2016年11月20日 (日)

「同一労働同一賃金の原則」について思う

 最近は、「同一労働同一賃金」について講演や学習会を頼まれることが増えています。これは、安倍総理が「働き方改革」として「同一労働同一賃金の原則」を実現すると表明したから俄然、関心が高まったということがあります。

■「同一労働同一賃金の原則」は男女差別を是正する法理
 私は、「同一労働同一賃金の原則」は男女差別是正の法理であって、非正規の労働条件の格差を是正する法理としては、「均等・均衡待遇の原則」と呼ぶ方が良いと思います。こういうと結構、質問、反論があります。例えば、「均衡」の考え方が不明確であるというふうに。


■「均等」と「均衡」
 私は、「均等」と「均衡」を相互対立的・排斥的な関係ととらえる必然性はないと思います。語義的には、「均衡」とは「釣り合いのとれていること」を意味します。また、「均等」は「複数の物事が互いに平等であること」という意味です。

 語感的には、「均衡」の方が広い概念と思われます。つまり、「均等」とは、ある物事について「釣り合い」をとるには「平等」でなければならない場合があるという意味に考えられるからです。

 「均衡」と言うと、あたかも「軟弱だ」とか「敵」であるかのように非難する論者もいます。昔、私が「均衡も均等も本質的な違いはないのではないか」と言ったら、「均等でなければならず、均衡で良いと言うのはおかしい」と非難されました。当時、丸子警報器事件の長野地裁上田支部判決が出されましたが、支部判決に対しても「均等と言いながら、2割の格差を認めた判決はおかしい」と非難していました。


■日本の法律は「均衡・均等」
 労働契約法3条2項が「職務の均衡を考慮」すること、パート労働法1条も「均衡のとれた待遇」と定め、労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律6条は、派遣労働者について「均等な待遇及び均衡のとれた待遇の実現を図る」と定めています。

 日本の労働法には、「同一労働同一賃金の原則」という「文言」は規定されていません(ILO第100号条約のことは後述します。)。だから日本の実定法解釈としては、出発点は「均衡」及び「均等」の理念だというべきでしょう。こう言うと、すぐまた「そもそもその実定法が怪しからんのだ」という人がいます。でも、それを言っても仕方がありません。現に存在している法律をどう解釈するのかが、実務家の仕事なんですから。(もちろん、立法の問題点と限界を指摘することが重要なのは認めますが。)


■非正規労働者の格差是正


 現時点の実定法の解釈としては、雇用形態が異なる非正規労働者の労働条件の改善・是正のための趣旨は、均衡及び均等の待遇確保を理念とすべきでしょう。これを定めた実定法は、労働契約法20条の有期契約による不合理な労働条件の禁止、そして、パート法8条のパート労働を理由とする不合理な労働条件の禁止と同法9条の通常の労働者と同視できる場合の差別的取り扱いの禁止などがあります。
 ただし、労働契約法20条の「不合理」の内容及び判断基準は明確ではありません。例えば、長澤運輸事件の東京地裁判決は、①職務の内容、②職務の内容及び配置の変更の範囲が同一の場合には特段の事情がない限り不合理となるとしました。他方で、同事件東京高裁判決は、③その他の事情も含めて幅広く考慮して不合理であるかどうかを決めるべきとしました。

 私は、「不合理」であるかどうかを判断する指針を「均等・均衡待遇の理念」とし、これは「およそ人は、その労働に対して等しく報われなければならない」という「人格の価値を平等とみる市民法の普遍的理念である」を根拠にすると考えればよいと思います(丸子警報器長野地裁上田支部判決)。「職務」が同一で、「職務内容及び配置の変更の範囲」が同一であれば、労働条件の格差を正当化する事情がない限り、原則は均等に取り扱われるべきでしょう。

 しかし、例えば定年再雇用という事情、あるいは産休代替の一年間だけの限定した有期契約という事情などがあれば、必ずしも正社員と100%同一でなければならないとはいえないでしょう。ただ、どの程度の相違であれば許容されるのかが問題です。


■「同一労働同一賃金の原則」と男女差別是正法理

 「同一労働同一賃金の原則」は、ILO第100号条約の「同一価値労働同一報酬の原則」のことです。これは、男女の賃金格差(差別)を是正する法理です。日本もこれを批准しています。しかし、これは男性労働者と女性労働者を比較して、同一価値労働の場合には同一報酬とするという原則であって、これを超えて、性別にかかわりなく同一価値労働をしていれば同一報酬であるという一般的な規範ではないと言わざるを得ないでしょう。

 なお、「同一価値労働」というのは、同一の労働(職務)でなくとも、同一価値労働であれば良いという意味です。例えば、看護師と検査技師の職務は同一ではありませんが、同一価値であるかどうか比較できるということです。

 この「同一価値労働同一報酬の原則」(「同一労働同一賃金の原則」)は、実際には、主として雇用形態が同じくする男女間の賃金について差別であるか否かの規範となるものでしょう。つまり、正社員同士の「総合職」と「一般職」との格差をどうするかという問題に主として適用されることになります。

 例えば、男性は全員が「総合職」となるが、女性は極一部だけが「総合職」となり、大多数の女性が「一般職」という企業の場合、男性「総合職」といっても、ほとんど総合職らしい仕事をせず、女性一般職と同様な労働をしていること多いでしょう。形式的には「総合職」には配置転換があるとされているが、普通の男性「総合職」は実際には配置転換はない(優秀な一部の男性正社員のみが配転や昇進していく)。にもかかわらず、優秀な女性一般職は、レベルの低い普通の男性「総合職」よりも賃金が少なく昇進もできない。

 これを是正するために、「同一価値労働同一報酬の原則」が基準となり、具体的には労基法4条や雇用機会均等の解釈適用の問題となります。

 これに対して、非正規労働者の格差是正の法理は、労契法20条やパート法8条・9条であり、これらは「均衡・均等の待遇の理念」として区別して整理するのがわかりやすいと思います。

  これを「同一労働同一賃金の原則」と呼ぶと、上記の男女差別是正法理と混同されてしまいます。ただし、雇用形態による格差是正の法理を確立させることは、男女差別是正にとっても良い効果があります。

 今時、女性だから差別しているんだと自認する使用者はいません。実際には、「雇用形態が違うから」ということで、女性が多い比率の非正規労働者の労働条件が低くされているわけです。女性労働者の約56%が非正規であることが如実にその事実をあらわしています(男性の非正規は25%程度)。だから非正規の労働条件の是正をすることは、女性労働者の格差是正に直接につながるのです。


■そもそも、日本で「同一労働同一賃金の原則」が労働契約の基本になるのか


 「均等・均衡待遇の理念」を批判して、「同一労働同一賃金の原則」を正面から労働契約法の原則として、効力規定を定めるべきとする論者もいます。
 その狙いは、正社員についても「同一労働同一賃金の原則」をあてはめるべきという考え方です。なお、この論者は、「同一労働同一賃金の原則」を「修正」して理解をしています。すなわち、「同一労働同一賃金」とは、同一労働であっても、年齢や勤続年数が異なれば必ずしも同一賃金でなくても良いとするのです。

 しかし、これを「同一労働同一賃金の原則」と呼ぶのは据わりが悪いように思います。「同一労働」(同一職務)であると「要件事実」を主張立証すれば、「同一賃金」(同一報酬)という「法律効果」が発生するというのが、「同一労働同一賃金」という規範からの帰結でしょう。
 「同一労働」を主張立証しても、それだけでは「同一賃金」の効果が発生しないというのであれば、「同一労働同一賃金の原則」を、どのような文言で表示されるのでしょうか。結局、不合理な労働条件の禁止と実質的に異ならない文言になるしかないように思います。それではもはや「同一労働同一賃金の原則」とは言えないのではないでしょうか。

 また、こんなふうに「同一労働」の原則を修正(緩和)してしまったら、男女差別を是正する法理としては役に立たなくなってしまうと思います。


■正社員の賃金の原則も「同一労働同一賃金」で良いのか


 正社員も含めて「同一(価値)労働同一賃金の原則」を法的効力のある実体法とした場合には、日本の雇用社会に「革命的」な影響を与えることになります。
 例えば、25歳と50歳の労働者が担当している職務が大して違わないことは多くあります。ところが、日本企業では年功的な運用がなされて、50歳の労働者の方が賃金が高くなっています。これが許されなくなります。
 また、ホワイトカラー職種では、IT技術を使いこなす若手のほうが効率的かつ質の高い労働力を提供しているものです。中高年の賃金のほうが高いのはおかしい。
 のみならず、同一労働同一賃金の原則からいけば、労働者が担当している職務が変われば、当然、給料も変わることになります。一般的な事務労働と専門的知識経験を必要とする労働では当然、賃金は変わります。
 日本では、労働者の配転には使用者に広い裁量が認められます。同一労働同一賃金の原則を貫けば、使用者の一方的な配転によって労働者の賃金はそのたびに変わることになります。それは、いままで戦後30年、50年を経て形成されてきた日本の賃金制度の前提と大きく異なり矛盾します。


■欧米の「職務給」や労使の力関係の相違点
 

 欧米社会では「職務給」が定着しており、職務の配転を使用者が裁量で行うことはできません。しかも、「職務」ごとの給料は、産業別労働組合が使用者団体と労働協約を締結して、いわば社会的に決まっています
 日本には、このような強力な産業別労働組合は存在しないし、近い将来にそのような産別労組が強化されることはありえないでしょう。
 したがって、正社員の賃金も含めて、日本において労働契約の原則として、同一労働同一賃金の原則を法定化することは、欧米との社会的実態が異なり、日本で導入することには慎重にしなければならないと思います。
 新自由主義の立場にたつ労働経済学者や経営者は、同一労働同一賃金の原則の日本での導入に積極的です。また、配転による賃金減額を争う裁判では、使用者代理人の弁護士が配転による賃金減額の正当性を主張するために「同一労働同一賃金の原則」を主張します。
 社会モデルとして、ヨーロッパ型の職務給と企業横断的な産別賃金協定は魅力的ですが、日本では、そのような基盤はありません。


 日本の労働組合は、長年にわたり生活給思想で賃金を要求してきました。
 そうである以上、今、いきなり法律によって、正社員も含めた「同一労働同一賃金の原則」を法律に定めるということは賛成できません。

 確かに、中長期的には、日本も「職務給」の方向に賃金がかわっていくように思いますが、それは徐々に、労働争議をともなう激しい労使交渉を経て実現していくものなのでしょう。賃金を法律ですべて決めることは土台無理なように思います。



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2016年11月 8日 (火)

長澤運輸事件東京高裁判決

 東京地裁民事第11部(佐々木宗啓裁判長)は、平成28年5月13日、長澤運輸という一般貨物自動車の正社員運転手が定年後継続雇用として有期雇用で再雇用(嘱託社員)されたが、賃金が減額されたことが、労働契約法20条違反であるとして、正社員当時と同じ賃金を支払えとの判決を言い渡した。

 その控訴審東京高裁第12民事部(杉原則彦裁判長)は、平成28年11月2日、東京地裁の判決を取消して労働者側を逆転敗訴の判決を言い渡した。

■事案の概要
  会社(長澤運輸)は一般貨物自動車運送事業者で、セメント、液化ガス、食品の輸送事業を営んでおり、従業員は66名いる。定年は60歳であり、嘱託社員就業規則では、定年後1年期の有期雇用契約をして継続雇用し、賞与・退職金を支給しない旨を定めていた。
 原告らは3名。うち原告X1は、平成26年3月31日に定年退職し、同年4月1日以降も乗務員として勤務している。正社員(無期契約労働者)と嘱託社員(有期契約労働者)の労働条件(賃金)は次のように差があった。

正社員当時⇒嘱託社員
基本給 11万2700円~12万1500円⇒ 12万5000円
職務給 8万552円~8万2952円 ⇒なし
歩合給  3.1%~3.7% ⇒10~12%
役付手当  組長1500円⇒なし
精勤手当  5000円  なし
住宅手当  1万円  なし
家族手当  5000円  なし
賞   与  5ヶ月分 ⇒なし
 
 労働契約法20条は、有期による労働条件の相違(正社員との労働条件の相違)について、①職務の内容、②職務の内容及び配置の変更の範囲、③その他の事情を考慮して不合理であってはならないと定めている。
 そこで、原告ら3名は、定年後の労働条件の相違(格差)が労契法20条に違反するとして会社に差額賃金(予備的に損害賠償)を請求して裁判を提起した。

■東京裁判決の内容
争点Ⅰ<定年後の有期再雇用に労契法20条の適用があるか>
 被告会社は、賃金を下げたのは有期が理由ではなく、定年後再雇用であるから賃金を切り下げたのだから、労契法20条は適用されないと主張した。しかし、東京地裁判決は、「労働条件の相違が、期間の定めの有無に関連して生じたものである」ことで足りるとして、労契法20条の適用があるとした。

争点Ⅱ<本件賃金の相違は不合理となるか>

(1)「上記①(職務の内容)と②(職務の内容及び配置の変更の範囲)を明示していることに照らせば、同条がこれらを特に重要な要素と位置づけていること」は明らかであるとして、(上記①及び②が同一である本件の場合には)「労働者にとって重要な労働条件である賃金の額について、有期契約労働者と無期契約労働者との間に相違を設けることは、その相違の程度にかかわらず、これを正当と解すべき特段の事情がない限り、不合理であるとの評価を免れない」とする。

(2) 他方で、「賃金コストの無制限な増大を回避しつつ定年到達者の雇用を確保するため、定年後継続雇用者の賃金を定年前から引き下げることそれ自体は合理性が認められる」としつつ、「しかしながら、(①及び②)が全く変わらないまま賃金だけを引き下げることが広く行われているとか、そのような慣行が社会通念上も相当なものとして広く受け入れられているといった事実は認められない」とした。

(3) そして、「原告らに対する賃金の切り下げは、超勤手当を考慮しなくとも、年間64万6000円を大幅に上回る規模である」と認定し、「これらの事情に鑑みれば、…定年退職者を再雇用して正社員と同じ業務に従事させるほうが、新規に正社員を雇用するよりも賃金コストを抑えることができるということになるから、被告における定年後再雇用制度は、賃金コスト圧縮の手段としてのい側面を有していると評価できる」。

 しかし、「被告において上記のような賃金コスト圧縮を行わなければならないような財務状況ないし経営状況に置かれていたことを認めるべき証拠はなく」、「被告の再雇用制度が年金と雇用の接続という点において合理性を有していたいものであったとしても、そのことから直ちに、嘱託社員を正社員と同じ業務に従事させながらその賃金水準だけを引き下げることに合理性があるということにはならない。」

■東京高裁判決
 争点Ⅰについては、東京地裁とまったく同じ解釈をして、定年後の有期再雇用の場合でも労契法20条が適用があるとした。

 争点Ⅱについては、①及び②の要件を地裁のように重視せず、「その他の事情」を含めて「幅広く総合的に考慮して判断する」とした。

(1)「定年後継続雇用者の賃金を定年時より引き下げることそれ自体が不合理であるということはできない」とする。その理由は、高年齢者雇用安定法により「全事業者」について「定年到達者の雇用を義務付けられてきたことによる賃金コストの無制限の増大を回避して、定年到達者の雇用のみならず、若年層を含めた労働者全体の安定的雇用を実現する必要がある」ことをあげる。

(2) 独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)の平成26年調査結果によれば、定年到達時と同じ仕事をしている割合(運輸業)は87.5%であり、継続雇用者の年間給与の水準の平均値が68.3%、中央値が70%で、従業員数50~100人未満は平均値70.4%であるとしている。

(3) 一審原告らの賃金減額は、超勤手当を考慮しなくとも年間64万6000円であるが、年間X1が24%、X2が22%。X3が20%であり、上記JILPTの調査による平均の減額率をかなり下回っている。このことと「本業の運輸業については、収支が大幅な赤字となっていると推認できること」から、「年収ベースで2割前後賃金が減額になっていることが直ちに不合理であるとは認められない」とした。

