していること。

もちろん吉田所長が個人で全て対応できることではない。東電の組織的・構造的な重大な過失がもたらした結果だ。

ただ、亡き吉田所長らが現場で必死に頑張ったことや同人が亡くなったということで、吉田所長や現場で働いた人たちを「英雄視」をしてしまってはマズイのではないか。朝日の誤報問題でも、そのような感情が非難する人たちの心情がひそんでいるような気がする。


現場担当者を含めて東電の組織的かつ構造的な落ち度に対する批判を忘れてしまっては、本末転倒だと思う。


先の大戦で「神風特攻隊」の若者の献身と勇気を讃えて、この「外道」な戦術を立案し実行した海軍・陸軍の中枢への批判を控えることと同じ過ちをおかしているように思う。

客観的な事実や結果を尊重せず、行為者の誠意とか熱意とかの「心情」を重視する「日本人的心性」が問題のように思う。


発表された吉田調書全体を良く読み、また国会などの事故調査委員会の報告書と対比してみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年8月24日 (日)

解雇の金銭解決の「日経」記事について

■日経記事がひどい 2014年8月24日付

解雇の金銭解決について、現状の実務をまちがって書いている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO76084660T20C14A8NN1000/

厚労省に寄せられる解雇トラブルの相談は年5万件。うち裁判にまで進むのは1000件程度で、裁判で判決を受けるのは300件程度だ。今の制度では裁判官が解雇を無効だと認めても、判決では職場復帰しか命じることができない。労働者がもらえたはずの賃金を受け取るには、判決後にあらためて和解や賠償請求の手続きがいる。

しかし、いくらなんでも、実際の解雇訴訟実務と、まったく違うことを書いている。労働審判の件数は、本文に何も出て来ないし。

特に「解雇が無効だと認めても、判決では職場復帰しか命じることができない。労働者がもらえたはずの賃金を受け取るには、判決後にあらためて和解や賠償請求の手続がいる」なんて、完全な誤報道。ときどき、「日経」って雇用問題についてあきれるような記事が書くのでびっくりします。

関連事項は前に私のブログで書いています。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2014/07/post-4b01.html

あいかわらず長文なので、以下、簡単に要約。と、推測を少し。

■裁判所の労働審判・訴訟の調査

2014年6月24日に閣議決定された「日本再興戦略 改訂2014年-未来への挑戦-」には次のように書かれています。

透明で客観的な労働紛争解決システムの構築

 主要先進国において判決による金銭救済ができる仕組みが各国の雇用システムの実態に応じて整備されていることを踏まえ、今年度中に「あっせん」等事例の分析とともに諸外国の関係制度・運用に関する調査研究を行い、その結果を踏まえ、透明かつ公正・客観的でグローバルにも通用する紛争解決システム等の在り方について、具体化に向けた議論の場を速やかに立ち上げ、2015年中に幅広く検討を進める。

そして、

「あっせん」「労働審判」「和解」の事例を分析して、1年以内に「活用可能なツール」を整備する

産業競争力会議で、厚労省の担当者は裁判所と調整をすすめていると述べています。

●中野厚労省労働基準局長

紛争解決について。現在都道府県労働局による個別労働関係紛争のあっせん事例の分析については、既に調査に着手している。・・・・

また、労働審判、和解の事例については、法務省を通じて裁判所にお願いし、今、具体的な調査の仕方、方法についてご相談している。調整次第、調査に着手する予定がある。

その際、長谷川主査からご指摘のあったように、企業の労働者のそれぞれの属性をうまく拾い出して、労働者の雇用上の属性や、賃金水準、企業規模、解決金額といった、事案の具体的な内容を拾い出して精査しないと、なかなかよい分析にならないので、そういう観点からの分析をすすめたい。

(ご参考)過去に解雇の金銭解決制度について論じたブログ。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/08/post-c2b9.html

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/04/post-d3cf.html

■さて、この調査の主体は?

この裁判所の労働審判や訴訟資料のデータの収集分析は、厚労省が行うのでしょうが、おそらく、JILPTが実際には調査をするのではないでしょうかねえ。

JILPTには労働局個別労働紛争について膨大な事例を調査分析をした労作もありますし。

■調査の手法や項目、分析の視点など

この調査の結果が、一人歩きする懸念があります。その調査項目、調査方法や調査の視点については、オープンに議論してもらいたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2014年8月19日 (火)

「悪いのは僕だけじゃない」 終戦の日に思ったこと

■終戦の日に思ったこと-自分の国が美しかったらいいよね。

インターネット上では、日本の中国戦争や太平洋戦争(第2次世界大戦)に関する様々な事件について、日本の正当性を主張する風潮が強まっている。「侵略戦争」という認識自体を「東京裁判史観」として否定する人もいます(戦後レジームの否定)。