(4) その他、正社員の能率給に対応するものとして、歩合給を設けて支給割合を高めたこと、無事故手当を増額したこと、老齢厚生年金が支給されない期間について調整給支払ったこと、組合との間で一定程度の協議が行われ、一定の労働条件の改善を実施したことを考慮して、労契法20条違反ではないとした。


■コメント

 東京地裁判決も、東京高裁判決と同様、定年後再雇用の場合に、賃金を切り下げること自体を不合理とはいっていない。しかし、東京地裁判決は、同じ職務内容かつ職務内容及び配置の変更の範囲も同一の場合に2割強の減額が合理的というためには、特段の事情が必要であるとした。①と②の要件を重視する東京地裁判決のほうが自然な解釈であろう。

 他方、東京高裁判決は、JILPTの調査結果から、3割くらいの減額は社会的に許容されているとして、長澤運輸では2割強にとどまっているから合理性があるとしたものである。

 ただ、実際の減額は超勤手当も考慮しての賃金差額(原告3名の平均)は、定年前1年間の年収が527万円だったものが、定年後再雇用1年間の年収が374万円と29%の減収となっている。高裁が2割強と認定したが、これは超勤手当をのぞいた月額給与の差額と思われる。

 しかし、JILPTの調査結果が実態だとしても、労働契約法20条の施行前の実態を基準にすることは、有期雇用の労働条件を改善しようという労契法改正の趣旨に反するのではないだろうか。

 なお、東京高裁判決も「2割強の減額は直ちに不合理とはいえない」としたまでで、3割を超える減額まで合理的だとは言っていない。私が担当している定年後再雇用の賃金減額事件は、正社員当時の基本給から39%も減額された事案であり、その他の手当も含めれば月額で45%も減額された事案である。このような場合にまで合理性があるとするわけではないだろう。

 また、東京地裁も東京高裁も、個々の労働条件ごとに合理性を判断していないことが両判決ともオール・オアナッシング、「白か黒か」の硬直的な結論につながったように思う。


 貨物自動車のトン数や種類ごとに支給される職務給を、同じ仕事(同じ貨物自動車の運転・荷下ろし)をしているのに、有期社員に支給しないことが果たして合理的であろうか。この職務給が、貨物自動車に乗務する運転士の労働負荷に対応して支払われる労務対価であれば、同じ仕事に従事する有期社員に一切支給しないことは不合理であろう。


 賞与についても、正社員に支給される5ヶ月分賞与が給料の後払い的な性格が強いものであれば、正社員と全く同一水準であるかどうかはともかく、一切支給しないということが果たして合理的なのか否かを検討すべきではないだろうか。

 長澤運輸事件は最高裁に上告された。大阪高裁のハマキョウレックス事件判決(定年後再雇用ではない有期社員の運転士と正社員運転士との労働条件の相違が問題となった事件)も、最高裁に係属している。

 おそらくあと一年くらいで、両事件についての最高裁判決が出されるだろう。

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2016年9月18日 (日)

読書日記 『テロ』フェルディナント・フォン・シーラッハ著

2016年7月東京創元社出版
2016年9月読了

朝日新聞の書評欄に掲載されていました。著者は、ドイツ人の刑事弁護士だそうだ。
http://www.asahi.com/articles/DA3S12565099.html

■少数を犠牲にした少佐は有罪か

 法廷に立った被告人は、ドイツ連邦空軍のラース・コッホ少佐。戦闘機パイロットの彼は、ドイツ上空でテロリストにハイジャックされた旅客機を撃墜し、乗客164人を死なせた罪に問われた。だが、テロリストは、旅客機を7万人収容のサッカースタジアムに墜落させようとしていた。7万人を救うために164人を犠牲にする判断だった。
 撃墜命令が出ていないのに個人の判断で撃墜した少佐の行為は有罪か無罪か。この戯曲の読者、劇の観客が結審後にどちらかを決める体裁で、二通りの判決文が用意されている。

■ドイツ刑法の特色

この本(戯曲)の展開の前提が二つあります。特に、日本刑法のような緊急避難条項(刑法37条)がドイツ刑法にはないことが重要です。

第1点は、ドイツでは航空安全法にて、ハイジャックされた民間飛行機がテロの道具とされた場合にはドイツ国防大臣の命令によって乗客が乗っていても飛行機を撃墜しても良いと改正された。しかし、ドイツ憲法裁判所は、この航空安全法の規定を、無辜の人を救うためとはいえ他の無辜の人を殺す規定であり、ドイツ基本法(憲法)が定める「人間の尊厳」に反して違憲と判断したこと。


第2点は、ドイツ刑法の違法性阻却規定は、「正当防衛」と「緊急救助」しかなく、ドイツの「緊急救助」とは、自己又は親族のために行う緊急避難しか認めないということです。

ですから、戦闘機パイロットは、ドイツ刑法では、自己の親族のために旅客機を撃墜すれば処罰されないが、第三者のために撃墜した場合には、ドイツの緊急救助規定は適用されない。

そこで、ドイツでは、戦闘機パイロットの撃墜行為が乗客乗員164人に対する殺人罪に該当するのか、超法規的違法性阻却事由が認められるかが法的に問題になるわけです。

有罪を訴える検察官は、
皆のモラルや良心は揺れ動くものであり、個人のモラルや良心によるのではなく、憲法を優先して判断すべきであると弁論します。「憲法が『人間の尊厳は不可侵である』と定めている以上、人間の生命を道具や手段として扱ってはいけない。乗客や乗員の努力でハイジャック犯を倒せた可能性も否定できない。何人も無辜の生命を一方的に決定して奪うことは許されない。国防大臣の命に反して旅客機を撃墜する行為は,殺人罪であると。


■無罪を訴える弁護人は、


憲法裁判所はテロリストに負けた」と批判します。この撃墜行為が許されないとなれば、テロリストは旅客機をハイジャックしてテロを実行することになる。ドイツの警察や軍隊は手も足も出ないわけであるから。有罪とすれば我々の生命を脅威にさらすことになる。より大きな悪を防ぐためにより小さな悪を選択すべきだ。確かに、乗客の尊厳を損なうかもしれない。しかし、私たちが選んだわけではないが、私たちは戦時下にいるのだ。戦争には犠牲がつきものなのだ。


■日本の緊急避難(刑法37条)によれば、
日本の刑法37条1項本文は、次のように定めています。


「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。」

これを上記事案に適用すれば、他人の生命、身体の現在の危難を避けるために、やむを得ずした行為(撃墜行為)は、164人の生命を犠牲にしたが、7万人の生命を助けるためだから処罰されないことになります。

日本の刑法を適用すれば、ドイツの戦闘機パイロットの行為は、違法性が阻却されて、無罪となります。

日本では、ドイツのような法哲学的かつ憲法学的な法的論点は生じない。日本の刑法37条は、英米法的な功利主義に立脚しているのようだ。ドイツ的なカント道徳論とはだいぶ異なる。
 

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2016年9月14日 (水)

「シン・ゴジラ」と「平成ガメラ」

 安倍首相が、「シン・ゴジラ」で「自衛隊の活躍が描かれている」と嬉しそうにコメントしたそうです。


 他方、「シン・ゴジラ」は、「自衛隊礼賛映画で、憲法改正して緊急事態条項導入しようとする勢力の露払いである」との左派からの批判もあるようです。

  ところで、1995年に公開された「ガメラ 大怪獣空中決戦」(金子修介監督)という映画があります。私は、映画関係の労働組合の活動家から「子どもだましの怪獣映画と思うだろうけど、騙されたと思って観てくれ。」と言われて、レンタル・ビデオ屋で借りて観ました。

  この「平成ガメラ」は面白かった。着ぐるみの「ガメラ」なんだけど、ガメラとギャオスとの戦いは素晴らしくエキサイティングだった。また、自衛隊は、ガメラと対ギャオス駆除の共同戦線(集団的自衛権?)を展開するのも面白かった。その後、「ガメラ2レギオン襲来」も公開され、この平成ガメラ・シリーズは自衛隊全面協力の映画となりました。金子監督の「ガメラ」には、官房長官が自衛隊に防衛出動を発令するシーンもありました。この点では「シン・ゴジラ」の原型です。

 「平成ガメラ」の公開当時、「自衛隊の礼賛の映画だ」と左翼陣営から批判がおこりました。
 ところが、面白いことに金子修介監督(1955年生まれ)の父親はベトナム反戦のために十数年間にわたり、「ベトナムに平和を」というゼッケンを着けて通勤し社内でもゼッケンをつけた反戦活動家だったそうです。これは金子監督ご本人も語っておられ、ご両親は「左翼一家」だったとのことです。また、金子監督自身、山本薩夫監督を尊敬していると語っておられるので、まあ「左派」のはずです。

 このような「左派」の監督でも、ガメラが日本に現れたらと想定したら、やはり自衛隊を描かざる得ないのです。お子ちゃま向け映画では、ウルトラ警備隊や地球防衛軍という設定がありえるのですが、それでは「お子ちゃま映画」から脱せないわけです。

 では、金子監督は自衛隊を礼賛映画をつくったのでしょうか。そうではないですね。

 SFとはサイエンス・フィクションですが、ファンタジーではありません(私見)。あくまでSFはフィクションなのですが、どこかサイエンス(疑似サイエンスでも)な裏付けがなければ面白くないわけです。それがないと完全な「ファンタジー」となり、男にはつまらないのです。
 現実に「ゴジラ」や「ガメラ」が現れたとすれば、日本人と日本社会がどう反応するのかを考えるときに、自衛隊や政府・官僚の動きを想定しなければ、面白いものにならないのです。それは「自衛隊礼賛」とか、そうでないとかという政治的思惑とはまったく関係がない話です。
 「シン・ゴジラ」が愛国映画だとか、自衛隊礼賛だとか、という評価論争(?)があるようです。でも、そんな政治メッセージ(政治プロパガンダ)からは超越しているのでしょう。まあ、そういう評価論争を映画宣伝の一環に利用しているとも言えますが。
 庵野秀明監督(1960年生まれ)は、アニメの「エヴァンゲリオン」や実写映画の「式日」、「ラブ&ポップ」をつくってきました。これらを私も観ていますが、何を考えているのかよく掴めない監督です。が、彼のつくる映像のかっこよさはとびきりです。「ラブ&ポップ」のラストの「あの素晴らしい愛をもういちど」の歌をバックに、「どぶ川」(渋谷川)を行進する女子高生のシーンは秀逸でした。
 庵野監督は宮崎駿や高畑勲とも仕事をしているので、「物語」をつくるにあたって、政治的な脈略も理解して作っているはずです。高畑・宮崎は、「映画を描くには、作品の背後の社会的・政治的背景をもった世界を構想しなければならない。映画で描くのはそのうちの2割だ。でも、そういう構想をもたないと映画のリアリティや世界観は出せない」と語っていました。庵野監督もこういう考えのはずです。
 しかし、このような政治的背景を前面に出すことは、映画作品としては「掟破り」(ダサい政治的メッセージ)であることも熟知しているはずです。でも、そういう「味付け」が社会的な注目を浴びる手段であることもわかっている。映画という社会的作品は、多様な解釈を許容する広がりと深さをどれだけ持つか、多面的な存在だからこそ、商業的な価値も含めて「価値」が高まることをよく庵野監督は知っているはずです。
 その意味では、「シン・ゴジラ」も「平成ガメラ」も、政治的メッセージなどは持っておらず、脚本家と監督が映画を極めたいと思った結果でしかないでしょう。そこにどのようなメッセージを読むかは観客に委ねられることになります。
 私は、「シン・ゴジラ」で自衛隊が活躍しても、「日の丸」ははためかないことに意味を読みこみます。また、日本人には、超人的なヒーローは出現せず、チームプレイに徹するしかない。日本ラグビーや陸上400メートル・リレーのように。これも私の勝手な解釈です。

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2016年8月 7日 (日)

映画評「シン・ゴジラ」

庵野秀明監督・脚本の「シン・ゴジラ」を観ました。


お見事!

 
というしかない。

同年代(50~60歳台)のオヤジ世代には、是非、大画面の映画館でごらんになることをお勧めします。

詳しいストーリーは省略、以下ネタバレの感想です。映画未見の方は読む前に映画館でご覧ください。

***ネタバレ感想*********************
この映画で、何よりも面白い点は「福島第一原発事故」の実際の展開を踏まえて展開するという点です。


一種の「政治的パロディ 怪獣映画」です。

けっして、「怪獣」(ゴジラ)が主役ではなく、ゴジラは想定外で未曾有の危機の象徴であり、それが出現したとき、現実の今生きている日本人(政府や官僚や国民)がどのように対応するかという局面こそ庵野監督が描きたかった物語でしょう。

まさに、ゴジラは「荒ぶる神」であり、「荒ぶる原発」の象徴です。

原発事故の対応に追われる首相や官邸サイドの動き、御用学者の発言、政治家や官僚組織の右往左往、自衛隊や消防隊、現場の協力業者などの動きをもとにして、本作で描いているとしか思えません。

だから、ゴジラが通過した後の被災映像はすべて既視感があります。船を巻き込みながら川を遡上する津波、がれきだらけになった街中。

このような映画シーンは、津波被災と福島第一原発事故被災をうつしたテレビ映像そのままです。首相や閣僚が着ている各省の防災服、対策本部での会議室の様子も、福島第一原発事故の様子そのままです。

ゴジラ対策を練る閣僚会議や政府高官の会議、官僚の会議がパロディとなって、その日本的な風景に苦笑(爆笑)せざるをえない。官僚組織の動き方など、福島第一原発事故の事態どおりであり、まさにそうだったなあと思わせます。

自衛隊の対ゴジラ出動も、「治安出動なのか、防衛出動になるのか」を官僚と閣僚が法律に基づき議論します。結局、「有害動物駆除」として総理大臣が「防衛出動」を命じるなんてストーリーが面白い。いかにも日本的な「官僚内閣制」です。

自衛隊が出動してゴジラ攻撃を実行するシーンでは、初回ゴジラ作品と同じ「ゴジラのテーマ音楽」が流れるのも良い。
ちなみに、初回ゴジラは1954年放映だが、同じく1954年に自衛隊が設立されている(それまでは、警察予備隊、保安隊)。自衛隊の戦車や戦闘機がゴジラを攻撃していた。シン・ゴジラでも、自衛隊が最新鋭部隊がゴジラを攻撃するが、当然、通常兵器ではまったく効果なし。

「想定外なんで、よくあることだ。」「ゴジラが上陸するのなんて絶対あり得ない。」と発言をしていた首相をはじめとした古手の閣僚が乗ったヘリコプターが、ゴジラに一瞬で破壊され、あっけなく全員死亡。

さらにシン・ゴジラで面白かったのは、ゴジラ対策に米国・米軍が介入してくる点です。

福島第一原発事故の際に、メルトダウンし4つの原発がすべてコントロールできなくなった場合には、米軍が介入するという話が現実にあった。米国は官邸に米軍を常駐させるように要請し、これを菅総理は断っている。東京全避難になっていたら、米国人・米大使館保護のため在日米軍の介入は必至だった(菅総理談)。
ということで、映画では、ゴジラへの自衛隊の攻撃が失敗し、米軍が東京の核攻撃を決定し、国連安保理も承認し、対ゴジラ多国籍軍が編成される。日本政府は、米国には逆らえないって承諾してしまう。

さて、東京は、日本はどうなる?

 
首相ら主要閣僚が死亡した後、「昼行灯」のような老政治家が、やむなく総理大臣を押しつけられ、アメリカにもたてつけない。


彼は「まあ がんばってね。しょせんわしが責任とらされるから」って言うかのように若手の政治家や官僚にあとの対策を委ねる。


その若手らが民間企業と協力しながら活躍。エンタテイメント映画としての壺もおさえています。

最後は、福島第一原発事故の「使用済み燃料プール」への放水場面そのままのような、自衛隊と民間業者の共同作戦が最大のヤマ場。超速いテンポでの場面展開で、ついてけない人もいそうです。

完璧なエンターテイメント映画です。見終わった後に隣に座っていた若い男の観客が「まるでエヴァだなあ」とつぶやいていました。確かに映像が庵野監督のアニメ「エヴァンゲリオン」に似ているという評も多いようですが、それはどうでもよいように思います(映像としてはゴジラは素晴らしくかっこいい)。

何より本映画の特徴は、ゴジラのような想定外の物事が起こったとき、右往左往する日本政府(と日本人)に対する諦観と痛烈なパロディでもあり、それでも日本人は日本人のままなんとかするしかないし、なんとかできるという楽天的なメッセージもあります。そうしないとエンターテイメントになりませんから。

この映画は、福島第一意原発事故をふまえて、日本人の政府や組織の会議や対応をリアルに描いています。ですから、子どもや外国人には、この映画の面白さはおそらく理解し難いでしょう。他方、組織に属する日本のオヤジたちは思い当たる点が、多々あり微苦笑できます。

最後に、ネタバレついでに言えば、ニコリともしない常にクールな「理系女」の環境省女性技官のラストの表情が印象深いです。

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2016年8月 6日 (土)

ヘイト本と出版の自由-出版労連シンポジウム

 さる7月30日に、出版労連が主催したヘイト本を考えるシンポジウムにパネラーとして参加しました。

http://www.labornetjp.org/news/2016/1469979721323left

ヘイトスピーチ出版、いわゆる「ヘイト本」(例えば「そうだ難民しよう! 」はすみとしこ著・青林堂)について出版人の良心を問うという企画でした。

私は法律家として、コメントするという立場で参加。

あらためてヘイトスピーチの国際人権法について諸岡康子弁護士の「ヘイトスピートとは何か」(岩波新書)を読みなおしました。

https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1312/sin_k743.html

■ヘイトスピーチ解消推進法の成立

 正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」と言います。具体的な規制は盛り込まていない「理念法」ですが、外国人に
対する不当な差別的言動の定義を次のように定めます。

「①差別的意識を助長し又は誘発する目的で、②外国の出身であることを理由として、③公然と、④生命などに危害を加える旨を告知し又は著しく侮蔑するなど、地域社会か
ら排除することを扇動するもの」

 問題を抱える法律とはいえ、ヘイトスピーチ解消推進法が成立したことは最初の大きな一歩前進です。

 この法律も次の国際条約をもとにしたものです。

●国際自由権規約第20条2項
 「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。」
この国際自由権規約を日本は、1979年に日本は批准してます。

●人種差別撤廃条約
第1条1項
 
 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをい
う。

第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。


  (a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪
であることを宣言すること。

  (b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

  (c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

 この人種差別撤廃条約については、日本は、1995年に第4条(a) (b)を留保した上で批准しています。留保とは、上記(a)(b)処罰規定については排除又は変更するという留保条項です。

■人種差別条約ではなく、人種「的/等」差別条約

 人種差別撤廃条約の第1条の定義だと、「人種」だけでなく、世系、民族的、種族的出身も含まれるので、本来は人種的ないし人種等差別条約と訳したほうが良いです。日本人と韓国・朝鮮人は人種は一種ですが、民族的には異なるので、同条約が適用されます。

■ヘイトスピーチの定義が不明確かつ広範囲

 人種差別は、けっして許されないが、すべて処罰することは表現の自由を侵害するのではないか。これが問題です。「ヘイトスピーチ」、「人種差別的表現」、「人種的憎悪をあおる宣伝」、「民衆扇動をして人間の尊厳を侵害する表現」とか言っても、あやふやな定義でしかありません。

 中国や北朝鮮の軍事的膨張主義、あるは米国の帝国主義的軍事介入主義を批判することが、人種的差別表現として規制されるかもしれません。

 笑い事ではなく、諸岡康子弁護士の岩波新書では、このような濫用的事例が報告されてます。


■ドイツの濫用事例



 ドイツでは、ドイツ刑法130条1項にて「公共の平穏を乱す態様で憎悪をかき立てるなど他人の人間の尊厳を攻撃する行為」を禁止してます(民集煽動罪)。
 1991年、ドイツの平和運動家が、湾岸戦争へのドイツ軍派兵反対運動として、「兵士は人殺しだ」というステッカーを貼った行為が、民集煽動罪で起訴されたという。

 1994年、ドイツ連邦通常裁判所で被告人は無罪となった。ただ、ドイツの裁判所の判断は「ドイツ連邦軍兵士は人殺しだとの表現は130条1項該当するが、兵士は人殺しとの
表現は該当しない。」とうものであった。


■トルコの濫用事例


 クルド人女性弁護士が軍によるクルド人女性へのトルコの蹂躙を批判したところ、その発言が「人種的憎悪の扇動を禁止する法律」違反するとして有罪とされた。

■ヘイトスピーチは表現の自由か

 そもそもヘイトスピーチは表現の自由に含まれないという立論をする人がいます。しかし、あまりに単細胞の発想です。ドイツやトルコの濫用事例を見れば一目瞭然でしょう。日本でも、共産党が自衛隊予算を「人殺し予算」と発言しました。ドイツでは、この発言が民集煽動罪で有罪になりかねないということになります。日本で、この規定があれば、自民党政府はよろんごで共産党の発言者を刑事訴追したことでしょう。

 ですから、ヘイトスピーチに対する規制は必要ですが、その規制方法と程度は慎重に検討しなければなりません。
 
■法律家としては

 立憲主義を尊重する法律家としては、ヘイトスピーチ規制の目的は」正当であり、今や日本ではその必要があると考えますが、その規制手段と規制の程度は慎重に検討しな
ければならないと思います

 国連の人種差別撤廃委員会も、すべてのヘイトスピーチに処罰規定を設けろと言ってるのではなく、次の三段階に分けています。
 最悪レベルは「犯罪として処罰」(刑事規制)、悪質レベルは、「民事・行政的規制」、法違反ではないが「憂慮すべき表現」として社会的に非難するレベルです(ヘイト スピーチに関する一般的勧告35・2013年、ラバト行動計画・2013年 上記諸岡康子著書)。
 出版については、外国人などに暴力によって危害を加えるよう扇動する以外には、どんな内容でも法的な出版禁止などは設けるべきではないでしょう。やhり言論には言論にて対抗するのが原則です。


 こういうと、「お前は被害者の心の傷をわからないのか」とか「ヘイトの被害者には表現の自由がない」とか「いまだにヘイトスピーチを表現の自由に含まれるというお前はレベルが低い」とかのお叱りを受けます。


http://www.magazine9.jp/article/biboroku/29674/

 弁護士は、刑事事件の被告人を弁護するときには、「被害者の人権を否定するのか」とか、「被害者の気持ちを考えろ」とか非難されます。でも、法律家としては、加害者がどんなにひどい悪辣非道な犯罪者であっても、適正手続や表現の自由を保障する「法の支配」を否定することはできません。バランスが必要です。

■ヘイト規制を声高に言う人は政治権力を信頼しているのか

 ヘイトを刑事規制をしろと声高に言う人はおそらく政治権力や司法や捜査機関を信頼しているのでしょう。

 しかし、私は、日本の政治権力や捜査機関を、長年の弁護士経験からして、まったく信用していません。唯一信用できるのは、司法手続が公開されて世論の批判をうけるシステムがあることだけです。裁判官を信用してるわけではありませんが、司法手続と判決や決定が公開されていることは、表現の自由が保障されている限りまだ信用できると思います。
 
 何よりも日本は、戦前支配層の流れをくむ保守政治が長く続いてきています。

 中には未だに、「国民主権、基本的人権保障、平和主義を捨てなければ日本は独立国家になれない」とか「日本は天皇を中心とした神の国だ」とかを唱える自民党政治家や日本会議のトップの元最高裁長官がいます。彼ら彼女らが、これを本当に信じているなら、まさに民族主義の狂信主義といってもよいでしょう。欧米的な基準からすれば、小池百合子氏も、稲田朋美氏もネオナチばりの歴史修正主義者であり、右翼民族主義者にほかなりません。しかも核武装論者です。


 そんな日本に、ヘイトスピーチの刑事処罰法を導入すれば、捜査機関を使って政府の気にくわない言論をヘイトスピーチとして弾圧を加えるあらたな方策を政治権力に与えるだけです。

 なぜ、リベラルと言われる人たちがヘイトスピーチ刑事処罰法を導入しよとしているのか、私は理解に苦しみます。

 これからの将来、共産党独裁の中国の台頭や混乱、日本の経済的地位低下を考えれば、日本人が右傾化していくのは不可避で、それは歴史的必然でしょう(古今東西の歴史が人間とはそういう傾向があることを証明している)。このような情勢の中で、リベラル派がヘイトスピーチ刑事規制を求めることは、敵に塩を送り、自らの首をしめるようなものでしょう。

■ではどうするか

 私は、政府や行政から独立した「人種的差別撤廃委員会」を設置して、行政的規制(ヘイトスピーチへの警告、勧告、違反者への公表。例えば、大阪市条例のような法律)、そして、被害者に代わって裁判所に事前差し止めや損害賠償を訴える権限を付与するようにしたらよいと思います。労働委員会のような委員会ですね。

 どうしても、刑事規制をするとしたら、公務員(議員、候補者、自治体首長を含む)の不当な人種差別的言動を処罰する犯罪類型を設けること、また、人種的差別を目的とする傷害、殺人、威力業務妨害について刑罰加重規定を設けることは検討にすべきだと思います。


参照:日弁連の人種差別撤廃に向けた取り組みの意見書
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/2015/opinion_150507_2.pdf

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2016年4月10日 (日)

ガルブレイス -「労働組合是認論」(あるいは解雇規制)の経済学的根拠

読書日記 「ガルブレイス-アメリカ資本主義との格闘」伊東光晴著 岩波書店
2016年3月 第1刷発行
2016年3月 読了
■定点観測-面白し
 10年、20年30年、同じ学者の本を読むことを、私は「定点観測」していると思っています。この人と思ったらずっと読む(小説もそうだけど)。ずっと同じ学者の書いたものを時代を超えて、10年20年30年読むと「面白し」です。
 「面白し」とは、暗闇のなかで見えなかった顔が、だんだん見えてくるということを意味するそうです(高校の古文で習った)。学者の顔が見えてくるだけでなく、時代の顔も、自分の顔も見えてくるのかも。


■定点-伊東光晴教授


 伊東光晴教授(京都大学名誉教授)の最新著作です。伊東教授は、1927(昭和2)年生まれですから、今や89歳。
 大学生時代から雑誌「世界」に掲載された伊東先生の論文や、一般向けの経済書を、気がつけば必ず読んできました。いわば定点観測対象です。他方の極点の定点観測は野口悠紀雄教授や八代尚弘教授です。
 伊東教授は、30年前から常に「ファクト・ファインディングこそ大切」と強調されてきました。伊東先生は、昭和2年生まれの日本人です。私の死んだ親父と同い年です。昭和の「恐慌」、「農村の困窮」、「失業」、「戦争」のすべてを知って、経済学者になった人でしょう。親父と同い年ということでなんとなく想像できます。
 伊東教授は、いわゆる「近経」の経済学者ですが、マルクス主義経済学者との交流も多く佐藤金三郎の「マルクス遺稿物語」の後半を伊東教授がまとめた。伊東教授の著作を読むと、伊東先生の「人物」の大きさがわかります(八代教授や竹中教授とは「格」がちがう、と思うのは私が昭和生まれだからでしょうか)。
 旧制高等学校の伝統を持つ、良き教養主義の教師。情熱と品格、まさに「クールヘッド&ジェントルマインド」なる「人物」の典型でしょう。


■著者自身の「アメリカ資本主義ないしアメリカ経済学との格闘」
 この本は、ガルブレイスの生涯と彼の経済学の紹介ですが、それにとどまらず、著者自身の「アメリカ資本主義との格闘」といえます。
 伊東教授は、現代のアメリカ資本主義は、「市場原理主義」というイデオロギーによって営まれる市場経済であり、その「アメリカ自由主義」は、「個人の自由」・「自己責任」の絶対視と適者生存の「社会ダーヴィニズム」(イデオロギーとしての自由主義)に支配されているとして、次の言葉を引用します。
 「大企業の発達は適者生存にほかならない。」 「アメリカンビューティー種のバラがつくられて、見る人の喝采を博するのは、そのまわりにできた若芽を犠牲にしてしてはじめてできることなのだ」。スタンダート石油会社もバラと同様である。「それは自然の法則と神の法則にほかならない」と。by 石油王ロックフェラー



■アメリカ自由主義と社会ダーヴィニズムのイデオロギー
 このような社会ダーヴィニズムの考え方は、今でもアメリカでは社会に浸透しており、共和党右派のティーパーティの思想でもあり、アメリカ経済学に入り込んでいる。リバタリアンの思想と共通している。
 「経済学のテキストブックを見れば、必ず消費者が、もっとも特なように行動をした結果としての需要曲線と、同じように企業が自ら望むように行動した結果としての供給曲線が引かれ、その交点で、価格が決まるという図が書かれている。その交点での価格と需給の量が望ましいのであり、それをもたらすのは競争である。
 これを乱す政策は悪である。農産物支持価格、家賃規制、最低賃金制、そして労働組合の活動は、この最適状態を乱す「反社会的行動」であるとしている。市場原理主義者と結びついた需要・供給・価格決定理論は、こうして社会ダーヴィニズムの支持理論となり、市場競争で敗れた者や貧困者は、自ら招いた結果にほかならないのである、ということを意味している。」(100頁)
 上に付け加えれば、アメリカ的市場原理主義者は、「使用者の解雇を規制することは、労働市場の最適状態を乱す反社会的行為であり、社会全体の雇用量を減少させて、失業者を増加させるだけだ」とも主張しています(八代尚弘教授、竹中平蔵教授ら)
  このようなアメリカ人の「格差容認」「貧困は自己責任」という価値観が強いのは、ヨーロッパのような伝統的な村落共同体の中での相互扶助の歴史がなく、そこから新天地アメリカに移住し、広大な土地に点在して、自らの努力のみで土地を切り開いたという社会的土壌があるからと指摘します。(なお、これに加えて、アメリカ原住民を殺戮し、アフリカ人奴隷を使ったという「暴力」の土壌があったと私は思います)。今や、この考えは日本でも主流となっています。
 ガルブレイスは、競争モデルに対して、拮抗力(対抗力)が必要と主張した。
「個々の労働者は比較的流動性(新しい職を見出し移ること)に乏しいため、長いあいだ私的な経済的支配力にたいしてきわめて弱体であった」。それゆえに労働組合に結集し、対抗し、労働時間の短縮や、賃金の引き上げを求めてきた、と。

■労働供給曲線、労働需要曲線
 伊東教授は、ケンブリッジ大学のマーシャルの「経済学原理」の労働供給曲線のことを述べます。 

 現代の経済学教科書は、当然のことながら「労働供給曲線」は「右上がり」です。賃金率が上がれば労働供給量は増し、賃金が下がれば労働供給量は減る。で、労働需要曲線は「右下がり」です。この両者の曲線の交点が均衡賃金、均衡雇用量です。
 ところが、マーシャルは、個々の労働供給曲線は、「右下がり」になると考えた。もし賃金率がW1からW”に切り下げられたとしよう。一時間があたり賃金が下がった。生活するためには、いままで通りの収入額がほしい。そこで、もっと長時間働こうという誘因が労働者に働く。賃金率の切り下げは、労働供給量を増加させる。
 つまり、労働市場は自己調整メカニズムを持たない。もし労働供給が過剰で賃金が下がれば、労働供給量が増え、さらに労働供給が過剰になり、賃金が下がる。‥‥ それが止まるのは労働者の生活の崩壊によってである。
  こうした賃金低下が一層の賃金低下を招くという悪循環を食い止めるためには、労働者が団結して自らを守る労働組合が必要であるというのがマーシャルの考えである。労働組合是認論の経済学的根拠は、この労働曲線の形であり、労働市場は自己調整能力を持たないという考え方である。(160頁)