従軍慰安婦問題については、「日本軍が一般女性を強制的に連行して慰安婦にしたという事実はないし、証拠もない。」と言う否定派が勢いづいています。朝日新聞が「日本軍の強制連行があった」と述べた吉田清治証言について誤りを認めたためです。

誰しも自分の国が過去に悪行をしたことを認めるのには抵抗があります。また、それを外国から責められると不快になります。私も、できれば、「日本人は清廉潔白で真面目な民族。日本は美しい。」と思いたいし、他人からそう言われれば良い気落ちになります。

しかし、だからといって、過去の悪行を客観的に直視せず、都合の悪い事実を否定することは、かえって自国の名誉を貶めることになります。また、外から見ると、それは一種の幼児的行いであり、滑稽にすら見えるでしょう。

高木惣吉海軍少将(終戦時の内閣副書記次長。今で言えば官房副長官)が、戦後次のように書いているそうです。

われわれ日本民族の毀誉さまざまな過去も、目を閉じて甘い感傷に耽るよりも、勇敢にその真実を省み批判することが今後の再建、歴的価値創造に役立つものと考えられるものであります。

■従軍慰安婦問題

慰安婦問題を否定する人々は、「現代的価値観では慰安所や慰安婦はもちろん悪だが、当時は売春は当たり前で、単なる商取引であった。他国の軍隊も売春制度を利用していたのであるから日本だけが責められるのは不当だ。」と主張しています。

彼ら・彼女ら否定派は、「日本軍が売春業者に委託して、日本軍用の慰安所を作らせ、慰安婦を集めさせて日本兵に提供させていた措置」自体は認めるようですが、「当時は公認されていた売春(公娼制度)の利用であって何ら問題はない」ということのようです。

しかし、この日本軍の「措置」自体が問題とされているのです。日本軍が直接的に女性を強制連行して慰安婦にしたかどうかだけが問題ではありません。

娼婦となる女性の多くは経済的に困窮するなどして、やむを得ず娼婦になった人です。日本でも、戦前、東北農村の若い娘が「身売り」されたという悲劇が広くありました。当時でも、「苦界に沈む」という言葉があったように、公娼宿や娼婦宿が道徳的に悪いこととされていたのではないでしょうか。

朝鮮や中国の場合、日本軍支配下の貧困や差別を考えれば、より過酷な状況にあったことは明らかでしょう。業者が困窮や無知につけ込むなども含めて不当な手段で女性を集めたことは想像に難くありません。「娼婦として働く契約」が「自由意思による契約」であるわけがありません。社会的に弱い立場の女性が、やむなく受諾させられたのです。

このように集められた朝鮮や中国などの女性を、日本軍は軍用の慰安所に確保して軍人の性欲処理のために「活用」していたわけです。

しかも、彼女たちは戦地近くまで連れて行かれ、1日数十人の兵隊を相手にさせられた。性行為を拒否することはできないし、また慰安所から脱出することもできないことは明らかです。この事態は「奴隷的拘束」にほかならないでしょう。報酬を受けていたからと言って、奴隷的拘束であること自体はかわりません。

このあたりの事実は、慰安婦問題が政治問題化する以前の1950年代の戦争映画(従軍経験のある監督たちがつくった「人間の條件」「兵隊やくざ」「独立愚連隊」等々)、水木しげる氏の体験に基づく戦争漫画で描かれています。

否定派の人たちが、「慰安婦は売春婦であり当時においては適法だった、」「他の外国軍隊も売春制度を利用していた」と声高に主張しても他者に共感されることはなく、かえって日本の名誉を傷つけ、戦前のように日本の国際的孤立を深めるだけです。否定派は、細かな枝葉末節の事実に拘泥して、大局的な判断をしようとしていないように思います(木を見て森を見ず)。

ちなみに、スマラン事件というオランダ人女性を日本軍が慰安婦にした強制売春事件があります。バタビア軍事裁判所で日本軍将校が有罪判決を受けています。否定派はこの軍事裁判さえ、復讐裁判だとか判決資料が公開されていないからとか言って認めようとしません。

結局、否定派の言い分は、「僕だけが悪いんじゃない」という子どものいいわけにしか聞こえないのです。

来年は日本敗戦70周年です。

日本の名誉を回復するためには、河野談話を再確認し、従軍慰安婦への謝罪の意思は変わらないこと、今後世界で戦時の性暴力の惨事が繰り返されないよう最大の努力をすることを表明するしかないと思います。

【追記】

この立場を明らかにして、初めて、他国(米国であろうと、韓国でろうと、どの国であろうと)の「戦時性暴力」を批判する道徳的な「資格」を日本は持つことが出来るのです。同じように、日本の侵略戦争の責任を認めて、はじめて米国の無差別空襲や原発投下に対して非難する資格を持つのです。

| | コメント (11) | トラックバック (0)
|

«読書日記「ノモンハン1939」スチュアート・D・ゴールドマン著・山岡由美訳