■現代における労働組合衰退の経済学的根拠と労働者階級への葬送曲
 上記のマーシャルの考え方はマルクスと共通しています。
 しかし、ガルブレイスは、現代の資本主義での労働組合の役割の低下を次のように述べているそうです。
 インダストリー(生産の経済が社会を引っ張る時代はもはやすぎた。大企業体制の中で、価値を創造するのは、もはや「労働者」ではなく、「テクノストラクチャア」(工学・経済学・経営学・金融工学の技術者)ですから、大企業内で、組合は労働者にとってそれほど必要なものではななくなっている。

 さらに、伊東教授は次のように述べます。
私はこれに付け加えたい。マルクスが見た資本主義企業の下で生産を支えているのは、苦しい労働を続ける労働者であった。マルクスの言う生産力は彼らが担っていた。だが、大企業体制の中で、技術を進歩させ、労働者を搾取することなくより多くの利潤を生み出す体制をつくり出す生産力の体制をつくり出す生産力の上昇は、テクノスクラクチュアたちの努力である。技術者たちの総合力が生産力の担い手になったのである。労働者はその成果の享受するものになっていく。受益者が、マルクスの考かたような変革の主体になり得るのかどうかは疑わしい。
 この点は、おそらくそうなんでしょう。もはや先進資本主義国での労働者階級に、「世界史的な使命」などは存在しない。労働組合は、単なる「正当なプレッシャグループ」にしかすぎないでしょう。だからこそ、正当なプレッシャグループとしての役割を発揮してほしいものと私は思います。

■マルクスは労働者が可哀想だから味方したのか?
 マルクスとエンゲルスは、格差で苦しめられている労働者階級が可哀想だから味方したのではけっしてない。
 マルクスとエンゲルスは、労働者階級こそ「生産力の担い手」であり、労働者たちが団結して「自由な独立した生産者」として、経済計画をたてることで、皆の「アソシエーション」による「自由の王国」を打ち立てることを夢見た。そして、その経済学的根拠は、労働者こそが「生産力」を担い、生産力を飛躍的に高めることができるからという点にあった。
 ところが、ファクトファインディンスすると、現代の資本主義では労働者が生産力発展を担うということは、もはや否定されてしまった。労働者は単純生産の機械の歯車にすぎず、生産力を高める役割を担えるような能力はない。これからは人工知能とロボットに置き換えられる存在にしかすぎない。世界史を発展させる階級としての駆動力はもはやないと言わざるを得ない。
 今や、大企業体制の中で「テクノクラート=テクノストラクチャア=技術者」たちこそ、生産力発展の担い手であり、かれらこそ「株主」らから自立した「経営者階級」として、新しいグローバル資本主義を担う勢力(新しい支配階級)になるのでしょう。ブルジョア階級と技術者階級の合体としての「ブル=テクノ階級」ですな。

■経済二分論
 現代資本主義は、経済的に見て二つの領域に分かれているというのがガルブレイスのファクト・ファインディングの結論。
 
 第一は大企業によって、支配されている部門である。。正確に言えば少数大企業からなる寡占市場と、その巨大企業に部品その他を供給する企業集団を含めたものである。第二は各地に分散している個人企業、農業、サービス業-彼の言葉で言えば市場に従属している部門-である。
 上記の二つの部門では、経済的稼働の基準がまったく異なる。前者の経済部門では、競争モデルは妥当しないし、独占(寡占)企業の消費者の欲望を支配している。労働者には専制君主として力を行使しているもの。後者の部門では、自己努力や自己責任というプレッシャーの中で、「自己搾取」が行われている。

  
この企業の行動基準が大企業とそれ以外の二つに分かれるというのは、日本でも労働裁判をしていて私も感じるところです。日本では、究極的な自己搾取は、「過労死」として現れている。
 
伊東教授曰く、
 ガルブレイスが経済学の知的遺産に加えたものは何か。
 経済学を、現実との格闘に引き戻し、少数の巨大企業、他方で、その外縁にある多数の個人企業と農業のそれぞれの”行動様式”と”市場”について「実証的解明」をしたことである。それは個人の合理的行動の上に演繹理論をつくりあげていく既存のミクロ理論の否定である。それによって、プログラマティズムに基づく有意な政策を示すことで、適者生存の社会ダーヴィニズムのイデオロギーを葬ることでもある。


■最後に
 この著作を読むとロールズの正義論や格差原理がやはり頭に浮かびます。
 アメリカ民主党のサンダース大統領候補が、このガルブレイスやロールズの流れの中で登場したのかと思えます。いまだに生きているガルブレイスということか。たまたまであろうが、時期を得た著作です。

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2016年3月21日 (月)

ベトナム労働法 印象記

■ベトナム労働法調査

 今年3月中旬に、ハノイのベトナム労働総同盟(ベトナムの労働組合中央団体)、ベトナム商工会議所(ベトナムの国営企業や民間企業、外資系企業が入会している使用者団体)、現地の法律事務所、ジェトロのハノイ事務所などを訪問して、短時間ですが説明を受けました。  現地の方の説明を私が誤解している可能性もあると思います。正確性に問題はありますが、ベトナム労働法事情の印象を簡単に記します。

■ベトナムについて  

 ベトナム社会主義共和国は、社会主義国ですが社会主義的市場経済を推進するという、ドイモイ路線を1986年から 進めており、労働市場も市場機能を重視しています。企業も、国営企業だけでなく、一般の民間企業、外資系企業があります。  労働組合も企業レベル、地方レベル、中央レベルで存在しており、賃金も各企業体で決める建前になっています。ストライキも、法的に容認されて実際にストライキが実施されています。社会主義国としては珍しい部類です。

■ベトナムの基本的な情報  

 

総人口は約9100万人。国民の平均年齢は約29歳、と子どもと若者が多数を占める。  

 

労働力人口は約5370万人。うち、農業従事者は約48%、工業従事者は約52%。  

 GDP成長率は、ここ数年6%を超えているとのこと。 2016年も6%後半の成長率が見込まれています。失業率は2%台。ということで完全雇用状態ですね。

 しかし、ベトナムの1人当たりのGDPは、インドネシアやフィリピンよりも少なく工業化は進んでいない。

■労働組合のナショナルセンター  

ベトナム労働総同盟一つ。

労組員数は約900万人との説明でした。  

労働力人口の中で半分が工業労働者として、組合組織率を推計すると約3割。  

社会主義国なので、もっと組織率が高いと思ったのですが、意外に少ない。


■ベトナム労働法

 労働法典が2102年に大改正されています。ジェトロの仮訳があります。  
 無期労働契約と有期労働契約(1年から3年)があるが、有期労働契約は1回のみの更新で2回更新すると無期労働契約となる(22条2項)。  
 ベトナムの労使とも「ベトナムでは長期雇用を推奨するのが政府の政策であり、企業の方針だ」と強調していました。

 他方で、実際の日系企業の経営者の方や地元の人は、ベトナム労働者は転職が頻繁で流動化が進んでいるため、今は労働者の雇用を長期化して、労働力の質を高めるのが課題というのが実情ということを聞きました。  


使用者が労働者を解雇できる場合を法律が限定列挙しています(38条)。  
a 頻繁な労働契約に定めた業務の不履行  
b 労働者の病気・事故によって一定期間(無期12ヶ月、有期6ヶ月後も回復しない場合)治療後も回復しない場合  
c 天災、火災又は政府が規定するその他の不可抗力の理由によりやむを得ず生産規模縮小及び人員削減を行う場合

   
 使用者が不法な解雇をした場合には、原職復帰(労働者の就労請求権)と労働者が復職を望まない場合の金銭解決の基準を法律で定めています(42条)。  
1 使用者は、労働者の復職認めて、解雇期間の給与、社会保険、健康保険及び最低2ヶ月の給与を支払う。  

2 労働者が原職復帰を希望しない場合には、使用者は1項以外に解雇手当(勤続1年に付き半月分の賃金相当額)を支払う。  
 ベトナムでは裁判所訪問はしなかったので、司法統計はわかりませんでした。事前勉強で日本に留学しているベトナム人弁護士に聞いたところ、個人的労働紛争の訴訟件数は、2013年で4417件、2014年で4682件があるとのことでした。ただ、ベトナムの人民裁判所の判決は公開されておらず、詳細はわかりません。

■集団的労使紛争について  

 集団的労使紛争(スト)は2011年で978件で多かったが、2012年は500件程度、その後、300件程度に減少している。


 集団的労使紛争が発生するのは、外資系企業が多く、台湾や韓国系の企業が多いのが現状であり、これらに比較して日系企業は少ないといわれている。  

 ベトナムでは、集団的労使紛争が件数をみてもわかるとおり、特に深刻化しているわけではないようだ。ストは法律に定めた手続がなされていない「山猫スト」が多いようだが、労働調停員や労働仲裁機関によって解決されている。


■近年の最大の関心事-賃金上昇


 ベトナム政府は、2018年に最低賃金を400万ドンにさせる方針を持っており、最低賃金を上昇させているとのこと。

 2014年で前年比14.9%、2015年も同14.8%をアップしている。一番高いハノイやホーチミン市では、月額310万ドン(約140ドル)となった。 また、最低賃金にだけでなく、平均賃金の上昇率は、ここ数年の平均が10%となっており、賃金上昇が顕著。ただし、中国やインドネシアとの賃金との比較ではまだ低い水準と言われている。


■ベトナム人の仕事観  

 ベトナムは、労働者の転職が結構頻繁で、職場への定着率を高めるのが労使双方の課題になっているようです。
 また、労働者の仕事観は、技師やエンジニアであればその仕事のみを行い、他の一般業務は行わないというジョブ型の発送が強いとのことです。欧州型のジョブ型的な仕事観のようです。
 現地の日系企業の管理者の方は、ベトナムの労働者は、真面目で嘘をつくようなことはないと言っていました。


■ベトナムとTPP-外資導入  

 労働組合も商工会議所もTPPに期待をかけており、TPPの批准によって、外資導入をすすめたいという姿勢でした。労働法改正による整備も外資導入という側面が強いように感じました。労使関係の要請として2012年の労働法大改正がなされたという観じはしませんでした。  

 最近は、日本は大型のベトナム直接投資は少なくなっているとのこと。韓国など直接投資が目立っているそうです。9000万人を超える人口をかかえて、国民も子どもや若者が多く占めていますから、これからさらに発展するでしょう。

■司法事情
 裁判所(人民裁判所)の判決が公開されておらず、どのような運用がなされているのか、不透明だとの意見もあります。社会主義国ということもあって、権力集中が特徴であり、司法部は独立しておらず立法機関(国会)の解釈権眼のほうが重視されているそうです。
 実体法の整備は、労働法を含めてそれなりに進められているのですが、司法手続の透明化は遅れているようです。
 法曹養成としては、弁護士は、大学の法学部、その後、司法学院(ロースクールと呼ばれる)に進み、座学と実務研修をして試験に合格したら弁護士になるそうです。

 裁判官と検察官は、弁護士養成と別ルートで、裁判所と検察に採用されて養成されることになっています。
 戦前日本の司法官制度のようなものです。刑事法廷も、裁判官、検察官の席は床より高く、床に被告人と弁護士が座るという形だそうです。

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2016年2月15日 (月)

「同一労働同一賃金原則」の法制化?

■安倍首相の答弁

安倍首相が、2月5日、衆議院予算委員会にて「非正規労働者の『同一労働同一賃金の原則』を実現する法制化を検討する」旨を述べたそうです。


安倍首相 「仕事の内容や経験が同じなら同一待遇を保障する「均等待遇」を検討する。」

http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/05/integrated-wage_n_9172176.html

首相は5日の予算委で、同一労働同一賃金について「必要であれば法律を作る」と述べ、法制化の検討に初めて言及。さらに「春に『同一労働同一賃金』実現の方向性を示したい。仕事内容や経験などが同じであれば、同じ賃金を保障する『均等待遇』に踏み込んで検討する」とも語った。  



ところで、賃金や労働条件は、使用者(会社)と労働者の「合意」(労働契約)で決定されます。しかし、労働者は使用者に比して弱い立場なので、正社員よりも低い賃金で働かざるを得ないのが現実です。非正規労働者の低い賃金も、いったん合意した以上、法的には有効とされます。両当事者の合意で決まった以上、労働局も裁判所も、法律上の根拠がなければこれを修正することはできません。

■ 今までの法規制  

漸進的ながら、労働契約法等が「同一労働同一賃金」的な規定を設けてきました。ちなみに、労働基準法4条に「男女同一賃金の原則」の定めがありますが、男女を超えた「同一労働同一賃金の原則」とは解釈されてきませんでした。また、ILO第100号条約(同一価値の労働についての男女労働者に対する同一報酬に関する条約)も同様なものとして解釈されてきました。そこで、同一労働同一賃金の実定法規は日本には存在しないとするのが、過去の裁判所の解釈でした。  


ところが、平成24年に改正された労働契約法20条は、「有期労働契約であることによる不合理な労働条件を禁止」しました。

また、平成26年改正のパート労働法も、同法8条で「パート労働者の不合理な労働条件を禁止」し、同9条で「正社員と同視できるパート労働者の差別的取扱いを禁止」しました。

平成27年には、いわゆる「同一労働同一賃金推進法」(正しくは、「労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律」)が「労働者が、その雇用形態にかかわらずその従事する職務に応じた待遇を受けることができるようにすること」を理念として掲げました。これは派遣労働者を対象とする法律です。ただし、基本理念を定めただけで具体的な手段は何ら定められていません。  

今回の安倍首相の答弁は、「労働者の職務に応じた待遇の確保」を念頭において、雇用形態(雇用契約)が違っても、「仕事の内容や経験が同じ」なら、「同一労働同一賃金の原則」が妥当することを法律として検討すると、かなり踏み込んだ内容となっています。これは、例えば、派遣労働者が派遣先企業に雇用されて働く正社員と「仕事内容や経験が同じ」ならば、「賃金を同一」にする法律を検討することを意味しています。

■「同一労働同一賃金の原則」と「日本型雇用」という「壁」  

もっとも、日本の場合には、賃金は「職務」に応じてのみ決まるものではありません。
労働者の「潜在的職務遂行能力」とやらの「属人的要素」で決められることになっています。そもそも就職する際は、ほとんどの場合に「職務」が特定されず、会社の指示で「職務」や「配置」を一方的に指定され、その後も「職務内容」や「配置」が一方的に変更されることになっています。  

会社も正社員であれば、そのときその仕事を担当していたとしても固定されることはなく、将来、状況の変化に対応して「職務」や「配属」が変更されるものと考えています。職務内容のみで賃金が決まるのではなく、そのときの職務や配属が何であろうと、正社員は「同じように一生懸命働けば、職務や部署が変わろうと賃金は下がることなく昇給できる」と考えてきました。だから、塩崎厚労大臣は、「職務給を導入」することが前提であるとの趣旨を答弁したのでしょう。  

ですから、日本では「短期的に2、3年程度しか働かない非正規労働者と、定年まで様々な部署で残業を厭わず働く正社員の賃金とは、たまたま仕事が同一であったとしても、賃金が同じというわけにいかない。」と考えられたのです。濱口桂一郎さんは、このことを「『ジョブ型』と『メンバーシップ型』」としてわかりやすく説明されています。  

この「メンバーシップ型」の考え方が、労働契約法やパート法の条文の中にも入っています。労働契約法20条でいえば、労働条件の相違(格差)の不合理性を判断する際の考慮要素として「当該職務の内容及び配置の変更の範囲」を入れています。これは、仕事内容や配属部署の変更の範囲が異なることが「格差」を合理化する要素になるという意味です。

非正規労働者の多くは、有期契約で、職務内容が特定され、将来も変更がないと想定されています(ジョブ型)。

他方、正規労働者(正社員)の場合は、無期契約で長期雇用が前提とされて、職務内容も配属部署も変更されることが予定されています(メンバーシップ型)。だから、賃金が異なるのは当然という考え方があります。  

しかし、「ジョブ型」も「メンバーシップ型」も理念的な類型にすぎないでしょう。
マクロ的に観れば、その説明は筋が通っています。しかし、ミクロ的に観れば、必ずしも正社員の働き方の実態というわけではありません。 確かに、正社員のうち一部の大企業では、プラチナカラーのエリート幹部(候補)正社員は、職務内容や配属部署の変更の範囲は広いでしょう。

これに対して、ノン・エリートの普通の正社員とジョブ型の非正社員の職務内容や配置の変更が、それほど違うわけではないのです。例えば、中小の信用金庫や地銀の預金業務や窓口業務担当する派遣社員と、預金業務や窓口業務を担当する一般正社員の職務内容は同一ですし、その普通の一般正社員の多数は職務内容や配属が広範囲に変更されるということもない(実態はほとんど配転がなく、支店統合の際に配転するのが大多数という職場も多い)。ただ、建前的に管理職などへの昇進の可能性がつく程度です。

今や非正規労働者も、正社員と同様の恒常的な職務について、5年を超えて働く契約社員や派遣社員は珍しくありません。 ですから、このようなノン・エリートの普通の正社員と非正規労働者の労働実態を比較すれば「同一労働」と評価でき、建前的な「メンバーシップ型」を過度に強調して格差を合理化することは適切ではないと思います。

メンバーシップ型の企業を考えるとき、多くは上場企業などの大企業を念頭において議論してしまう傾向があると思いますが、彼ら・彼女らエリート正社員は極少数派です。  

安倍首相の言うように「雇用形態が異なっていても、仕事内容と経験が同じであれば同一賃金」であるべきでしょう。また、完全に同一労働でなくても、実質的に同一であれば、それに応じた賃金(待遇)であるべきでしょう。

■「実質的な同一労働」と「同一価値労働」  

何をもって「実質的に」同一労働とするかは、欧米と異なり、日本のように社会的な職務分掌や評価手法が定まっていない社会では困難がともないます。得てして「同一労働同一賃金の原則」を労働者が主張した場合、裁判所は「完全な同一」労働の立証を求めがちです。これを厳格に求められると、細かな違いであっても「同一でない」とされかねません。

また、「同一価値労働」は、「職種」が同一ではない場合でもあっても「価値」が同じであれば良いという考え方ですが、職種の「価値」が「同一」と評価する基準を策定するのも、日本では困難があります。米国的な職務分析論の有用性が主張されますが、ジョブ型社会である米国の職務分析手法が「メンバーシップ型」の日本に妥当するか論争があります。日本では職種による賃金の違いよりも、同じ職種であっても企業規模による賃金の違いのほうが目立ちます。日本の雇用社会にも妥当する手法を確立する課題が残ります。  

厳格な「同一労働同一賃金の原則」手法よりも、「不合理な労働条件の格差の禁止」手法の方が「柔軟」で使い勝手が良い側面もあります。「完全に同一労働ではないが、賃金格差を合理化できるほどの違いではない。」とか、「同一労働ではないが、正社員の賃金の8割以下は不合理である。」とする余地があるからです。

もっとも、これには「不合理性の判断基準が不明確」であるという欠点があります。また、労働契約法20条に定められている「職務内容及び配置の変更の範囲」という要素(メンバーシップ型の要素)が強調されると、「不合理」性を限定することになってしまいかねません。 その意味では、「労働者の職務に応じての待遇の確保」の法理念に「同一労働同一賃金の原則」を入れ込む改正にも意味があります。

さらに、これを具体化する立法政策(派遣法改正含む)も必要不可欠です。そこまでやる気があるのか要注目です。アベノミクスの評判をあげるための、ただのリップサービスではないだろうとは思いますが・・・。

また、労働法学の「同一(価値)労働同一賃金の原則」だけでなく、日本経団連的な職務遂行能力を前提とした「同一価値労働同一賃金」や成果主義賃金と結びついた「同一労働同一賃金」(これは濱口桂一郎氏の「働く女子の運命」135頁に詳しい)が登場しており、今後の議論は錯綜しそうです。

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2016年1月31日 (日)

解雇の「労働局紛争調整委員会・あっせん申請」が少ないことに驚く

厚労省の検討会資料をみて

 現在、厚労省労働基準局の下で、「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する検討会」が開催されています。 

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-roudou.html?tid=307309

 この検討会の検討事項は次の二つです。

(1)既存の雇用終了をめぐる個別労働紛争解決手続の有効な活用法。

(2)解雇無効時における金銭救済制度の在り方(雇用終了の原因、補償金の性質・水準等)とその必要性。

 
 一つ目の論点に関して厚労省の作成した資料の中で気になった点が一つあります。

 現在、「雇用終了に関する紛争」(解雇・雇止め)の紛争解決手続として、主なものとして、次の三つがあります。

 労働局の相談・あっせん手続

 裁判所の労働審判手続(労働審判)

 裁判所の訴訟手続(裁判)

 厚労省の作成した資料によると全国の「雇用終了に関する紛争」の平成26年度の状況は次のとおりなのです。詳細は上記WEBから資料が観られます。

 

 個別労働紛争解決 相談件数     3万89666件

    あっせん申請件数   1392件

② 裁判所の労働審判 新受件数      1742件

           調停成立      1242件

③ 裁判の解雇等訴訟 新受件数       967件

           終局事案          917

「個別労働紛争解決」とは、厚労省が都道府県においている地方労働局での手続で、相談、助言・指導、あっせん申請の三つ手続が用意されています(個別労働関係紛争解決促進法)。 

 相談 ⇒ 助言・指導 ⇒ あっせん申請

 この手続の概要は次のようなものです。 

 労働者は、解雇等の紛争に直面したら労働局に総合労働相談センターに相談できます。そして、必要な場合には労働局長が助言・指導を行います。

 また、当事者は、労働局の紛争調整委員会(弁護士や学者等)にあっせん手続を申請して、が相手方を呼び出してあっせん手続をすることができます。ただし、労働局のあっせん手続には強制力はありません。しかし、手続費用は無料で労働者が弁護士を依頼する必要もありません。

 要するに「あっせん申請」は紛争調整委員会が使用者に呼び出して、労働局の紛争調整委員会で当事者から事情を聞いて、あっせん案を提示する手続です。相談や助言・指導よりも解決に向けての手続なのです。


■あっせん申請の件数と比率が極めて少ない

 ところが、上記のとおり、労働局への解雇等事件の相談が、平成26年で3万8966件があったにもかかわらず、あっせん申請されているのが、わずか1392件で、全解雇等相談件数のわずか3.57%という点にひっかかります。

 手続費用と弁護士を依頼する必要がある解雇等事件の労働審判の平成26年度の申立件数が1747件なのに、労働局紛争調整委員会のあっせん申請が、これより少ない1392件であることが私には理解しがたいのです。 

 たしかに、労働相談は必ずしも全部が裁判や労働審判となるわけではありません。しかし、解雇された場合には、何らかの手続をしないかぎり、解雇された労働者はただ泣き寝入りするしかありません。 

 弁護士の私のところに相談にこられる解雇事件の相談者の8割は何らかの手続に進みます(弁護士交渉も含めて)。なかには解雇が有効と思われる場合や、解雇を争いたいが家族が反対するからということで手続を断念される方もいますが。 

 労働審判や訴訟は手続や弁護士に費用がかかって労働者にとってはハードルが高いですが、労働局のあっせん申請は、厚労省が行う無料の手続であり、ほかに解決手段がない労働者があっせん申請を躊躇する性質ものではないと思います。訴訟や労働審判と比べてコストがかかりませんから。あっせん手続では、使用者に出頭の義務はありませんが、使用者が出頭しなくてもダメ元ですから、躊躇する理由にはなりません。

 そういう意味では、労働局の解雇等事件の相談件数が3万8966件もあるのに、あっせん申請が1392件しかないのは、労働局のあっせん申請に、何らかのアクセス障害があるのではないかと思います。

 しかも、労働局には、ひどい解雇相談が殺到しているとも言われているのですから。⇒ http://www.jil.go.jp/publication/ippan/koyoufunsou.html

■今後の検討課題

 労働局紛争調整委員会の委員を担当されている弁護士も多くおり、労働局の相談員の知り合いもいますので、労働局の方々とも、是非、勉強会などができたらと思います。労働弁護団でも企画するよう持ち込んでみよう。

 

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2016年1月 6日 (水)

天下大乱

謹賀新年なのに時局ネタ

2016年は、異様に暖かい正月です。


■サウジとイランの国交断絶

サウジアラビアとイランが「国交断絶」というニュースにびっくりぽん。

両国は地域大国で、スンニ派原理主義盟主とシーア派原理主義盟主です。

不倶戴天の敵対関係といってもよいでしょうね。

昔であれば、国交断絶の次は、「宣戦布告」です。

対立の背景にはイランの核開発への対抗という深刻な問題があるはずです。

この対立で得するのは誰か?

それは、IS(イスラム国)でしょう。

ISはスンニ派過激組織だが、カリフを自称するバクダディ師は、サウジ王家を打倒・シーア派を壊滅して、2020年までに「世界カリフ制国家」を樹立すると宣言しているそうで、2016年から全面対決に年となると行動計画もあるそうです(池内恵「イスラーム国の衝撃」)。

スンニ派の有力者らがISを資金・武器援助しているとの噂は絶えないですから、サウジのイランとの対立は嫌な感じです。 中東の「天下大乱」がいよいよ拡大されそうです。

■北朝鮮の水爆実験

と思っていたら、本日は北朝鮮が水爆実験の実施のニュースです。

サウジ・イラン対立の核つながりですが、今の国際的核管理体制(NPT)の瓦解が明白になりました。

実は,年末まで北朝鮮と中国との関係修復の動きで、もう核実験は実施しないかと思われていたのに、突然の予告なしの水爆実験にびっくりぽん。

北朝鮮は核弾頭運搬能力(ミサイル技術)はまだ低いと言われていますが、明確な脅威であることは変わりはない。

集団的自衛権の安保法制、国家緊急権、憲法改正などの安倍首相の動きがもっと露骨になります。

こういう憲法9条=非武装中立主義では対応できない事態が発生していることは否定できない。

具体的な政策として、安倍首相の積極的平和主義に対置できる安全保障政策を野党(民主党右派は自民党と同じ=前原とか長島とか=自民党に行けば良いのに。このままでは民主長は対案を提示できない。)が提案しないかぎり、参議院選では安倍首相の「勝利」は動かないでしょう(日本の民主党と共産党がドイツのメルケルくらいにのリアリストになれば良いのだが。)。それで、本来の非武装中立主義者は、社民党に投票すれば良いのだし。そうすれば社民党は生き残るれるし。

これは日本共産党が党名を変えない限り無理かも(「立憲社会党」や「立憲共和党」とかがイイと思う。とにかく共産はだめね=中国共産党と一緒だし)。そして、共産主義=マルクス主義を修正して、社会自由主義=ジョン・ロールズ=修正主義者エンゲルス的な思想に変えれな理論的にもすごいと思う。個人的には)。

その上で、日本の情勢にあわせて対置すべき、安全保障政策は次のとおり、
①「専守防衛自衛隊の容認」
②「国連の集団的安全保障への協力」
③「米国と集団的自衛権関係否定」

④「中国に対抗できる普遍的理念の構築(イデオロギー戦略=アジアの「王道」は日本がこれからつくるしかないでしょう戦略=新幹線的な下世話な話だけでなく、アジアの陸上・海上・電脳ネットワーク)」

で、どうでしょう。

■「王道」こそ
次の言葉は五族協和(本来は、[五族共和]であるべき)とともに大好きな用語です。
孫文が発した次の言葉がすばらしいですね。ガンジーも同じようなことを言っていた。

「あなたがた日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質も持っている。日本がこれから後、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城(盾と城)になるのか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっている」。(1924年の神戸での孫文の講演)
宮崎駿著「ナウシカ」から、 「クシャナの王道を歩め。そなたは血で清められた。そなたには王道こそふさわしい。」(by ユパ)。たぶん、これは実は、宮崎駿が日本に本当は期待したことなんだろうと思う。

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2015年12月31日 (木)

2015年 トップ20 閲覧数順位

2015年12月ででアクセス数が80万件を超えました。

閲覧数のトップ1位-20位は次のとおりです。

1   読書日記「絶望の裁判所」瀬木比呂志著

    意外にロングランです。

2 「ある憲法学者のおつむの変遷」-驚愕の長尾一紘教授の集団的自衛権合憲説

    憲法ネタです。長尾教授の変節(変説)には「びっくりぽん」

3  憲法9条の成立過程について

 このブログは結構たくさんの本(憲法制定過程を述べる本)を読んでまとめた。現憲法下でも自衛のための最小限度の武力組織をもっても憲法違反にはならないと、憲法制定プロセスを踏まえて、個人的に改説しました。

4  人質事件で安倍首相を「言語道断」という国会議員に思う

 今は、何もしなかった安倍首相を言語道断と声を大にして非難すべきだと思う。

5  2013年司法試験と予備試験

   何でこれが上位なのか?理解しがたい。受験生が読んでいるということか。

6  有期契約を理由とする不合理な労働条件の禁止(労働契約法20条)

   やっと、本来の労働法分野が上位となる。

7  有期労働契約の「更新上限の合意」への対応策

 これも本来の職務範囲

8  管理職用「退職勧奨」マニュアル

 IBMの内部資料。これも労働ネタです。

9  有期社員の差別是正を求める裁判提訴(労契法20条訴訟)

 これも本来の仕事


10 読書日記「法服の王国」黒木亮著

 この本は人気があるようです。


11 女性社員と制服

  これもロングラン        「女性」 階級の構成が複雑であり、社会学の分析対象にすると面白いかも。


12 会社分割・労働契約承継法と「在籍出向」


  地味な分野なのに。上位ということは、結構、世の中で広まっているのか。 


13 ISへの米仏露の空爆に思う

 難しい問題だが、いつも思うのは、ナチスや軍国日本に軍事的に対峙して勝利しなければ現代世界は大きく変わっていたということ。


14 日本の労働時間-未だに長時間労働社会 日本

  「時短」を真に要求するのは、子育てする人たち。
 今は女性が主力。男たちは家に帰るより会社でがんばっていたほうが楽しい。妻と子どもと一緒にいるほうが仕事するよりも、楽しいと思わない限り、男性の時短要求は出てこないだろう。 結構、仕事は楽しいというのが問題。仕事はスレイブだという意識が一般化すればよいのだが。そのときは日本は滅びるな。


15 「風月堂」セクハラ事件判決と裁判官の「セクハラ感覚」


   判例評釈?

16 ISIS、中東、と日本の「平和主義」

 武力行使だけでは解決しないと思うが、武力行使しなければISの暴虐はつづく。
 日本は、9条がある限り、武力行使はしないし、できない。
 結局は、中東やイスラエルの紛争は、国際社会は傍観して、彼らがとことん争ってあきらめて悟りを開くまで放置することしかないのかも。欧州もカソリックとプロテスタントの殺し合いを百年はつづけて、ようやく政教分離の知恵までたどりつくのだから。中東もそういうプロセスだと思って、国際社会は関与しないとか。 というわかにいかないんでしょうね。欧米、ロシアにとっては。石油や天然ガスがあるから。


17 民事裁判の証人尋問


   何でこれがアクセスが高いのか不思議?


18 政治指導者の「決断」と「喝采」-カール・シュミット理論の再来

 橋下氏のことです。彼はすぐに復帰して政治家になると思う。
 決断が国民から喝采されたのは、シュミットの同時代人、すなわち、ヒトラーでした。


19 「分離すれども平等」-人種差別のエートスと曾野綾子氏のコラム

 日本には、人種差別主義者やファシストの女性が多いと思う(男性同様に)。桜井なにがし、高市なにがし、稲田なにがし、その他大勢。いっぱい右翼女性がいる(岸壁の母予備軍)。なぜだろう?日本女性は極めて保守的で長年、自民党を支えてきた政治基盤というのが冷徹な事実と思う(スキャンダルがあると情緒的に反対するが、良きバランサーとして機能している)。
 朝日新聞的な女子は、インテリ女子で少数派だと認識しなければ。


20 読書日記「ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼」松尾匡著

   理論「左翼」もここまで来た。興味深い、松尾教授の言説。
   マルキストならぬ、マルキシアンになります。


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2015年12月29日 (火)

慰安婦問題の日韓政府合意に思う - 安倍首相あなどりがたし

 安倍首相とそのブレーンはしたたかで優秀です。あなどりがたし。

■慰安婦問題の日韓政府合意

 慰安婦問題の日韓政府合意を見ると骨子は次の三点

①「日本政府は責任を痛感し」、「安倍首相は、元慰安婦の方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」、
②「日本政府の予算により全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる」
③「問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等国際社会において相互に非難することを控える」
 韓国外相は、さらに慰安婦少女像の撤去する努力をするとも表明している。

 弁護士の目でこの交渉結果を評価すれば、日本はとれるものを全部とっている。交渉ごととして見ると、日本は極めて満足すべき成果を得たといえる。

■日本は欲しいものを獲得した

 安倍首相は、最終解決であり慰安婦問題を蒸し返しをしないという約束を韓国政府から獲得した。

 もし韓国側(民間団体など)が、合意に反対して合意履行に反発して日本を非難することになれば、日本政府は合意違反だとして国際社会で韓国を非難できることになる。
 日本国内では、一部の右翼から非難されるであろうが、大多数の穏健な日本人は安倍首相の決断を支持し、支持率は上昇は間違いない。
 さらに米国からも高く評価される。

 今回の日韓政府合意は、河野談話の延長上の解決です。日本政府は責任を認め、安倍首相がおわびと反省の気持ちを表明し、日本政府が10億円を政府予算から支出することになった。河野談話よりも踏み込んだ解決です。以前はあくまで「道義的責任」と明言し、「基金」はあくまで日本の民間資金の拠出だったからです。「法的責任」にこだわるのは単なる名分論です。
 あとは、安倍首相が心のこもった元慰安婦の方々へのおわびといたわりの誠意を示せば、日韓両国民が和解に大きく向かうのではないでしょうか。

■安倍チーム あなどりがたし

 つくづく、安倍首相とそのチームは、したたかで優秀だ。鮮やかな電撃外交合意です。「タカ派の方が外交では大胆な譲歩と決断ができる」とよく言われますが、まさにそれを地でいったような外交です。

 安倍首相 あなどりがたし。さらに自信をつけた安倍首相は、来年の参議院選挙も思い切ったカードを切りそうですね。自公政権の圧勝で、維新の参加して、自民党憲法案が新しい憲法になりそうです。

■「法的責任」について

 なお、「法的責任を認めなかった」として韓国側が反発しているようですが、日本政府が「責任を痛感する」と述べて「政府予算から資金を拠出する」という実質を見るべきでしょう。
 この戦争被害の「法的責任」は難しい問題です。戦争で生じた政府行為については、国家間の条約や協定で決着をつけるしかないように思います。
 戦争においても個々人の不法な権利侵害があったとき、国家間とは別に個人が損害賠償を請求できるという法律論に私も共感はするが、国際社会も国際人権法はそこまで発展していないと思う。

 もし元慰安婦の日本への国家賠償請求が認められるなら、他の朝鮮や中国で日本政府による不法な人権侵害をされた方々がすべて日本に損害賠償請求権を持つことになる。そうであるなら、広島や長崎の被爆者は、米国に対しても損害賠償請求を認められるべきである。ドイツに対してもナチスに虐殺されたユダヤ人や他のポーランド人らもドイツに損害賠償請求できることになる。逆に、ドレスデンで無差別爆撃で犠牲になったドイツ市民も英米に損害賠償請求できるし、旧満州でソ連赤軍に蹂躙・虐殺された日本の民間人やシベリア抑留された日本人もロシアに損害賠償請求ができることになろう。つまり、パンドラの箱をあけることになる。しかし、これらの問題を裁く国際人権法も司法機関も未だ存在しない(未だ発展途上ということだが)。

 ということで、遺憾ながら、戦争の賠償問題は、個々の市民や国民ではなく、国家間の条約の枠組みで処理されるしか現実的におさめることができない問題なのだと思います。

 ちなみに、慰安婦に対して政府が「法的責任」がないことと、慰安婦に対して政府が「責任」があることは別に何ら矛盾しませんから。「法的責任」とは要するに裁判で損害賠償や刑罰を科される責任ということです。より大きな政治責任を負うことは何ら不合理ではない。国際問題には、法的責任よりも、政治的責任のほうが重要だと思う。

■韓国譲歩の「大きな謎」


 しかし、なぜ韓国がこの合意を締結し、しかも少女像の撤去を努力するとまで表明した理由は何だろう。

 少し韓国が譲りすぎのように思える。

 韓国国内の反発が心配。双方の国民の大部分が了解し、特に被害者である元慰安婦側の納得が得なければ本当の不可逆的な最終解決にならないのだから。

 その背景は何だろう。韓国大統領の姿勢がブレている印象も受けるが、・・・米国の圧力なのだろうか。米中の牽制、綱引きの中で韓国が翻弄されているのか?

 この点は今後、誰か解説して欲しい。



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2015年12月23日 (水)

読書日記「働く女子の運命」濱口桂一郎著

読書日記

「働く女子の運命」濱口桂一郎著 文書新書
2015年12月発行 読了 2015年12月22日


hamachanこと濱口桂一郎さんに、新著「働く女子の運命」をお送りいただきました。ありがとうございました。通勤電車内で熱中して読んで、つい降車駅を乗り過ごしてしまいました。

■「雇用システム」の違いからの分析

 濱口さんは、日本の企業社会における女性労働者がおかれている厳しい状況の原因を、「企業の雇用システム」の観点から、いつものとおり見事に腑分けしています。

 メンバーシップ型社会である日本企業は、「新卒採用から定年退職までの長期間にわたり、企業が求めるさまざまな仕事をときには無理しながらもこなしていってくれるだけの人材であるかどうかという全人格的判断がなされます。その中で、女性はいま目の前のこの仕事をどれだけきちんとこなせるかなどという些細なことではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかという『能力』を査定され、どんな長時間労働でもどんな遠方への転勤でも喜んで受け入れられるかという『態度』を査定され、それができないようでは男性並みに扱われないのです。ちなみに、この『能力』と『態度』の度合いを示す特殊日本的『職能資格』という言葉は、欧米社会の職業資格(ジョブ-引用者注)とは似ても似つかぬ概念です」というわけです。

 著者は、日本は、1990年代半ばから「市場主義の時代」となり、企業は日本型雇用システム(メンバーシップ型社会)の「中核(日本型正社員-引用者注)をより純粋に少数精鋭化しながら維持しつつ、もっぱらその周辺部を狙って規制緩和をしてきた」と結論づけます。

 その結果、「総合職という男性コースに入れてもらった少数派の女性たちは、銃後の主婦の援助を受けた「男性たちと同じ土俵で、仕事も時間も空間も無制限というルールの下で競争しなければなりません」。

 「他方で、一般職という女性コースはこの時期、企業からもはや存続の必要性が失われ、契約社員や派遣社員という形で非正規化が進行していきます」。今や、女性労働者の非正規率は過半数を超えています。


■欧米ジョブ型社会での男女平等

 欧米は、ジョブ型社会なので、社会的に公認された職業資格(企業を超えた共通な資格)が確立していて、労働者はジョブとスキルによって雇用と賃金が決定される。したがって、女性や男性の区別なくジョブとスキルが同じなら賃金は同一。例えば、アナウンサーというジョブとスキルが同じなら、賃金は当然同一であって、勤続年数や年齢、子どもの有無は賃金とは関係がないとのこと。
 ですから、欧米では、男女平等実現のため、男性が多く占める職種(ジョブ)に女性を積極的に雇用すること(アファーマティブ・アクション)。また、男性が多い職種の賃金と女性の多い職種の賃金を比較して両職種が「同一価値労働」であれば同一賃金とする是正の方策がとられます。具体的な「職務」(ジョブ)を基準としているので、すっきり分かりやすいことが説明されます。


■日本メンバーシップ型社会

 ところが、日本の職能資格制度では、「属人的」な要素によって評価されて昇格が異なり、昇給も異なります。評価要素は、「能力」と「態度」です。具体的な職務実績評価も含まれますが、それよりは「潜在的な職務遂行能力」への評価が重視されます。その職務遂行能力とは、要するに、「無限定かつ無定量の労働」に忠誠心をもって従事できるかということなる。この点で家庭責任を負う女性は不利になります。

 賃金も具体的な職務との関係ではなく、女房子どもを養える生活給を基本として職能資格制度が発生・運用されてきたので、女房子どもを養う必要がない女性には不利に運用されます。

 実は、私も昔は「潜在的な職務遂行能力なんて、情意評価で恣意的で訳がわからん。ナンセンス!」と思っていました。が、今自分が56歳を過ぎると「人」(私の場合は弁護士)の評価って、長期的に見るべきであって、たまたま担当の仕事(裁判)がうまくいったかどうかよりも、仕事に対する姿勢や態度、コミュニケーション能力、何よりも人柄のほうがずっと重要だとつくづく思います。若手の「伸びしろ」はそこで見た方が確かですし、一緒に呑みにいけば呑み方でもわかるしね。メンバーシップ型の働き方や人の育て方に一定の合理性があることは否定できないと思うようになりました。


■「育休世代のジレンマ」

 育休制度が立法化されて、職場で二つのジレンマが見られるそうだ。

 一つは、、出産した女性労働者が、残業なしの限定された職域や職種に配置されるという「マミートラック」に固定されるというジレンマ。

 二つは、出産した女性労働者が定時で帰宅し、また子どもの都合で度々休まざるを得ないことから生じる負担をかぶる上司や社員の不満というジレンマです。


■「マミートラック」ではなく、「ノーマルトラック」へ


 そこで、著者の処方箋は、通常の労働者(=正社員)の働き方を、マミートラックのような働き方にしようというものです。職務や労働時間を限定にした限定型正社員を「通常の労働者」として、男女が子育てしながら働き続けるノーマルトラックをもうける。

 ところが、企業の中枢には「いつでもどこでもどんな仕事でも働かせることができるという究極の柔軟性を駆使することで世界の冠たる競争力を実現したという成功体験をもった人々」が多数をしめいており、強い抵抗感があるそうです。

 著者が<無限定正社員の男性並みに「活躍」するように女性を駆り立てるのはもう止めよう>と述べたところ、「総合職を減らして昔の一般職を増やそうというのか?」と批判を受けたそうです。

 著者は、昔の一般職とは補助的業務を前提とした女性用コースであり、これに対して、限定正社員とは男女共通の一定の限定がある制度だと反論します。これから過去の無限定正社員を維持することは不可能で、将来の別モデルを構想すべきだと述べます。


■感想:労働時間の限定こそが男女平等の基本であることは大賛成

 著者が「無限定な正社員の労働時間」が最大の問題であるとされる点について、全面的に賛成です。選別された男性正社員が無限定かつ無定量の長時間過密労働にさらされていることが最大の問題です。

■感想:ジョブ型社会じゃないとできないのでしょうか?

 しかし、労働時間の限定は、限定型社員でなければできないのでしょうか。

 労働時間の限定は、労働契約上の限定だけでは実現しないと思います。日本では新たに厳格な労働基準法の定め(例えば、残業を厳格に禁止して、例外も一日最長2時間のみとする)を立法化して、一斉に全事業に適用しないと「時短」は不可能でしょう。「労使自治」にまかせては、「時短」は絶対に進まない。

 厳格な労働時間規制をすれば、メンバーシップ型社会でも労働時間は大きく短縮され、男女とも利益を得るのではないか。(もっとも、これができないからみんな頭を悩ましているのでしょうが。)


 また、欧米型ジョブ型社会には、個人的にあこがれますが、強力な産別労働組合という対抗プレイヤーがいないと社会的に成立も機能もしないのではないか。日本が欧米のようなジョブ型社会に移行するには、社会意識の劇的変化(戦争や大不況をくぐらなければ変化しないのでは?)や教育制度・内容の変更、産別労働組合による職種毎の産別協約賃金の設定などない限り、実現不可能でしょう。仮に今すぐ社会的合意ができても、これから3世代はかかるでしょう。


■感想:海老原氏の提言が現実的ではないか

 私は、海老原嗣生さん(「日本で働くのは本当に損なのか」)が提言する「入り口は日本型メンバーシップ型のままで、35歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデル」がもっとも共感できます。

 日本的なメンバーシップ型の働き方(チーム労働)の良さも維持でき、今の雇用の実態にあっているように思います。海老原氏の提言については過去のブログでふれました。


○読書日記「日本で働くのは本当にそんなのか-日本型キャリア VS 欧米型キャリア」海老原嗣生著 PHPビジネス新書

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/11/vs-f7cd.html  


 濱口さんは、この海老原さんのモデルについて、働き続ける女性がジョブ型に移行する歳(35歳頃)まで子どもが産めず、高齢出産になりかねないことが問題だと指摘します。

 しかし、現実には20代で子どもを産んで育休をとりながら働く女性も少なくないと思います。また、キャリアをきずいてから35歳以上の高齢出産をするのか、子育てではなくキャリアを優先させるのか、所詮は個々の女性の選択です。社会が介入すべき事柄ではないでしょう。

 なお、この著書には、ほかに「皇国勤労観と生活給」、「戦時体制がつくった日本型雇用」、「生活給とマル経」、「日本型雇用システム礼賛と男女平等」、「経団連的な同一価値労働同一賃金の原則」などの興味深い論点(ネタ)が記述されています。勉強になります。

 なお、同書の帯に、「上野千鶴子氏絶賛!」とあります。上野氏の「女たちのサバイバル作戦」(この作戦目標は「同一価値労働同一賃金原則の実現」、「日本型雇用システムの廃止」等)についての批評も昔ブログに書きました。本ブログと関係します。


○読書日記「女たちのサバイバル作戦」上野千鶴子著 文春新書

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/11/post-f079.html

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2015年12月 7日 (月)

無差別空爆・原爆投下と「二重結果の原理」

■加藤典洋著「戦後入門」

加藤典洋著の「戦後入門」(ちくま新書)を読みました。
新書版で635頁の大著です。

帯には「私たちよ、これでいいのか?-日本だけが、いまも戦後を追わせられない」と銘打たれています。
本書を単純化すると、「護憲的改憲論」「左折の改憲論」の提言です。でも、そんな単純化でない複雑な論理の進め方(プロセス)に共感するとことろが多い。

■アンスコムのトルーマンの原爆投下決定批判

ところで、本書で初めて、エリザベス・アンスコムという哲学者が、オックスフォード大学が米国大統領のトルーマン氏に名誉学位を授与することを反対したことを知りました。反対理由は、原爆投下という悪行を決定したからというのです。

そして、アンスコムの「原爆投下が悪行であり、道徳的に悪」という理由付けは絶対平和主義の立場からではありません。同書308頁に記載がありますが、これを要約すると。

  日本が既に講和を求める動きをしている状況下で、しかもそれを知りながら、何ら最後通牒や警告なく、2発の原子爆弾を投下した。果たして、この行為は正当化できるか。
 同じ人を殺す行為にも、殺害(Killing)と謀殺(Murder)が区別される。殺害は「単に人を殺す」ことだが、謀殺は「自分の目的を達する手段として罪のない人々を殺すこと」に区別される。
 謀殺は、最悪の悪行であり、単なる殺人よりも道徳的に罪深い。
 軍事施設を目標にした爆撃に民間人が巻き添えになるケースはどうか。たとえ統計的に確実だとしても、それは謀殺ではない。民間人への爆撃という結果自体は意図したものとはいえず、倫理学にいう「二重結果の原理(principle of double effects)」にあたる。
 罪のない人とは、「戦闘しておらず、戦闘しているものにその手段を供給うしていない人」のことである。明確である。
 トルーマン氏は、日本が講和を求めていることを知り、天皇の地位について条件を明示すればポツダム宣言を受諾することが予測できる地位にあった。一方、米国は、自らの国がそれなしには危機に瀕するというような「極限の状況」にはなかった。それなのに、なお軍事施設ではない都市を選び、原爆投下を命じた。それは謀殺にあたる。トルーマン氏は悪をなした。

■二重結果の原理と空爆

二重結果の原理、あるいは二重効果の原理は、倫理学上、都市への地域爆撃が許されるかどうかなどを考える原理だそうです。

上記のアンスコムの論述とジョン・ロールズが原爆投下と大都市無差別空爆の倫理的に非難したことについては、寺田俊郎教授の2010年の論文があり、これはWEB上ですぐに読めます。

「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1006/1/prime31_109-118.pdf

■イラクへの米仏英露の空爆

テロ軍事施設等を狙っての空爆なのか、報復による無差別空爆なのか。
殺人なのか、謀殺なのか。

第二次世界大戦以来の延々と議論されてきたテーマなんですね。

「病気」(テロ)の原因を解明し、原因を解明して治療薬や治療法を開発する。
原因は解明されている(過激思想の背後にある貧困とか差別とか)が、それを解消する方法を実現する見通しはいまだない。

その場合でも、「病気」が進行している以上、効き目がありそうな対処療法(捜査や軍事力行使)を試みるしかない。しかし、副作用が激しいものは対処療法としても適切ではない。

理性的にバランスが維持されるのか、恐怖や怒りでバランスが壊れるのか。

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2015年11月21日 (土)

ISへの米仏露の空爆に思う

■設問
次のような場合には、空爆すべきなのでしょうか
1万人の非イスラム教徒の居住地域にISが進攻しようとしている。ISがそこを支配したら、多くの非イスラム教徒が虐殺され、若い女性は奴隷とされる。
その国の政府は崩壊しており、その非イスラム教徒を救出できない。近隣の少数民族の軍事組織はISと戦う用意はあるが、ISのほうが軍事的に優勢である。
このままではISが進攻して、非イスラム教徒や少数民族が迫害されることになる。ISは国連の停戦の呼びかけには耳を貸さない。
米軍などが、ISを空爆すればISの進攻を阻止することができる。

しかし、ISの戦闘部隊を狙っても、ISの周囲にいる(人間の盾を含めて)一般の民間人をまきこむ可能性が高く、数百人単位の民間人が犠牲になる危険がある。
他方、ISの進攻を放置すれば、数百人の非イスラム教徒が虐殺されたり奴隷にされることは確実である。

■倫理問題として
こういう場合に、空爆すべきか否か?

●賛成説(軍事力容認)
米軍など軍事的能力を有する国家は、可能な限り、民間人を巻き添えにしないように努力しつつ、ISを空爆して、非イスラム教徒を救うしかない。それでも発生する民間人の犠牲(誤爆)はやむを得ない。

●反対説(絶対平和主義)
空爆をしても憎しみの連鎖が続くだけで、報復が無限ループになる。また、罪のない民間人を犠牲にすることは許されず空爆すべきではない。そもそも欧米の帝国主義の結果であり、欧米軍に軍事介入する資格はない。軍事的手段は控えて対話を呼びかけるべき。

倫理的にどちらが正しいか、といっても結論はでないでしょう。
あるいは、倫理的にはどちらも正しいのでしょう。

(追記)サンデルの「正義の話をしよう」に書かれた「道徳のディレンマ」です。
暴走電車から5人を助けるのに、あなたは隣にいる太っちょを転落させれば暴走電車を止められる。あなたは軽すぎて飛び降りても暴走電車は止められないとする。さあ、この場合に太っちょを転落させるべきか。
多くの人は、積極的に無実な人を手にかけることはできないと言うでしょう。
設問の場合も結論はでないでしょう。
・罪なき人をできるだけたくさん助けるべきだ。
・IS側にいる民間人をできるだけ殺さない努力を尽くすなら許される。
・いや、どんな理由があろうと無実の人を殺害してはいけない。

■現実的問題として

常識的には、賛成説が多数説になるでしょう。それが人類社会ってものです。
空爆には、強い米軍が後ろ盾になっているとか、米国の威信や世界支配力の維持のためとか、民主主義国家での国民からの支持を得るためとか、子どもを含めた民間人の犠牲を無視するとか、帝国主義的な行動だとか、そもそもイラク戦争を行った米国が悪いとか、きれい事ではないもろもろの事情がからまります。けっして、空爆が正しいとはいいきれない。


でも、平和主義の立場であっても空爆することに反対するのはむずかしいでしょう(相対的平和主義)。

その思いの底には、どの国(ISはもちろん、イスラエルやアメリカ、ロシア等々)であっても民間人への暴虐に反対するという気持ちがある。「悪行」に対しては、犠牲をはらってもたたかうべきだという建前を否定しきれないから。


確かに、「絶対平和主義の思想」は、すばらしいと思います。「暴力の連鎖を断ち切れ」、「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」。

しかし、「言うは易く行うは難し」です。もし、非イスラム教徒側に、あなたの子どもや家族がいても、その絶対平和主義を貫けるでしょうか。

(追記)
IS側にあなたの子どもや家族がいれば、逆の立場の親同士が対立するでしょう。

両者の要求を調整するには、空爆ではなく、地上軍を派遣して誤爆をできるだけ避ける方策が最も良い現実的な解決手段かもしれない。しかし、それでは戦争範囲と戦闘行為は拡大する結果になり、泥沼におちこんでしまいます。



凡人には絶対平和主義実践不可能なことです。このような絶対的平和主義は、聖人君子だけの国があれば実践可能でしょうが。そのような国はどこにもありません。
これは実際におこった事柄です。
ISは、ヤジディ教徒を迫害し、異教徒の女性を奴隷としていました(これは確認された事実です)。米軍は、2014年にISを空爆を開始しました。

■報復的空爆と人道介入的空爆
今、フランスやアメリカ、ロシアがISに対して行っているのは報復的空爆のようです。ヤジディ教徒救出やクルド民族支援のための人道的な目的達成のための軍事力行使(空爆)とはいえないかもしれない。

(追記)
過剰な報復的空爆は、報復という目的であり、自衛手段としては正当化できない。報復の結果、過剰な民間人の犠牲者を出すことになり、まさに過剰防衛となります。

でも、ISの戦闘員訓練所や対外テロ支援施設、武器弾薬倉庫を破壊するという目的と武力行使の範囲であれば、やむを得ない自衛的な空爆となるでしょう。

フランス大統領も何らかの方法でISへの処置をしなければ、フランス国民の支持は得られず、極右の国民戦線が大躍進し、右翼民族主義者のルペンが大統領になりかねない。政治的指導者としては、選択肢はほかにないとも言える。

■判断基準

結局、空爆を支持するか否かは、「軍事力行使の目的の正当性と、軍事力行使の質と量が、正当な目的達成に必要最小限のものであるかどうか」によって判断されるしかない。まあ、あまりに法律家的な常識的な結論ですが。

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2015年11月15日 (日)

ISのパリでの無差別テロに思う。

パリで、非武装の一般市民の120名以上が無差別テロで殺害された。ISがパリのテロの犯行声明を発表した。「フランスのシリア空爆に対する反撃だ」という。

ガザ、ベイルート、イスタンブール、パリ、シリア、イラク、世界中のあちことで戦争暴力とテロ
が続いている。多くの非戦闘員、民間人が殺されている。


フランスの治安当局は有能であり、テロに備えて厳戒中だったという。にもかかわらず、これほどの大規模で組織的なテロをフランス治安当局が察知できなかったことの方が驚き。

それほど、ISは、巧みで卓越したテロ・ネットワークと強力な国際テロ遂行能力を欧州内に持っているということなのでしょう。

今後、米国はもちろん、空爆に参加したカナダ、オーストラリア、ロシアや中東諸国もテロの標的になる。

欧米の論理では、ISが話してわかる相手でない以上、欧米は徹底的な軍事行動に出るでしょう。欧米は、「テロに屈して撤退しては、さらなるテロ攻撃をまねく」と考えて報復行動に出るでしょう。ISはそれを受けて立つ覚悟なのでしょうか。

とにかく、ISの無差別テロは、欧米軍のより強力な軍事的報復を招き、かつ世界中を敵に回すことになる。ISにとっても無差別テロは有効な戦術とは思えない。

昔、ベトナム戦争がありました。
ベトナムでは数万、数十万人のベトナム人が米軍(ほかに豪軍、韓国軍、NZ軍、比軍、タイ軍)に殺されていた。ベトナム人は、ベトナム国内で激しいレジスタンス(米側にとってはテロ)や戦闘を行ったが、米国やタイや韓国などで一般市民を標的にする無差別テロは実行しなかった。他方、国際的にはベトナムを支援する反戦運動がひろがった。そして、ついにベトナムが米国に勝利した。

ISは、このような戦略にはたたないようだ。ISは、無差別テロで、より戦争状態をエスカレートさせることにメリットを見いだしているようだ。欧米露との戦争を激化させることで、自らのイスラム世界での権威を高め、戦闘員をリクルートし、反欧米露の金持ちシンパからいっそうの武器や資金の援助をうけることが狙いなのだろう。

ISの女性や異教徒に対する常軌を逸した残虐行為を見ると、まさに狂信的な宗教テロ組織なのだろう。ISは、暴力と憎悪を世界中に撒き散らし、多くの人命を犠牲にしながら、ゆきつくところまで行くのでしょう。100年たっても解決しないパレスチナ・イスラエル紛争のような長い長い紛争がはじまったのでしょう。

たとえは悪いが、突然変異で生まれた「がん細胞」がどんどん増殖するのを見ているようだ。もっとも、この突然変異を起こしたのは、米国のブッシュ政権がはじめたイラク戦争だ。
愚かな暴力の連鎖がまた一つはじまった。日本も、後藤さんらの拉致殺害で明らかなとおり、既にISのテロ対象となっていることは間違いない。

宗教対立が背景にあり、双方頭に血が上った「欧米露VSイスラム原理主義」との紛争に、日本が積極的に関与しても何もできないし、何のメリットもない。


遠く離れた極東から人道支援をしながら、双方に「もうお互いいい加減にしいや。そろそろ止めといた方がええんちゃいまっか。」とでも言っているしかないでしょう。

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2015年11月 8日 (日)

派遣と有期契約労働者の2018年問題

労働法の「2018年問題」

■平成27年改正派遣法の「2018年」問題

労働者派遣法が「改正」されて、派遣可能な期間の制限が見直された。 有期雇用の派遣社員(派遣会社と有期雇用契約を締結して派遣されている派遣労働者)は、個人単位で、派遣先で働けるのは3年までとなった。

事業所単位では、派遣社員は同一組織(課単位)単位でも3年までしか、派遣を使用できません。ただし、延長することができて、過半数労組ないし労働者過半数代表の意見聴取をすれば延長できます。

平成27年派遣法改正は、9月30日以降、労働者派遣契約が締結・更新された場合に適用されます。ですから、今年の10月1日から3年後の2018年(平成)30年)9月30日までしか派遣先では働けません。他方、派遣先は、労働者の過半数代表の意見を聴取して、派遣社員を入れ替えて3年間が延長されて派遣社員を使い続けられます。

ただし、無期で派遣会社に雇用されている派遣社員は、この3年の期間制限はありません。

■平成24年改正労働契約法の「2018」年問題

2012(平成24)年8月に労働契約法が改正され、2013年4月1日から、5年無期転換ルール(労契法18条)が施行されました。

ですから、2013年4月1日に有期労働契約を締結・更新した場合には、2018年4月1日以降、有期雇用契約を無期に転換するように申し込むことができます。

有期で派遣会社に雇用されている派遣社員も、いわゆる専門26業務の場合には、契約を更新して3年を超えて働いている派遣社員がいます。

この派遣社員は、2018年4月1日をすぎれば、5年の無期転換ルールの適用を受けることができます。 つまり、2015年4月以降、派遣会社との有期雇用契約を更新してきた派遣社員が、2018年4月1日に以降も、有期雇用契約を更新すれば5年を超えるので、派遣会社に無期転換申込みができます。

そうなれば、派遣会社は無期雇用の派遣社員として雇用しなければなりません。 すると、雇用期間が無期である派遣社員は、3年の期間制限の適用をうけないので、期間制限なく働くことができることになります。多くの派遣社員は、無期転換の申込みをすることでしょう。

派遣会社が、こころよくこの無期転換を受け入れれば良いのですが、しかし、派遣会社は、派遣社員の無期転換を回避するために、2018年4月より前に有期雇用契約を雇止めをする可能性が高い。

■2018年問題

そうなうと、2018年1月から3月にかけて、派遣社員を含めて多くの有期契約労働者が雇止めされるなどのトラブルが生じるおそれがあります。

派遣社員にとっても、2018年は問題は、9月直前に生じるのではなく、2018年の2月から3月がヤマになると思います。


現在26業務の方にとっては、派遣会社との間で無期雇用契約への転換を求めていくといういうことが重要になると思います。

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2015年10月18日 (日)

読書日記「人類進化論」 山極寿一著

京大総長になった霊長類学者の山極教授の2008年発行の本です。

■人類と霊長類学

人類の祖先は、700万年前までさかのぼる。アフリカで発見されたサヘンラントロプス・ヤデンシスの化石だ。これも直立二足歩行していた。
霊長類学の様々な霊長類(ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ニホンザル、テナガザル、オランウータン、ヒヒ等)の個体及び社会の生態の観察から霊長類の進化だけでなく、人類の進化についても興味深い指摘をしている。

■人類の祖先とホモ・サピエンスの誕生
人類は、700万年前ころチンパンジーの祖先から別れて進化しはじめ、今から20万年前にアフリカにて私たちホモ・サピエンス(ヒト)が誕生した。現代人と20万年前のホモ・サピエンスの個体は解剖学的に変わらない。人類には他にもネアンデルタール人など幾種類もいたが、ホモ・サピエンス以外はすべて滅んだ。ホモ・サピエンスは5万年前にアフリカから出発して全世界にひろがった。

■ホモ・サピエンスの社会形態は

初期人類の社会形態はよくわかっていないが、霊長類のゴリラやチンパンジーも社会を形成しており、人類とホモ・サピエンスも霊長類型の社会形態から進化してきた。
おそらく、ホモ・サピエンス(ヒト)は、20万年前には、複数の男と複数の女が一緒の群れにいる社会形態をもっていた。しかも基本は単雄単雌関係であった。
このような複数のオスと複数のメスが群れとなっている理由は、食料(餌)をとるのに有利だからだが、それだけではなく捕食者から自己と群れを守るために男が協力しあって群れを守ることができたからであろう。アフリカの霊長類を観てもこの捕食圧力は無視できない。およそ20万年前、草原化がすすんだアフリカでは大型肉食動物がたくさんおり、ホモ・サピエンスは皆で群れをつくって、群れの複数の男が協力して捕食者から群れと個体をまもっていた。そうしなければホモ・サピエンスは生き残れなかった。

■ホモ・サピエンスの単婚

農耕が成立する今から1万年前までは、何百万年、数十万年にわたり人類は狩猟採取社会であった。当然のことながら狩猟採集社会では、農耕して農作物を備蓄することはできない。狩猟採取社会の基本は、その日くらしである。
霊長類の多くは出産後の授乳期間が長いことが特徴である。特にホモ・サピエンスは、メス(女)の妊娠期間・授乳期間・子供が成長するまでの期間が異様に長い。そこで妊娠や子育て期間中は、女(メス)は食料を採取してもってくる男(オス)を必要とした。そのため女は特定の男との固定的な関係を発達させるのが生存上、繁殖上、有利になった。
ホモ・サピエンスは、チンパンジーのように発情期にいっせいに乱交する繁殖行動はとらない(但し、一時期は乱交型繁殖があったという説あり)。おそらくホモ・サピエンスの祖先は、もともと発情期の特徴が小さく、それが男女の継続的な関係を固定化させするために有利だったから、発情期がない方向に進化していたったのであろう。

女は妊娠中や育児期間中に間違いなく、男に食料を持ってこさせるために、子どもがその男の子どもと思わせなければならない。乱交であれば、男にその動機付けができなくなる。つまり、単婚のほうが、女と子どもの生き残り戦略としては合理的
である。

■霊長類の子殺しと暴力

霊長類では、オスが子殺しをする事例が多く観察されている。特に性行動から排除されたオスがいる霊長類においては、そのオスは他のオスの子どもに授乳するメスが性行為を受け入れない(性行動を抑制するホルモンが出る)ため、子どもを殺して性行動を受け入れるようにする例が多い。
そこで、霊長類のメスは自分の子どもをまもるために、他のオスから子どもが殺されないように守るオスと一緒にいる。なお、性的に許容度が高いボノボやオランウータンでは子殺しがないそうだ。
また、メスをめぐってチンパンジーやゴリラは、オス同士が激しく争い、命まで奪いあうことが珍しくない。特にチンパンジーは、同一の群れのオスたちがチームを組んで、他の群れのチンパンジーを襲って殺す事例が頻繁に観察されている。その上、他の群れのチンパンジーのメスを自分の群れに組み入れている。なお、その際、チンパンジーは相手のオスの睾丸を傷つける行動パターンが多いという。

■ホモ・サピエンスの基本的な男女関係(単婚)

捕食者から群れと自己を守るため、ホモ・サピエンスの男は複数で協力して大型肉食動物に対抗するしかなかった。また、男と女が複数いる群れを形成しつつ、男女の一対一関係(単婚)を安定させなければならなかった。

女をめぐる男同士の争いは群れにダメージを与える。チンパンジーやゴリラのようなメスをめぐる命がけの争いは避けなければならない(避けられない場合もあるが)。男女の単婚ルールが表だって乱されると群内の協力関係秩序が壊れてしまい、群れの生存戦略上は不利となる。そこで狩猟採取民の社会(部族社会)では、男女の浮気・不倫は許されないとの強い規範が形成されている。

■ホモ・サピエンスの助け合い精神(共存)

世界中の狩猟採取民を調査した人類学の結果から、狩猟採取民の社会は極めて平等であり、群れの内のメンバーは相互に助け合い、自己を犠牲にしても他のメンバーを仲間として助ける行動規範・社会規範が強いことが確認されている。そうでなければ生き残れなかったのが、狩猟採取生産段階の現実だった。助け合いルールが生活にインプットされていた。

■ここから私見だが。

ヒトが狩猟採集段階から農業生産段階に移って1万年。産業革命による生産力を飛躍的な発展してからもせいぜい300年程度である。


もはや、ヒトは大型肉食動物に怯える必要はなくなった。生産力の発達により、先進国では生存のための食物も容易に取得できるようになった。そのような社会(先進国)では、助け合いの精神や単婚を守る規範(不貞や不倫は罪という観念)は薄れていく
のが当然なのかもしれない。

単に道徳の退廃ということではなく、生存と社会を維持するために、もはやそのような規範を守る必要性がなくなったという生産力の発展という環境の変化の結果なのであろう。高度資本主義社会では、女も一人で働けるし、社会秩序も確立しており、男に子どもを殺される危険も少ない。生産力が発展して社会が豊かになるのは良いことだが、相互の助け合いの精神が捨てられ、男女の単婚関係が壊れていくのが、ヒトの社会進化の方向性なのだろうか。

「サル化する人間社会」(2014年 集英社)という本を山極教授は出しています。ここでは、家族と共同体が壊れはじめており、個人の利益と効率性を優先するサル的序列社会になるおそれがあると指摘してます。

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2015年9月23日 (水)

素人の懸念「平和安全法制」は日本の安全保障を高めるのか?  -「抑止力」のもたらす帰結

■「平和安全法制」が成立した。

法律としては「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」の二つ。前者は自衛隊法などまとめて10本の法律をいっぺんに改正するもの。

この安保法制法律が憲法9条に違反することは、法律論としては決着済みです。これを合憲とする法論理はありえません。法律解釈は文理解釈が基本です。個別的自衛権を認めて自衛隊を合憲とするのも文理解釈上、無理に無理を重ねるものです。さらに集団的自衛権まで認めるのは、法解釈としては不可能です。

保守的で有名だった元最高裁長官や元判事、元内閣法制局長官まで「違憲である」と明言するのは極めて異例なことです。これを合憲とする論者は、法解釈ではなく政治論を述べているに過ぎません。今の内閣法制局長官は「法匪」でしょう。

■安全保障の専門家

この「平和安全法制」を許容する<論理>は、要するに「わが国の安全が脅威に直面している以上、憲法9条の解釈よりも、国家の安全と独立を維持することを優先すべき」という政治論です。

有り体に言えば、安倍政権や集団的自衛権を支持する国際政治学者らは、「憲法9条を守って国が滅んでどうするのか。憲法学者には国は守れん。」というわけです。

しかし、国家の安全保障について、玄人にまかせて道を誤った例は、古今東西にわたり繰り返されてきた事柄です。日本人も今から70年前に思い知ったはずです。だから、素人が疑問や批判をすることは当然であり、かえって専門家や玄人こそ、素人の素朴な疑問に答える責任があるはずです。これが立憲民主主義の考え方ですから。

■中西寛教授のインタビューを読んで

安全保障の「玄人」の代表として中西寛教授が朝日新聞で「日本の安全保障の環境変化」について語っていました。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11977214.html

中西教授は、要するに「米国の国力後退による多極化と中国の台頭」という二点を強調します。確かにこの二点が最近の顕著な変化です。

中国は、明確に軍事的プレゼンスを強めており、南シナ海ばかりか、太平洋まで海軍力を強化しようとしています。アメリカからの干渉を排除するアジア地域の勢力圏を確立しようとしています。そのためにはアメリカとの衝突は避けながらも、ベトナムやフィリピンなどの小国との軍事的衝突は意に介さないように見えます。中国の覇権主義の台頭です。

■グローバル経済と「平和」

中国の経済成長は著しく、それだけでなく日本にとって中国は米国以上の貿易相手国となり、中国経済がなくては日本経済自体が立ちゆきません。米国も同様であり、中国にとっても日米欧との経済関係が破綻すれば、共産党支配自体が瓦解するでしょう。

まさにグローバル経済です。 これが米ソ冷戦時代と大きく異なる点です。平和を維持した方が、双方利益を得る場合には、戦争を回避しようとするものです。米ソ冷戦時代には、資本主義経済圏と社会主義経済圏は別れており、世界市場のグローバル経済にはなっていませんでした。お互い相手が消滅しても別に経済的には大打撃ではなかったでしょう。

中西教授はインタビューで、このグローバル経済の進展を「環境変化」としていません。しかし、このグローバル経済の要素は現代の平和維持のために重要な考慮要素と思われます。

■素人が考える安全保障上の脅威

素人でも想定できる日本の安全保障問題は、①中国との尖閣諸島軍事衝突、②北朝鮮との朝鮮戦争、③南シナ海での中国との衝突、④中東やアフリカへの自衛隊派遣です。


① 尖閣諸島の日中軍事衝突

尖閣諸島を中国が武力で攻める事態に備えるべきだとよく言われています。確かに、尖閣諸島での領土紛争が軍事衝突に発展する可能性があります。特に中国の挑発的な軍事対応や偶発的な軍事衝突はあり得ます。


ただし、これは日本領土内への進攻の話しですから、個別的自衛権の行使の問題であり、当然、日米安全保障条約が対応する問題です。

自民党の石破氏らは、日本の自衛隊が米軍のために血を流す覚悟をしない限り、米軍が尖閣諸島を守るために出動しないと言っていました。しかし、もし中国が尖閣諸島に軍事侵攻した場合に、在日米軍が動かないとしたら、世界中で米国の威信は失われます。ウクライナならまだしも、これだけ日本に米軍を配置しながら中国の軍事侵攻を傍観したとなったら、欧州諸国の信頼を失い、ひいては日米安保条約体制を失うことになりかねません。

他方、中国も今尖閣諸島で日本と軍事衝突して、日米と事を構えることは経済的にみても政治的にみても大損するだけで、何の利益も得ないことはわかるでしょう。中国が今、そのような行動をとる可能性は低い。

ですから、尖閣諸島危機に備えて今回の集団的自衛権を含む安保法制が必要だというのは理解に苦しみます。尖閣諸島で軍事衝突を回避するためには、現実的には海上保安庁の艦艇を増強し、人員・装備を強化すること、また、日中間の偶発的軍事衝突回避のためのルールやホットラインを整備することで十分のはずです。

② 南シナ海での中国進出と軍事衝突

ベトナムは、日本の安保法制整備に理解を示し、南シナ海での日本の自衛隊の役割を期待すると表明しています。同様に米国は、南シナ海で日本の自衛隊が、米軍の活動の補完と肩代わりしてくれる自衛隊に大いに期待していると言っています。

近い将来、南シナ海での米国、日本、フィリピン、ベトナムの共同軍事演習を行って中国を牽制するようなことになるのでしょう。


その数年後、もし中国とフィリピンやベトナムとの間に軍事衝突が生じ、米軍がこれに介入して米国と中国との軍事衝突になった場合、米国が日本に支援要請をしたら日本政府はどう対処するでしょうか?


もはや日本政府は断れないでしょう。結局、日本政府は、重要影響事態とか存立危機事態とかを「拡張解釈」して、海上自衛隊の艦艇などが米海軍に燃料や武器弾薬補給をするでしょう。対中国との戦争に参加(兵站=後方支援)することになります。


③ 朝鮮半島での北朝鮮との戦争


仮に北朝鮮が韓国と戦争を始めた場合どうでしょう。(現実的には、北朝鮮が軍事侵攻をするシナリオはあり得ないと思います。北朝鮮にとって自滅行為だからです。北朝鮮の支配者にとって核兵器を持って引きこもりするしか生き残るすべはないし、支配者自身それを自覚しているでしょう。もっとも、それも長く続かないでしょうが。)


米軍と韓国軍は、当然北朝鮮軍と戦争になります。米軍に後方支援や機雷掃海を支援された場合、日本政府はどうするのでしょうか?


これまた日本政府が断れるとは思えません。

おそらく、読●新聞や産●新聞や●ジテレビが、米軍基地が北朝鮮から核攻撃を受けるとか、北朝鮮の特殊部隊が原発を急襲するとか国民を煽り、結局は、存立危機事態とか重要影響事態ということになるでしょう日本は兵站=後方支援として参加して、北朝鮮から攻撃を受けるでしょう(北朝鮮にとっては個別的自衛権の行使)。
なお、核兵器開発を破壊するために米軍が先制攻撃することも考えられますが、韓国が絶対に反対するでしょうから可能性から排除します。(今の日本政府は賛成しかねませんが。)

④ 中東への自衛隊派遣

中東においては、米軍だけでなく、難民が押し寄せるEUも、アサド政権を支えるロシアも、ISに軍事攻撃をしかける事態が生じるでしょう。

それも集団的自衛権というよりも、安保理の決議による国連の措置として行われることでしょう。 この場合、日本に参加が求められた場合、日本政府は断れるでしょうか。日本政府は断れないですよね。そのために国際平和支援法(国際平和共同対処事態への対処)を作ったのですから。


でも、今度は、道路工事や学校建設するわけではありません。戦闘行為は行わないが、武器弾薬の供給などの兵站(後方支援)を自衛隊が行うことになります。攻撃されれば正当防衛だけでなく、任務遂行のためや友軍を支援するために武器使用をします。アフガニスタン・タリバン戦争やイラク戦争の轍を踏むことになるでしょう。


■最高の「抑止力」は核兵器

中西教授らは、日米同盟を強化して抑止力を高めることで、上記のような事態が起こらないようにできると言うのでしょうか。

否、相手のあることですから、上のような事態は起こるでしょう。起こることを想定して米国に約束して制定した法律である以上、断れません。


そして、日米同盟を強化して抑止力を高めれば、相手(中国)はそれに対抗する策を考えます。「手を出したら、痛い目に遭うぞ」というのが抑止力ですから、当然、中国も軍事的対抗措置を強化します。

ところで、国際政治学者が「今や国際環境が変化し、日本の安全保障が脅威にさらされている」というけれど、米ソ冷戦時代のほうが、日本にとっても、今よりもっと軍事的緊張がありました。

現実に想定されたのは、ヨーロッパ正面でソ連(ワルシャワ条約軍)と欧米(NATO軍)が軍事衝突をして、これに連動して極東ソ連海軍(原潜)が太平洋に進出する。極東ソ連陸軍が北海道に進攻する事態です。自衛隊と在日米軍がこれと戦う(日本不沈空母)。 ゴルバチョフが登場するまで、これが実際に起こると思われていた現実のシナリオでした。そのため日米同盟、核の傘で「抑止力」が高められました。

この「抑止力」とは核兵器のことです。

ソ連や中国の核ミサイルは、当然、在日米軍に照準をあわせていました。横田基地や三沢基地、横須賀基地、嘉手納基地がターゲットでしょう(今でもそうかも?)。

ですから、日米が抑止力を高めた場合には、中国が行う対抗策は「核兵器」を強化することです。それとともに、ロシアと軍事協力関係を深めることでしょう。

そうなると日米でミサイル防衛を整備したり、日本が核武装したり、果てしない軍事拡張の渦巻きにまきこまれていくでしょう。


安全保障の専門家である国際政治学者は、そうは思わないのでしょうか。 いや、きっとそう予測しているのでしょう。でも、これは、逃れられない「人類の現実」だと考えているのでしょう。平和を夢想する「脳内お花畑」の連中は「情緒論」でしかないと、切り捨てるリアリスト(ニヒリスト)たちですから。

でも、この予想される事態のどこが日本の安全保障を強めることになるのでしょうか。危機を深めるだけのように思います。

行き着く事態は、米国と中国との「新冷戦」です。日本は米国の従属国として、新冷戦の最前線国家になるでしょう。安部首相の常任理事国入りの夢想には好都合かもしれませんが。

もっとも、米国首脳も中国首脳も、そう馬鹿ではないように思います。オバマ大統領と習近平主席が近々、会談します。日本頭越しの協議が積み重ねられて、最終的には、米中両国が今後の世界秩序の線引きをするのではないでしょうか。


■では代替案は?


日本は、英国型ではなく、スウェーデン型のスタンスにたった方が、メリットがあるのではないかと思います。米国とつるんで中国と対抗しようというのは危ない橋です。

スウェーデンのように西側に属しながら、(軽)武装中立で、一歩引いて大国の興亡を脇で観ていた方が良いのでははいでしょうか。

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